転換ー3

 学校へ着くと、案の定、空気が変わった。その理由は、もちろん頭に張られたガーゼだろう。

 止めといた方が良いとは思いつつ、血で髪の毛が固まっていたのが気持ち悪かったので、頭を洗ったから再出血してしまった。

 頭を洗ったことでカサブタが溶け、血行が良くなったことで再び開いた傷口から盛大に血が流れた。一応、ガーゼを貼ったけど、ときおり押さえ直さないと剥がれてしまう。

 いつもどおり自分の机に向かい、椅子に座る動作の最中に、椅子や机に細工されていないか見る。昨日、あれだけのことをやって来たので何か仕掛けてくると思ったが、椅子にも机にも――その中にも何の嫌がらせもされていなかった。

 拍子抜けしてしまったが、そのまま静かに座り続け、先生が来るのを待った。

 先生は5分もしない内に教室に来た。黒ぶち眼鏡をつけた、若い先生だ。

獅童しどうさん。そのガーゼは何ですか?」

 先生は教室に入るなり、俺の頭に貼られたガーゼについて聞いてきた。

「馬鹿だから、脳みそがこれ以上こぼれないようにしていると思いまーっす」

 昨日、喧嘩を売って来た斎藤が教室に――その外にまで響き渡るくらいのバカ大声で言った。それに合わせて、取り巻きがゲラゲラと笑う。

「静かにしなさい。――それで、そのガーゼは何ですか?」

 いつも通りのことなので、生徒の言葉に反応することなく先生は俺に聞く。

「角で頭をぶつけただけです」

 「だから、ボク、馬鹿になっちったー」と後ろの席から奇声が飛ぶ。どんな間抜け面で奇声を上げているのか想像がつくのが、あいつの凄いところだと思う。

「気をつけなさい。そのようなことでは、良い神器遣いになりませんよ」

 全く思っていないことを、さも大切なことのように先生は話した。

 ちなみに、ここで本当のことを言っても信じてもらえる可能性は皆無だ。証拠がないし、なにより、俺が最下位だからだ。

 俺が嘘をついたことで、真実を知る奴らは再び大爆笑した。



 今日も、いつもと同じようにトレーニングスーツを洗う作業に入る。この作業が無ければ、もう少し長く神器を遣うトレーニングができるが、洗濯の手間を考えるとそうも言っていられない。

 しかも、金曜日ということもあって、普段はインナーのトレーニングスーツだけを掃除すればいいが、今日は週末なので靴の洗濯もしなければならず時間がかかる。

 手洗いで泥を落としてシューズランドリーに入れる。シューズランドリーは数が少ないうえに一度で洗える数が少ないので、数をこなそうと思うと必然的に手洗いをするしかない。

 ゴシゴシ、と靴を洗っていると、ランドリーの天井にはめ込まれた電灯に明かりが灯った。

 暗かった手元が明るくなり、見えなかった汚れが明るくなることで見えるようになってしまった。

 そのことにやる気を落としていると、目の前に影が落ちているのが見えた。

「だっ……!?」

 いつの間にそこに立っていたのか。これでもハブにされているが、少なくない時間、訓練をしている。そのおかげもあり、一般人よりは気配に敏感になっているはずだった。

 それを正面から、しかも影が落ちてくることで分かるくらい近づかれてから分かるなんて……。

「だっ、誰だ……?」

 洗濯物を持って来た生徒だと思ったが、目の前に立っていたのは頭からスッポリと外套を被った人間だった。足元は、布を重ねて皮ひもで縛っただけのような簡素な靴とは呼べない物。

 そいつは朝、登校途中に出会った奴だった。

「なっ、何の用だ? ここは、部外者以外立ち入り禁止だ」

「…………」

 俺が注意しても、相手は何も聞こえていないかのように黙っている。もしかしたら、言葉が分からないのかもしれない――と思ったが、朝は普通に話しかけて来た。

 あれだけしか、言葉が分からないのだろうか?

「言葉は分かるか? ここは、神器使いの学校だ。警察ではなく、軍隊がやってくる。軍隊だ。分かるだろ? 困るだろ? なら、出て行け。早く」

 身振り手振りで出ていくように示すが、外套野郎は動こうともしない。それどころか、少しだけ顔を上げて俺を睨んできた。

 頭はフードで。顔は布を巻いているので、表情は分からなかった。ただ、真っ赤な炎のような目がこちらを見ているのが印象的だった。

「早く出て行かないと、警備を呼ぶぞ」

 注意をしても出て行かない浮浪者に対して、先ほどよりも強い口調で言う。しかし、浮浪者は微動だにすることなく、俺を見続けている。

「聞いて――」

「お前の名前は、獅童しどう幸徒ゆきとで間違いないな?」

「なっ?」

 言葉が分かるのか?

 いや、そもそも何で俺の名前を知っているんだ?

 どこかって会ったことがあったか?

