第1話(part4)「実験を始めよう」「手始めに一緒に暮らそうか」

「今ここで実験を……ですか?」

「そういうことだ。試しに二人はこれから仮にも恋人同士になるわけだ。名前を呼びあってみてはどうだろう?」

「それにはどういった意味があるんでしょうか?」

 隣に座るアンはさも疑問そうに首を傾げる。

 その疑問を抱く理由もあながち間違っていない。なぜならアンドロイドに通称名はあるものの、それはパピーウォーカーや他人が人間に近い親近感を覚えさせるためのものである。


 そのため、アンドロイド同士で通称名を呼びあう、そもそも名前を言いあうなど全くもって必要のない行為なのだ。

「名前で呼び合うと、自然と距離感が縮まっていくらしい。二人は初対面だ。距離感を縮めるという意味でも一回言ってみてはどうだい?」

「人同士が名前を呼ぶのにはそんな深い理由があるんですね。……わかりました。呼んでみます」

「私もやってみます」

 ルンバ研究長は今まで一番体を前のめりにしながら二人のことを見つめる。


 隣のアンはそのルンバ研究長の様子からか、気まずそうに体をむずむずとさせる行動をとっていた。

「それでは……アン」

「リク」


…………。


「え? 終わり!? その後に何か続ける言葉は?」

「名前を呼べということだったのでそうしました。その後のことは考えていませんでした」

「左と同じくです」

「もっとお互いのことを知ろうとしようよ! もっと人間らしい積極性を!」

 ルンバ博士は周囲に唾を吐き散らしながらそう叫んでいる。


 そうは言われても先ほどアンの情報は資料で見てしまったわけだし、彼女について何か知りたいことがあるかといわれたら思いつかない。

「わかった! 二人ともまずは向かい合うんだ」

 リクとアンは研究長に言われるがまま椅子を向かい合わせに動かし、向かい合う形で座った。


 アンは横顔よりも正面のほうが美人なような気がした。しゅっとした顔立ちと常に携えている微笑みが正面のほうが映えて見えるのだ。

「さあ、もう一度呼んでみてくれ」

「……アン」

「リク」


 …………。


「だめだ、これ。僕のほうがみじめになってきたよ」

 ルンバ研究長はカラフルな頭に手を当てながら、うなだれるように背もたれにもたれた。


「二人の間に気恥ずかしさとかそういうのは芽生えないのかい?」

「とくには。事務的なものと変わりません」

「これが実験だと分かっているからだめなんでしょうか?」

「そうだよね。この部屋の空気は全く変わらず仕事モードのままなんだよね……」

 ルンバ研究長は少し考え込むように腕を組み始めた。


「そうだ!」

「なんでしょう」

「いまから実験内容は二人に考えてもらうことにするよ」

「といいますと?」


「この研究を始めるにあたって二人には同棲してもらうことになる。もちろん一般のマンションにだ。ということは周りに少なからず夫婦やカップルが存在するだろう。その人たちの行動を真似てみるんだ。そこから見知らぬ感情が芽生えれば研究は成功。これでどうだろう?」

「私たちが自ら研究内容を更新していくということでよろしいでしょうか?」

「簡潔に言えばそういうことになるね」

 二人は同時に考え込むようなそぶりを作る。


「了承しました」

 その二人の声は見事に一致していた。


 その様子を見た研究長はため息をつく。

「こんなに息がぴったりだからうまくいくと願いたいものだね。でも同棲すると聞いても何も感じないんだな。先は長そうだ。研究は明日から開始だ。用件は済んだから仕事に戻っていいよ」

「了承しました」


 二人は研究長に軽く一礼すると、部屋の外に出ていった。扉を閉める直前に再び研究長のため息が聞こえてきたのは聞こえないふりをしておいた。


  その後、リクとアンは特に大した会話を交わすこともなくそれぞれの仕事に戻るのであった。

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