転換ー6
「学校の警備だろうな……」
あれだけの騒ぎを起こしたんだ。あの時間にランドリーに居るのは俺しか居ない。俺に聞きに来るのは当たり前だ。
「ドアの前に二人。外に三人居る」
「そんなことが分かるのか?」
「この程度であれば、当たり前だ」
「武装はしているか?」
「全員、鼻につく物を持っている」
鼻につく――刺激臭という意味で考えるのであれば、拳銃やそれに
学園の生徒に話を聞くだけでこれだけの騒ぎを起こすなんて、ちょっと過敏すぎやしないだろうか?
クラエスと話をしていると、しびれを切らしたのかドアを強めにノックしてきた。
「はいはい」
立ち上がり、クラエスに隅っこへ隠れておくように言ってから、電話へ向かう。受話器を取ると、ディスプレイいっぱいに、オッサンの顔が映し出された。
「はっ――はい……、何でしょうか?」
なるべく、少しだけ怯えたような声を出した。
「
「そそっ、そうですが……」
ディスプレイに映るオッサンは、あえてそうしているのか画面いっぱいに映ろうとカメラに思い切り顔を近づけてくる。
「ランドリーで、暴行事件があった。あの時間帯は、君がいつもあそこで洗濯をしていると、
「そっ、そうです……。間違い……ありません……」
力なくそういうと、警備のオッサンは背後を振り向き、頷いた。後ろに控えている警備の人間と何か話しているようだった。
「率直に聞くが、あの暴行事件は君が引き起こしたのか?」
「ちちち、違います……。僕じゃ、僕じゃないですっっ!!」
声を震わせ、最後はのどから必死に声を出すあまり、叫ぶように答えた。ちょっとやり過ぎてしまったかもしれない。
「そうか。では、誰がやったか見たか?」
「変な――変な、真っ黒い、変な人が突然、現れて! 怖くなって、僕! 僕は、逃げただけです! 何もしていませんッ!!」
「分かった、分かった。誰も君を疑っていない。ただ、私たちは、犯人を見た人を捜しているだけだ。それで、その真っ黒い人というのはどんな姿をしていた?」
落ち着かせるというより、面倒くさい、といった表情と声色で、ディスプレイ越しの警備のオッサンは答えた。
あと一押しだ。
「ランドリーに入ってきて、いきなり暴れ出したから……。全然、黒いことしか覚えていないです……」
先ほどと似たようなことを力なく話すと、警備のオッサンは大きくため息をついた。
「そうか。分かった。相手が何者か確認することもなく、怖くなった君は、臆病にも逃げ出してしまった、という訳だ」
ハンッ、と煽り馬鹿にする口調で言う。安い挑発とは、まさにこのことだろう。
この程度で、俺がボロを出すとでも思っているのだろうか?
「すすっ、すみません! すみません、すみません、すみません、すみません、すみません」
「あー、分かった、分かった。もういい。分かったから、もう受話器を置け」
「はい。すみません。本当にすみません――」
受話器を完全に置く前に、通話口をガチャガチャと二、三度、本体に受話器にぶつけてから置いた。
そして、ヨロヨロとその場に跪き、両手で顔を覆った。なるべく荒い息を吐き、消耗しているという姿を見せなければいけない。
その態勢を数分維持していると、玄関前から
予想通り、玄関の覗き穴から
受話器を置いて、いつも通りの足取りでリビングに戻っていたら、今ごろ武器を構えた恐い人たちが家の中になだれ込んでいただろう。
大きな足音を立てないようにリビングまで戻ると、ぬいぐるみ型のビーズクッションを抱きしめたクラエスが、俺が指示した通り隅っこに座っていた。
「演技が上手いな」
ぬいぐるみを抱きしめ、俺を恨めしそうな目で見ながらそんなことを呟いた。
「分かるのか?」
「初めは、騙してやろう、という気持ちが漂っていた。だが、次第に本気の気持ちが漂いだしたと思ったら、最後は相手を見下し馬鹿にする気持ちが流れて来た」
「とんちか? 哲学か?」
何を言いたいのか分からず、クラエスに聞き返す、しかし、クラエスはぬいぐるみで顔を隠してしまった。
「まだ下手だったか?」
演技は、上手くなった方だと思う。現に、警備の人間は俺の言葉を信じて帰っていった。
「違う。私でも、ユキトの感情が表に出るまで――本気で騙そうとしたときは分からなかった。それが、酷く悲し……」
「どういうことだ?」
「そんな風にしないと生きていけなかったのが、とても悲しい。ナリノリの言っていた通りになってしまった」
どうしてここで父さんの名前が出てくるのかが分からなかった。
「なんで父さんが出てくるんだよ?」
「ナリノリから聞いたユウトと、今のユキトは違っている。ナリノリは、苦労をかけてしまった結果、
