神器遣いー6
コロコロコロ、とやや滑らかさの失われた教室の引き戸を開くと、いつも通り空気――が一変していた。
いつになったらクラスメイトは俺の存在を認めるのだろうか、とため息をつきそうになったけど、今朝の空気のおかしさの一端が俺だけではないことに気付く。
教室の窓際後方。そこには、頭にガーゼを貼り、腕に包帯を巻いた、斎藤が座っていた。
全治2週間程度の奴が居る、とは先週月曜の朝礼で聞いていたが、斎藤は洗濯機に顔面を叩きつけられていたので、全治2週間で治るような怪我ではなかったはずだ。
もしかしたら、洗濯機に叩きつけられる程度では、ダメージが少なかったか?
ゆっくりと、相手の出方を伺いながら自分の席へ歩いていると、突然、教室に机がぶつかる音が響き渡った。
「オイ、獅童。テメェ、
「…………」
「あっ? オラ。何とか言えよ。俺らが居ねぇ間に、ずいぶんと態度がデカくなったんだな」
「アホくさ……」
心の底からそう思った。久しぶりに学校へ来たら、休んでいる間にクラスのヒエラルキーが変化していた。ただそれだけのことに、なぜそんなにも目くじらを立てるのだろうか?
どれだけ、こいつは狭い世界で生きているんだ?
「あ"ぁ!? 今、なんつった? ナァ、オィ。テメェ、今、なんつったって聞いてんだろ?」
ガンガン、と机や椅子をなぎ倒しながら、斎藤は俺の元までやって来た。そして、あの日と同じように胸倉を掴み、思い切り上へ引き上げた。
「なぁ、見ろよ、この怪我。テメェの仲間にやられたやつだ。覚悟はできてんだろうな?」
胸倉を掴みあげながら、斎藤は怪我をした腕を見せて来た。頭から思い切り洗濯機に突っ込んでいたはずなのに、そちらは軽傷だったんだろうかと不思議に思う。
とにかくこいつは、何でもいいから理由をつけて俺を殴り合いと思っているのは理解できた。
「学校の警備が来たけど、犯人はまだ見つかっていないだろ? 憶測だけで犯人を決めつけるなよ」
「テ……メェ……」
斎藤は俺の言葉を聞くと歯をギリギリと鳴らし、顔を真っ赤にした。
その様子から、危険だ、と判断したクラスメイトたちは、俺と斎藤を中心に輪を作るように広がり、離れていった。
「ザコが。二度と
掴んでいた胸倉をより一層、強く掴みあげて俺の動きを封じると、思い切り振りかぶった状態でフックが飛んでくる。
見え見えの拳。それに、胸倉を掴んでいるのは怪我をしている方の腕なので――。
「ッ!」
ドッ、と鈍い音を立てながら、飛んできたフックを左腕で受け止め、俺の胸倉を掴んでいる斎藤の手を俺の右手で下方に向けて弾く。握力が低下している手は、軽くはじいただけですぐに外すことができた。
「くっ……オラッ!!」
間髪入れずに、斎藤の腕と胸倉を掴むと勢いをつけて、そのまま投げ飛ばした。
斎藤は机や椅子を吹き飛ばしながら床に転がる。蹴り飛ばした時とは比べ物にならない激しい音が、教室中に響き渡るとその音と光景に、女子だけではなく男子も悲鳴を上げた。
「あっ……ガハッ――オォッ……オッ……」
机の角で背骨をぶつけ、床で体全体を打ち付けた斎藤は、声どころか息をすることも困難のようで、喉の奥からおかしな呼吸音を発しながら涙目で俺を睨みつけて来た。
「猿じゃねぇんだから、Eクラスごときの順位が変わっただけで、いちいち叫ぶなよ」
「カハッ――ガッ――アガッ!」
俺を掴もうとするが、寝っ転がっている斎藤の手は俺に届くわけもなく、ただ空を彷徨っているだけだ。しかし、その目だけはまだ俺を殴ろうと――いや、殺してやろうと睨みつけていた。
「今までさんざん、やりたいだけやってくれたよな。ここら辺で、俺もちょっとやり返すわ」
手近にあった机をひっくり返し、足を両手で掴みあげた。そのまま天高く振りかぶる。
その一連の行動の先にある結果を理解したクラスメイトは、口々に「止めろ」だの「ダメ」だの喚き始める。しかし、誰一人として体を張って止めにくる奴は居ない。
ずいぶんと、クラスの皆に慕われているじゃないか。
「そういや、この間と立場が逆だな――」
「やっ――
「止めるかよ」
ゴガンッ! と机の角を思い切り床へ叩きつけた瞬間、教室が一気に悲鳴に包まれた。女子の大多数が顔を覆い、中には泣き崩れている奴も居る。
男子も同様だが、ほとんどが呆然としていた。
「アホくさ」
叩きつけた机を投げ飛ばすと、そこからは目をむき荒い息を吐きながら震える斎藤が、
せっかくクラエスの魂を籠めた竜核式神器を手に入れたんだ。こんな奴のために、俺の未来が閉ざされてなるものか。
「全員、よく聞けッ! 急に強くなったのは、賄賂を渡しているからだとかクソくだらないことを言っている馬鹿が居るが、そんな訳あるか!
