第5話(part3)「隣に引っ越してきたアンドロイドです」「しんちゃん、大変よ!」

 ここのマンションの壁が厚いのか二人が住む部屋からは、隣の部屋で誰かが住んでいるような生活音は一切聞こえてきたことはなかった。


「それじゃ鳴らすぞ」

「いつでもどうぞ」

 リクは軽く息を吐きだすと、扉のすぐ隣についているピンポンに指を近づけた。

 人と対面するときは少なからず緊張を覚える。それは隣に立っているアンも同じようで、心なしかいつもその顔に浮かべている微笑みがこわばっているように思えた。


 リクは再び真剣な表情で目の前の黒い扉に向き直すと、伸ばしている指をそのまま動かしピンポンを鳴らした。


 扉の向こうからかすかに聞こえてくるピンポンの音。その後流れる一瞬の沈黙に二人の緊張は高まる。そしてその音に反応するかのように「はーい」という若い女性の明るい声と同時に、徐々に大きくなってくる足音が聞こえてきた。


 そして、サンダルを履いているのか地面をする音が聞こえたかと思うと、勢い良く目の前の扉が開かれた。

 出てきたのは肩にかかりかけの茶色い髪の毛の毛先を巻いている女性だった。


「あらどちらさま?」

「初めまして、数日前に引っ越してきた者です」

 アンは礼儀正しく腰をきれいに折り曲げると、目の前のスウェット姿の女性に深々とお辞儀をした。

「これから何かご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、よろしくお願いします」

 リクもその後にアンと同じく深々とお辞儀をする。


「あ! そうなの? 私ったらこんな格好ではしたない……。ごめんなさいね」

 女性はおどおどと慌てた様子を見せながらも、その顔は笑顔だった。

「急に来てしまったのは私たちの方ですからお構いなく」


 アンは顔を上げながらそう返す。リクも顔を上げ、目の前の女性を改めて眺めたが先ほどまで家の中にいたというのに、その顔は男でもわかるほどしっかりと化粧がされていた。


「あ、ちょっと待ってね。しんちゃーん! ちょっと来てー」

 女性は急に家の中に向かって叫びだしたかと思うと、家の奥の方からドタドタという騒がしい足音の後に、後ろ髪が寝癖ではねまくっている女性と同じ色のスウェットを着た男性が、慌てたように走ってきた。


「りっちゃん、一体どうしたんだい?! あれ、この人たちは?」

 男性は眠気眼をこすりながら、りっちゃんと呼んだ女性の隣に立つとリクたちに目を向けた。


「この間隣がドタドタしてたじゃない? やっぱりあれ心霊現象じゃなくてお隣さんだったみたい」

「ああ、やっぱり誰か引っ越してきてたんだ」 

 男性は少し安心したような表情を見せながら、二人の顔を見る。


「わざわざあいさつしに来てくれたんですって」

「それはご親切に」

 男性は片手で寝癖を抑えながら、軽く頭を下げる。それにつられるように二人も再び頭を下げる。


「それにしても美男美女ねー。お二人は夫婦なの?」

「いえ、私たちは夫婦じゃないんですが、ちょっと特殊で……」

 アンが珍しく言葉に詰まる。


「ああ、なにやら複雑な関係ってことね。私たちはどんなお隣さんでも気にすることはないわよ。ねえしんちゃん」

「ああ、そうだな」

 よく見ると、二人はいつのまにかごく自然に手をつないでいた。そしてその手には結婚指輪がまぶしく光っていた。


「お二人は仲がいいんですね」

「まあ……新婚だし?」

「それにしても俺らは仲がいい方だろ」

 男性がそう言うと、女性は嬉しそうに彼に向かって微笑みかける。このまま放っておいたら二人の空間に入ってしまいそうなほど、ふたりはラブラブに見えた。


「えっと、私はアンと申します」

「リクといいます」

 アンとリクは戸惑いを隠しながらそう挨拶をする。


「私は仲井凜なかいりん。主人は慎吾しんご。これからよろしくね」

「改めてよろしく。初めてのお隣さんが怖そうな人じゃなくて良かったよ」

 紹介された男性のほうが、笑いながらそう話すと女性の方もにこにこと笑いながら「ねー」と返していた。


「あ、一つ言わないといけないことがあるんですが」

「言わないといけないというよりは知っておいてもらわないといけないことだな」 

 アンとリクの発言に二人そろってぽかんとした表情を浮かべる二人。


 そんな二人をよそめにアンとリクは夫婦に背中を向くと、髪の毛を持ち上げて首筋を見せた。

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