第5話(part5)「隣に引っ越してきたアンドロイドです」「しんちゃん、大変よ!」
アンとリクはどこか固い動きのまま二人とも会話をすることなく自分たちの部屋に戻った。
そしてリビングの定位置に座るなり、二人して深く息を吐いた。
「やっぱり人に会うのは緊張するわね」
「そうだな。でもいい人たちでよかったじゃないか」
「……あれを愛し合っているというのでしょうね」
アンの一言にリクはあの夫婦が醸し出していた独特の甘い空間を思い返していた。
「実に自然だったな」
「そうね。私たちの目指すべきところはあそこなのかしら」
「そうだとすればなかなか難易度が高いな」
「そういえば先輩?」
「どうしたんだ」
「ほとんど私にしゃべらせてたわよね?」
「それは君が最初に仕切りだしたから俺はそれに身を任せただけだ」
「ああいう場面は男性がリードするって私は認識していたけれど」
「そうか? あの夫婦だって凜さんのほうがよく話していたじゃないか」
アンとリクの間に突如として気まずいような険悪のような微妙な空気が流れ始めた。
「それよりもだ」
「それよりも?」
「ああ、この間も言ったが俺のことを先輩と呼ぶのをやめないか?」
リクはリビングに流れる不穏な空気を払拭するように半ば強引に話題を変えた。
「それはどうして?」
「さっきのお隣さんを見てても思ったんだが、やっぱりこのままだと距離感が縮まらないと思うんだ。そしたらいくらいろんな実験をしたとしてもいい研究結果は得られないと思うんだ」
「それもそうね……。それなら私も提案があるわ」
「なんだ?」
「先輩も私の名前ほとんど呼んだことがないじゃない」
そう言われてみればリク自身もアンのことを名前で呼ぶことは少なかったかもしれない。この家の中では話す相手が、彼女しかいなかったため『君』と呼ぶことで通じていたのだ。
「それもそうだな……。それじゃあこうしようか。『先輩』『君』禁止令を発行しよう」
「それは何?」
「相手の名前で呼ぶことで距離感も縮まる。それならいっそのこと相手の名前で呼ぶこと以外を禁止にしてしまおうということだよ」
「これも実験の一環ということね」
「そうだな。そうすればあの二人のように手品のようにいつの間にか手をつないでいるという技もできるんじゃないか?」
「あなた……リクはそんなところまで見ていたの。全く気が付かなかったわ」
「やっぱりあの二人はいろんな参考になるな。興味をもって実感したよ」
「でも名前で呼びあうだけでそんなにうまくいくなんて思いもしないけれどね」
「いったいどんな経験を重ねたんだろうな」
「それを今から研究していくんでしょう」
「君……アンはいつも鋭いところをついてくるな」
リクは名前で呼び合うことで本当に距離感が縮まるのか疑問に思ったが、『先輩』と呼ばれるよりも違和感がなかったため、どこか満足していた。
ふとアンのほうに目を向けると、彼女の横にはそこにもうあるはずがない紙袋が置かれていた。
「アン、それってもしかして……」
「……ええ、実は渡すのを忘れていたのよ」
「そんなミスをすることがあるんだな」
「私だってミスぐらいするわ」
やはりアンもそれほど緊張していたということだろうか。それともあの二人の空気感に負けて渡すタイミングを失っていたというところだろうか。
なんにしてもこれ以上深く追及するとアンはまた怒りそうだ。
「まあ……同情洗剤だからいいんじゃないか。縁起もよくなさそうじゃないか」
「ずいぶんと失礼なことを言うわね。じゃあ……どうしようかしら。この同情洗剤」
「アンも俺といっていることそんなに変わらないからな」
「あら、リクには負けるわ」
アンはそう言いながら立ち上がると、キッチンに向かい紙袋のまま『同情洗剤』と不名誉なあだ名が定着した洗剤を置いた。
そしてその洗剤はうちでは使われることがなかったが、後にたまたま遊びに来ていた凜に無事渡すことができた……らしい 。
第5話 完
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