陰口を叩いているグループを睨みつけ、良く聞こえるように大声で言うと、そいつらは、サッ、と目を逸らした。小動物のような習性に、同じ人間か、と情けなくなる。
「お前も、文句があるなら今日の実技訓練で組むぞ。それで勝てば、お前が一番、強い。負けたら弱い。早い話だろ?」
当たり前のことを笑顔で言うと、斎藤は顔を真っ赤にしながら立ち上がった。そのまま芸もなく、再び俺の胸倉を掴もうとした――その時。
「今の音は何だ! 誰か答えろッッ!」
異常に筋肉質な教師――学年主任が教室に怒鳴り込んできた。
投げ飛ばした音も、机を床に叩きつけた音も全て外に響いている。しかも、女子の悲鳴つきで、だ。
朝礼前のこの時間で騒いでいれば、すぐに教師が駆けつけてくるのは当たり前だ。
「何を喧嘩しているんだ? どっちから始めた? 答えんかッッ!!」
短気な学年主任は、言葉の切れ目を待っている俺が
俺よりも、俺を掴んでいる斎藤が居るにも関わらず。
「斎藤が転んで、机を倒しただけです」
「テ……メ……」
ことの次第を告げると、振り上げた拳を、教師が居るから振り下ろせない斎藤が唸りながら睨みつけて来た。
それでも、教師は注意をすることはない。
「獅童はこう言っているが、本当か?」
学年主任は、教室の壁際に寄っている生徒たちを睨みつけるように見渡した。
「黙っていたら分からんだろうッ! それでも、神器遣いになるために来たんかッ! さっさと答えろッ!!」
鼓膜を潰す勢いで学年主任が生徒たちを怒鳴りつけると、一人、また一人と口を開き、声を出し始めた。
「そっ、そうです……」「彼が転んで――」「一人で暴れて」「しっ、獅童君は悪くありません」
こんな序列式の学校では、誰の下につくか。誰の派閥に入るか、がこの先の学校生活に多大なる影響を及ぼす。だから、下の奴らは常に上の動きに注意をしている。
今まで、『国家の裏切り者』や『犯罪者の息子』と散々馬鹿にしてきたくせに、今ので俺の下に着く奴が出て来た。本当に愉快で吐き気がする光景だ。
学年主任も、クラスの異様な雰囲気を理解していても、生徒が
「もうすぐ予鈴が鳴るッ! さっさと机を直せ馬鹿どもが!!」
去り際に、学年主任は俺の胸倉を掴んでいる斎藤の腕を無理矢理ひきはがし、「これ以上、問題を起こすな」と静かに言い放つと出て行った。
「チッ……」
舌打ちと共に、斎藤は俺を睨みつけてきた。
「午後の授業で、テメェを殺す。逃げんじゃねぇぞ」
「はっ――!」
「残りはテメェだけだ」と言おうと思ったが、ここでまたそれを言うと元の木阿弥なので控えた。
しかたがないので、
「いっ、良いから。獅童君は座ってて」
「そうそう。自分の机は自分で直すから」
このクラスは、
なんとも可哀想なもんだ。
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