転換ー2

「くっ……そっ……」

 冷たい床から顔を上げると、そこには半分、固まった血だまりが出来ていた。

 髪の毛を触ると、若干しっとりとした触り心地と共に、赤黒い粉がポロポロと落ちてくる。出血量は酷かったようだが、それほど深い傷ではなかったらしく、出血はすでに止まっていた。

てぇ……」

 ズキズキと痛む頭を庇うように押さえて立ち上がり、近くに転がっていた椅子を立て直して座る。

 時計に目をやると、すでに午前3時を指していた。5時間ほど気を失っていたようだ。

 その間、警備員の一人も通らないとは、この学園も警備が手薄なようだ。もしかしたら、倒れている生徒が俺だったから、警備の人間も無視したのかもしれない。

 視界のブレ・・が落ち着いてから椅子から立ち上がり、喧嘩する前まで動かしていた洗濯機の中を覗き込むと、案の定ドロドロのトレーニングスーツが入っていた。

 しかも、ご丁寧に俺の財布と携帯まで一緒に。

「チッ……」

 ビチャビチャのなってしまった財布を取り出し、棚の上に置いておく。携帯は防水なので浸水の問題は無かったが、踏みつけた状態で地面にこすりつけたのか画面が擦れて真っ白になってしまっていた。

 携帯に関しては誰からも連絡が来ないから、当分、このままでも問題ないだろう。

 財布に関しても、金なんてあってないような金額しか入っていなかったのでましだった。まぁ、小銭も盗まれていたが。

 洗濯を初めからやり直すために、嫌がらせで入れられたトレーニングスーツを取り出し、別の洗濯機に入れて回す。

 すでに洗い終わっている分に関しては、乾燥機に入れておけばいい。

 こういったことはよくある。たまに「このまま死ぬのでは?」と思ったこともある。

 それでも、誰も助けてくれることは無い。最下位なのが悪い。もしくは、国家の裏切り者の息子だから悪い。そう言われて終わりだ。

 だから、俺はただひたすら生き抜くために必死にならなくてはいけない。

 


 洗濯乾燥した物を洗濯済の棚に入れた時には、時計は午前5時を指していた。東の空は紫色になり始め、もう朝と言って差し支えない時間帯になっていた。

「いったん、家に帰らないと……」

 家に帰って自分の服の洗濯と、頭の出血痕をとるために風呂に入らなくてはいけない。

 成績優秀者トップクラスには、学園が寮を用意しておりそこに住むことになっている。それは、神器遣いの卵が学園の外で事件に巻き込まれないようにする配慮と共に、他のトップクラスにギリギリ指がかからなかった生徒への見せしめのためだ。

 「上へ行けばこれだけ良い生活ができるぞ。しかも、給料も出るぞ」という、とてもとても分かりやすい。

 そのため、この学園では凄まじいほどの競争が行われている。成績優秀者は常に上を目指し、その下に居るものは死ぬ気で上を目指す。

 対して、俺のような『成績に不備がある生徒』は実家から通うか、アパートを借りるしかない。

 従属獣レイバーの襲撃に寄り焼け野原になった土地に、この神代かみしろ学園は建てられた。その後、神代学園を中心として復興が始まり、今では一大繁華街となっている。

 そのため、学園付近のアパートやマンションは高くなってしまっている。父親が残した財産や母親の保険金があるとはいえ、妹の治療費もあるので無駄遣いができない。

 なので、郊外のさらに外苑にアパートを借りて、毎日そこから学校に通っている。

 授業は、午前8時30分から始まる。予鈴がその5分前なので、それまでには教室に居なければいけない。

 最近、やっと手に入れることが出来た自転車のおかげで、徒歩で通っていた頃よりも遅く出られる。しかし、学校の駐輪場には停めておくことができないので、近所にある保護者が居る神器を研究する、『疑似核研究所』の駐輪場まで行かなければいけないので、やはりやや早めに行かなければいけない。



 自宅に帰ってから、洗濯に風呂にと色々やっていたら登校時間になってしまった。朝食は、そこら辺にあった物を適当に摘まんで家を出る。

 いつも通り学校へ向かって自転車を走らせていると、大きな紙――地図だろうか?――を持った、ボロボロのみすぼらしい服を着た人が前からこちらへ歩いてくるのが見えた。

 頭まですっぽりと被る外套(?)と、汚らしくボロボロになったリュック。足は、布を巻きつけて皮ひもで縛り上げた、靴とは言えない靴を履いている。

「(浮浪者か……)」

 従属獣レイバーにやられたとはいえ、この国は他国に比べてだいぶ裕福だ。神器遣いという戦力を幼少期から育てることが出来るくらい、この国は様々なことに金をかけることができる。

 そんな裕福な国で地道に働いて金を稼ごう、と他国から労働者が流れ込んでくる。もちろん、その考えをただの学生である俺は否定をしない。

 生きるためには必要だし、こういった労働力は必要だ。しかし、前から来るのは明らかに働いている人の格好ではない。

 ならば、不法居住者と考えるのが普通だろう。

 早朝の、まだ人通りが少ない道で見た人が俺だったんだろうか、浮浪者は俺を見ると手を振って来た。

「すまないが――」

「バス乗り場は、向こうに徒歩で10分くらい。交番なら、ここから南に歩いて大通りに出てから、東へ20分。お金がないなら、コンビニがバス停の近くにあるから、そこまで頑張って歩いてください」

 物取りだった場合を警戒し、カバンを体の横――浮浪者から一番、離す形で背負い直し、道順を説明する。そして、すぐに「失礼します」と頭を下げて離れた。

 相手が何者であれ、格好を見れば関わっていい人間と、そうでない人間と分かるつもりだ。あれは明らかに後者。

 それに、こんなところを他人に見られたら、またよくない噂を流されかねない。

 特に最近は『竜と太陽の神話会』といった宗教団体がテロ活動を元気よくしているので、そういった奴らの可能性もある。

 この竜と太陽の神話会というのは、『竜核には竜の魂が封じ込まれており、その魂を開放するのが我々の役目だ』とのたまっている連中だ。

 そもそも、俺がこいつらを警戒する理由が、父さんが博物館から国宝の神器を盗み出したのは「神器に閉じ込められている、竜王の魂を開放するため」と、竜と太陽の神話会が大々的に宣伝したからだ。

 しかも、『解放者の息子』として、この宗教団体から度々、接触があったので注意が必要だった。あの時期は、噂が酷く本当に辛かった。

 そういったこともあって、知らない人とはなるべく話さないようにしている。自衛のためだ。仕方がない。

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