 記憶を漁っても、今朝のあの一度くらいしか覚えがない。それ以前の記憶を漁ろうにも、ここのところ、世間一般からの嫌がらせが酷かったので記憶が飛び飛びだ。

「……違うのか?」

 浮浪者は首を傾げて、こちらを見る。コミカルな動きだが、視線は俺から外すことなく見つめている。

「だったら、何だ? 悪いが、興味本位で話しかけているんだったら止めてくれ。迷惑だ」

 拒絶の言葉を口にするも、浮浪者は気にかけたようすもなく、再びジッと俺を見る。

 そして、口を開く。

「この国に来てからというもの、の調子が悪い。人違いをしたかと思ったぞ」

 言葉は自分に向けているが、声色はやや不機嫌な色が混ざっていた。

 そして浮浪者は、懐から茶封筒を取り出した。

「俺にか?」

「そうだ」

 渡された茶封筒は、シミや破れが酷く、一見してゴミのように見えた。それでも大切に扱われてきたのか、中に入っていた便箋に痛みはない。

 恐る恐る、封筒サイズに折られた便箋を開き、中の手紙を読んだ。

「おい……。何だよ、これ……!?」

 斜め読みする前に、これを誰が書いたのか分かった。これを書いたのは、まぎれもなく俺の父親――獅童しどう成典なりのりだ。

「父さんと会ったのか!? いつ!? どこで!?」

「あぁっ!? なんだ、こいつはッ!」

 この手紙を書いた父さんの居場所を聞くために、目の前の浮浪者を問い詰めると、ランドリーの出入り口から馬鹿丸出しの、素っ頓狂な声が響いた。

 昨日今日と――いや、入学当初から喧嘩ばかり売ってくる馬鹿なクラスメイトだ。

 斎藤たちは昨日と同じ日程で訓練をしていれば、あと1時間は来ないはずだった。だが、今日は金曜日。週末ということもあって、早く上がって来たのかもしれない。

 よりによって、こんな面倒くさい奴が来るとは……!

「おいおいおい。部外者を入れるとは、どういう了見だ? 臭い、臭いお友達か? 汚いもん同士お似合いだな」

 ゲラゲラと笑う取り巻き。馬鹿は、ジャリジャリと必要以上に靴を鳴らしながら、こちらへ向かって歩いてきた。

 この浮浪者に早く出て行くように言いたかったが、この手紙のことをもっと聞きたいので、追い出す訳にはいかない。かといって、このままここにいれば、部外者ということで警備に捕まってしまう。

「あぁ~? 何持ってんだ?」

 どうすれば最善か考えていると、目ざとく俺が持っていた手紙に反応した。

「うっひょ~! こいつ、ラヴレター貰ってんぜぇ!」

 どこの世界に、茶封筒と白便箋でラブレターを書く奴が居るのか教えて欲しい。たぶん、こいつは貰ったことがないから、どういった物で書かれるのか知らないんだろう。

 だが、小学生にも上がらない知能のこいつらは、ラブレターと聞いた瞬間、発狂したように奇声を上げ始め、すぐに「うげ~! うげうげうげ!」「キモイ! 果てしなくきめぇーーーー!!!!」と各々、叫び始めた。

「おい、貸せや。俺が特別に読んでやるからよ」

 俺の手から便箋を盗ろうとしたところを、寸でのところで避けた。

「お前さ。分かってんのか? 舐めたことしてっと、脳漿叩き出すぞ」

 こめかみに血管を浮きあがらせ、再び、俺から便箋を盗ろうと手を伸ばして来た――が。

「なんのつもりだ?」

 浮浪者が先ほどとは全く違う、冷たい声を発しながら、斎藤の頭を掴んだ。

「ガッ!?」

 メキメキメキ、と斎藤の頭からおかしな音が出始めた。足に力が入らなくなっているのか、ゆっくりと千鳥足で右へ左へとフラフラ動いている。

 頭を浮浪者に掴まれているだけだ。しかし、どれだけ激痛が走っているのかその顔は真っ赤に染まり、目を開き過ぎて飛び出しそうになっている。

「オガッ、オガッ、オガッ!!」

 不明瞭案言葉を叫びながら、斎藤は頭を掴んでいる浮浪者の手を外そうと暴れるも、その手は外れるどころか全く動く様子がない。

 それどころか、斎藤の体が少しずつ浮きあがり始めている。クラスの中でも、かなりガタイが良い。にも関わらず、浮浪者の手によって浮き始めた。

「やっ、やえ――止えて……」

 頭を掴まれている斎藤は、痛みからか涙を流し始め、鼻からは血を出し始めた。そして、口からは許しを乞う言葉が情けなくこぼれている。

「止――」

「口を閉じろ」

 浮浪者はそのまま振りかぶると、斎藤を思い切り洗濯機へ叩きつけた。

 ドガシャッ、とプラスチックが爆ぜる音と共に、金属板がへこみ歪む音が、ランドリー全体に響き渡った。

 一瞬の出来事。一瞬の破壊音と同時に襲ってきた静寂と、ピクリとも動かない洗濯機に頭を突っ込んだ光景と、この空間が異質なせいで、目の前の状態が何なのか理解できなかった。

「貴様らの汚らしい言葉はあまり理解できないが、侮辱しているということだけはすぐに分かった」

 振り返り、残りの取り巻きを睨みつける浮浪者。

 睨まれた取り巻きたちは、先ほどの光景を見せられたことで、抵抗する気も逃げる気も起きなかったのは、声と体を震わせるだけだった。

「殺しはしない」

 そう呟くと、俺の眼の前から浮浪者が消え、次の瞬間にはランドリーに嵐が巻き起こった。

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