第8話(part4)「これはどういう状況だ?」「仕方なくよ」

 「こうやって見ると普通に誠実でまじめそうに見えるのにね」

 どうしてしゃべるとあんなにどんくさく思えてしまうのかしら。


 そう思いながらアンは緊張が混じったため息をこぼしながら、小指から細いチューブのようなものを引っ張り出した。


「これをこうして……」

 ぶつぶつとつぶやきながら、リクの顔にさらに自分の顔を近づける。

 はたから見ればそれは寝込みを襲う彼女の姿のようにもみえた。



「それで、こうね」

 しかしアンはそんな甘いカップルとは正反対の行動をとる。躊躇することなく小指のチューブをまっすぐ引き延ばすと、そのままリクの左耳に突き刺したのだった。


 リクはチューブが耳の中に入った瞬間、一瞬体を震わせる。しかしそんなことは知ったことがないといった様子でアンは容赦なくチューブを押し込んでいった。


「ちょっと動かないでもらいたいわね」

 痙攣し始めたリクを見て鬱陶しそうにその顔を見つめると、アンはそのままリクの頬に自分の左手を押し当て、動きを止めた。


「これでいいわね」

 アンはそっと微笑むと、チューブを完全に耳の中に押し込み、そのまま小指も耳の中に突っ込んだ。


「これでなんとかなってほしいわ」

 これでどうしようもならなければもはや教授を呼ぶしか手段はないだろう。しかしリクの強制シャットダウンまでに教授が間に合うかは微妙なところだった。


 アンはそんな思案をしながら、そして少しリクの身を案じながら耳の中に突っ込んだままの小指をそのまま90度右にひねった。


 その瞬間リクの体の中から猛烈なモーター音が響きだし、リクの目が一瞬ブラックアウトする。 

 しかしその後すぐにリクの目がホワイトアウトし、ぐるぐると黒目の中心が高速回転し始めた。

「大丈夫そうね」

 そのいかにも危なげな様子を見て、なぜかアンは安堵の表情をのぞかせていた。



 長いようで短いようで窮屈な睡眠から目覚める。いつもと変わらないリビングの匂いと共に、すぐ近くから少し甘い匂いがしていた。

 頭の中が少しぼんやりした感覚を味わいながら、そのまま目をゆっくりと開く。


「私のことわかるかしら」

「……アン」


 そう呼ぶと彼女は全身から緊張を抜くように深いため息をついた。

「どうやらちゃんと成功したようね」

「俺はどうなったんだ?」


 そこでようやくリクは頬についている柔らかい感触に気がつく。

「……どういう状況だ?」

「……仕方なくよ。あなたが急にスリープモードにかかってしまったから強制再起動を試してみたの」

 強制スリープモード? そういえば盆栽を見ていて急に意識が飛んでしまったような気もする。しかしそれは一瞬のことでスリープモードにかかっているなんてr区は想像もしていなかった。


「それにしても強制再起動とはまた手荒な手に出たな」

「だって原因が分からないんだもの。これしか手はなかったわ」

 アンは豊満な胸の上からリクの顔をあきれるように見下ろしていた。

「それでも下手したら全データが消えていたかもしれないんだぞ」

「そうね。でもこのまま放っておいてもどっちみちあなたの頭の中は真っ白よ」

「……それもそうだな」


 強制スリープにかかった場合、システムの全再起動をかけるのも一つの手だ。しかしそのリスクは全データが壊れて、そのまま暗号化、その後削除というめんどくさいものになる。めんどくさいどころか自分記憶データはすべてなくなってしまうのだ。


「しかもその確率は50パーセント……。よく決断したな」

「あら、強制再起動ってそんなに低い確率だったのね」

 それを聞いてリクは少しあきれてしまう。確率の計算もしないでアンは他人の体に負荷をかけたのか。でもこうして話せているのも確かにアンのおかげでもある。


「まあ……ありがとう」

「いいのよ」

 それを聞いてアンは満足したのか、耳から接続チューブを引き抜く。なるほど、自分の中核機能とチューブをつなげて、再起動をかけたのか。


 一瞬耳に違和感を覚えながらリクは一人納得していた。

「そういえば、どうしてスリープモードに入ったりしたの?」

 そういえばどうしてだろう。アンにいわれるまで大して気にならなかったが、リクは意識が途切れる直前の記憶をたどった。


「…………」

「思考の混乱かしら?」

「……いや、その逆だな」

「逆?」

「なにも考えなさすぎて、思考がフリーズしたんだ。一時シャットダウンと同じ状況になったが体は正常に動いている。それに中核機能が混乱したのかもしれない」


 もしかしたらもっとひどい理由かもしれないが。


「それってつまりただただぼんやりしてて、うたた寝状態みたいなこと?」

「そうともいえるな」

 返答も少し気まずいものになってしまう。アンはその返答を聞いてあきれたように首を振った。


「少しでも心配して損したわ」

「心配してくれたのか」

「多少わね。今はこの無駄な時間を返してほしいくらいだけれど」

 アンは急に辛らつになってしまった。まあそれも仕方がないだろう。なにも考えなかったただけであわや実験中止の危機に立たされてしまったのだから。


「……不憫な体だな」

「仮にもアンドロイドが長時間思考を停止するなんて、どうやったらシュミレートするのよ」


 全く持ってごもっともな意見だ。アンドロイドは所詮人間のまねごとをしているだけにすぎない。感情の表現、表情の動き、声色までも思考を交えながら行っているのだ。決して無意識にできることではない。


「案外人間に近づいているともいえるのかもな」

 冗談交じりにそんなことをつぶやくと、アンに上からにらまれてしまった。


「……それよりいつまでここで寝ているつもりなの?」

「ああ、あまりにも寝心地がよくてな。うっかり起き上がるのを忘れてたよ」 

 そう言いながらリクは寝返りをうち、仰向けになる。


 しかし次の瞬間後頭部を支えていた柔らかい感触が消え、直後に堅い床が接触し部屋中に鈍い音が響いた。


「何するんだ」

「あなたこそいつまでそうしているのよ。それに髪の毛がチクチクするのよ」

 アンが少し不満そうにそう言う。リクは若干の名残惜しさを感じながら、起き上がると自分の定位置へと戻っていった。


「ちょっとは何かを考えていなさいよ」

 そんなリクを見てアンは今日何度目かのあきれた表情を見せながら、自分の盆栽作業へと戻っていった。


 リクは再びそれを見つめるのだった。ときたま思考が停止しないように微妙な笑みをのぞかせながら……。

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