第七章 審

第31話 罪深き女

 中年の女中に一室へ通され、瞑目して俯き加減で雨の音を聞いていた正成まさなりは、襖が開く音を聞いて顔を上げた。


 ここは、城内のとある一室。御上の密命を受け明徳あきのり殺害や以前から調べていた案件についてひとまずの目途がついた正成は、逸る同僚たちを制して自ら足を運んだ。正成にしては非常に珍しいことだが、この件を他の者に任せたくないという独占欲とも義務感ともつかない執着があった。


 開いた襖の向こうに、二十代から三十代前半と思しき女が端座している。結い上げた漆黒の髪に挿された簪の、赤いびいどろの欠片が目につく。

 廊下から眼前に端座した女に、正成は目を向けた。


「……お前がきよか」

「はい。御庭番の方と伺いましたが……私に何の御用でしょうか」


 清はそう瞳を揺らし、正成に問いかけた。

 当然だろう。正成は何の用についてなのか、取り次いでくれた女中に告げていないのだ。清の唇は固く引き結ばれ、目には不安と苛立ちの色が濃くにじんでいる。これから起こることを強く警戒しているのが窺えた。


 常なら警戒心に火を点け攻撃的にしてしまわないようそれなりに言葉を選ぶのだが、そんな手間暇をかけている余裕は生憎ないのだ。正成は、単刀直入に切り出した。


「……小雪こゆき殿の部屋へ毒瓶を忍ばせたのは、お前だな」

「なっ……」


 清の顔に、明らかな動揺が広がった。


「何故私がそのようなことを! 私は毒瓶など」

「小雪殿は毒を盛る人柄ではない。師もそうだ。ならば、何者かが部屋の箪笥へ毒瓶を忍ばせたと考えるのが妥当。初めは、離れへ入った者らが箪笥を探るふりをして、さも毒瓶を見つけたように振る舞ったかと思ったが……」


 しかし、毒瓶が発見されたその場に居合わせたある兵は、毒瓶は確かに箪笥の中にあったと主張した。他の者たちもそう証言したし、そのときの態度も後ろめたそうな様子がなかったから、真である可能性は高い。ならば、離れの女中の誰かが毒瓶を仕込んだと正成は考えた。


「先ほどゆいから聞いた。お前は小雪殿が捕らえられた日の朝、小雪殿の部屋の掃除をしていたそうだな」

「私は女中です。部屋の掃除をするのが務めです」

「そのとき、小雪殿の持ち物をくすねただろう」

「……!」


 正成が断じる。清の喉が大きく上下した。


「軟禁後に弟子の部屋の箪笥を見てみると、入れてあるはずの簪がなかったと、朱鷺とき殿が言っている。結や兵らがくすねたわけでもない。……お前もくすねていないと言うのなら、お前の部屋や実家を改め、その髪に挿している簪を朱鷺殿に見せても構わぬな?」

「……っ」


 正成の圧力に、清の顔がどんどん青ざめていく。その顔色こそ、何よりも確かな答えだった。


 これは、弟子の所持品を把握していた朱鷺の手柄だ。正成と簪屋で再会したときに購入したもので、かなり高価な品なのだという。弟子が捕縛された後、暇を持て余して弟子の私物を整理していたときに、いつの間にかなくなっていることに気づいたのだそうだ。


 小雪の部屋の箪笥に毒瓶を忍ばせたのが女中なら、くすねていてもおかしくはない。そう推理した朱鷺は、昔馴染みだという旅籠の主人を通じ、正成に結と清を調べるよう頼んできた。監視されている自分が女中を詰問するのは不可能なばかりか、弟子への疑いを深めることになると考えたのだろう。賢明な判断である。


 事件以前に白郷丸はくごうまるにいた女中二人のうち、金に困っているのは清だけだ。結は当人も実家も借金に悩まされておらず、人間関係に問題もなく、何より買収に応じる性質ではない。それは、かつての主であった白千しらちかたが保証してくれている。

 そこで、清を問い質すことにしたのだが――――予想以上に上手くことが運んだ。


 簪を盗んだことを名分に彼女の部屋や実家を改めれば、買収された証拠が出てくるだろう。南町奉行への連絡も済んでいる。小雪の無実を証明するにはまだ証拠や証言が足りないが、最低でも申し渡しを延期させることはできるはずだ。その間に新たな証拠や証言が出てくれば、小雪を釈放することができる。

 そのためには、絶対にこの女を捕らえなければならない。だから正成は再び問う。


「……誰の命で、毒瓶を箪笥へ忍ばせた」

「…………」

「ならば、この者を知っているか」


 俯いたまま答えない清に、正成は懐から取り出した紙を見せた。途端、清の肩や背がびくりと動く。

 愚かな女だ、と正成はつくづく思った。簪を盗んだことといい、自ら破滅へ向かっていく。

 ただ、これもまた正成にしては非常に珍しく――――腹が立った。


野土のづちならば、陥れてもよいと思うたか」

「……………………そうです。それのどこが悪いのですか!」


 正成に責められ肩を震わせた清は、突然声を荒げた。


「金と引き換えに野土を陥れて、何が悪いのです! 所詮は盲目の野土、他人の慈悲失くしては生きていけない卑しい者なのです。ましてや、師以外に身寄りもないとか。死罪にしたところで、誰も気に留めなどしないではありませんか!」

「……」

「それでも、罪は罪だと仰りたいのでしょう。ええ、そうでしょうとも。貴方様は、そのように法を変えようとなさっておられる御上の寵臣なのですから」


 清はそう、片手をついて身を乗り出し、ぎっと正成を睨みつけた。


「私の家は、父の知己だった野土の与太話に付き合ったせいで借金を背負い、土垢つちあかの金貸しに金を借りてなんとか武士の体面を保っているだけの、情けない家…………それでも私を育ててくれた、大切な家です。どんな手を使ってでも守ろうとして、何が悪いのです」

「……」

「捕らえるというのなら、捕らえればいい。少しばかりの幸運で御家を再興なさった貴方様に、私の気持ちなどおわかりにはならないでしょう」


 そうして、逃げ場はないと悟った清の独白はようやく終わった。

 だが、顔――――目は垢落あかおちの子への侮蔑と、己は悪くないのだという自己弁護、さらには他の言葉を雄弁に語っていた。


 清の言い分も、わからないではない。民の上に君臨する武家ではあるが、豊かな暮らしをしているのは一握りだ。家禄を支給されていても多くは経済的に逼迫しており、生活を切り詰めるだけでは足りず、借金を抱えたり副業をしたりしてやっと生活が成り立つ者も少なくない。


 事前の調べによれば清の独白は正しく、清の生家は土垢の金貸しから多額の借金をしている。しかも返済にはまだ五年はかかりそうな額が残っていて、病床の祖父のためには薬が必要だ。土垢に恨みを抱き、大金に心が動くのは当然だろう。


 だがそれを言い訳に、己の罪を否定し悔い改めることのない性根は醜悪の一言に尽きる。盲目の野土であるというだけで小雪を侮辱し、私物を盗み、無実の罪で陥れることを正当化する心のありようは、選民思想に凝り固まった本多ほんだ明徳や三好みよし和信かずのぶとなんら変わらない。身分や職業で人間の尊卑を決める者は、腰に刀を差す者だけではないのだ。


「……連行せよ」


 苦い現実を見せつけられ生まれた感情を胸の奥深くに押し込め、正成は宣告する。背後に控えていた配下が、燃えるような目の清を立たせ、簪を抜き取った。

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