「だから、どういう意味だよ? もう少し分かるように言ってくれないと分かんないぞ」
どうにも要領を得ない言葉に対し理解に苦しむ。クラエスが何について話そうとしているのか、何を伝えたいのかが分からなかった。
「ユキト、座ってくれ」
「あっ? あぁ……」
正座の文化が無いのか、クラエスは胡坐をかいて座ったので、俺もそれに続いて座る。
「ナリノリの勇気ある行動で、失われつつあった我々の尊厳は守られた。しかし――」
思いつめた顔をして、クラエスは俺の手を握った。
ぬいぐるみを強く抱きしめ過ぎていたのか、俺の手を握るクラエスの手は血の通いが悪く白くなっており、いやに冷えていた。
「――しかし、だからといって、他の誰かを不幸にしてまで尊厳を取り戻したくはなかった。それが、我々に尊厳を取り戻させてくれた、恩人の家族というのであればなおさら」
話している最中から、クラエスは瞳に涙をいっぱいにため、終には大量に流し始めた。
声には、よほど後悔しているのか口惜しさと情けなさが入り混じった、感情的な物が多く含まれていた。
先ほどまで見せていた、カッチリとした規律正しい話し方をしていたクラエスとは全く違っていた。
「すまない。申し訳ない。私がもっとナリノリを信用していれば、こんなことにならなかったかもしれない。私がナリノリからお父様の魂を受け取らなければ、もっと違う結果になっていたかもしれない。何をどう言葉にしたら良いか分からない私は、こんな軽い言葉しかユキトに伝えることしかできない……」
クラエスは謝罪の言葉を口にしながら、俺の手を自らの両手で包み込むように握り、そして、祈るように頭を下げた。
「――確かに、事情は聞いても訳が分からない話だし、そもそも、何で他人のために俺たちがこんな辛い目にあわなきゃいけないんだって気持ちが強い」
俺の心からの本心を口にすると、ビクリ、とクラエスの肩が震えた。
「でも、クラエスの話を聞けば、父さんが勝手にやったことだって分かるし、クラエスが謝るようなことじゃない」
「それでも――!」
先ほどよりも酷い泣き顔になったクラエスが顔をあげる。
「――、我々のために誰かが不幸になってほしくはなかった。勝手な話だが、ナリノリの家族には幸せになってほしかった!」
「ありがとう。クラエスは優しいな」
そう優しくいうと、ダムの決壊のようにクラエスの瞳から一気に涙がこぼれ落ちた。正座している俺の膝――制服に涙が落ち、瞬く間に飲み物をこぼしたようなシミになった。
不安定になっているクラエスの手を、空いているもう一つの手で優しく包み込む。
「クラエスは、自分のところにお父さんが戻って来てくれて嬉しかった?」
「もっ、もちろんだ! 先ほども言っただろう。我々の尊厳を取り戻してくれた。これほど嬉しいことはない」
「違う。クラエスの気持ちだけを聞きたい。クラエスの本当の気持ちを」
そう問うと、クラエスはポカン、とした表情で俺を見やり、そして少し照れた表情で小さく呟いた。
「凄く――嬉しかった。恥ずかしい話だが、久しぶりにお父様と遊び、共に寝た夢を見た。幸せで――本当にとても幸せな夢だった。家族の温かさを思い出した」
その夢が、思い出がよほどいい物だったのか、クラエスは顔だけではなく、手も腕も真っ赤にしながら語ってくれた。
「良かった」
「よっ、良かった……?」
「少なくとも、今回の話に一人は幸せになれた人が居たってわけだ」
そうは言っても、俺たちの境遇は変わらない。今後も、変わることなく酷い道が続くだけだろう。
しかし、こうでも考えないとダメだ。俺の心がダメになってしまう。
「そんな……私のことは――」
「よし。湿っぽい話はここまでにして、ご飯を食べよう。お腹いっぱいの方が落ち着けるし、クラエスも長旅で疲れているだろう」
すぐに気持ちを切り替えられるほど俺は器用じゃないが、こうした方がお互いに最良だろう。
俺も腹が減っているし、俺が夕飯の提案をすると、クラエスのお腹からコロコロと可愛らしい虫の声がした。
「こんな時間だから……。クラエスは、冷食でも良い?」
「食事を貰えるだけで感謝をしたい。ここ最近、まともな物を食べていなかったから」
「はははっ。分かる、分かる」
なんせ、あんな格好で俺のところまで来たんだ。まともな食事がとれているとは到底、思えない。
お金をかけないようになるべく自炊を心がけているけど、疲れてやる気が出ないときは冷食や総菜を食って凌いでいる。我慢すればいい話だけど、それでは体が作られない。
何でも良いから、体を作る物を腹にため込まななければ、あの学園で生き残るのは困難だからだ。
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