第三章 告
第11話 夜の声
十六夜月の光が降り注ぐ夜。
日の入りと共に一気に大気から熱が失われ、夜風はいささか肌寒い。鈴虫が鳴く時節も過ぎているので、周囲はひたすら静かだ。巡回の武士の足音も、その時間でないからか聞こえてこない。
小雪にとって、ひと月のうちほんの数日しか感じることができない月の光を浴びることはささやかな楽しみだった。盲目の彼女には昼も夜もそう変わりはないのだが、光の存在は感じられる。月は陽光ほど強烈ではないものの、満月かそれに近い太さであれば感知できるのだ。陽光とは違う、冷たくも清らかな光を瞼に受けていると何か別のものが見えてきそうな気がして、眠れない夜は月を見たくなるのが小雪の性癖なのだった。
縁側でしばらく月明かりを楽しんでいた小雪は、ふと思いついて庭先へ下りた。昼に歩いた様子を思い描きながらいくらか前進し、手探りで木を探り当てると、その根元にしゃがんで手を薙ぐように動かす。
すると手に、小指ほどの大きさのものに手が当たった。顔を近づけてみると、ほんのりとした甘い匂いがする。昼間に嗅いだときは、まったくの無臭であったのに。
目当てのものを見つけた小雪は、口元をほころばせた。
これは月釣鐘と呼ばれる、
月下で淡く光る様子は、きっと幻想的だろう。
女中によると白郷丸には、他にも希少な植物が多く植えられているのだという。腕利きの庭師たちが日々枯らさないよう、力を尽くしているのだとか。そちらはどうだろうかと思って、小雪は庭をさらに歩いた。この数日で少しだけ記憶した
その途中、白郷丸を囲む塀の向こうから、不意に声が聞こえた。
「……?」
周囲に憚ってかそれほど大きくなく、よく聞き取れないが、男女二人であるらしいことはわかる。男が女に何か言っているようだ。
こんな夜遅くに、一体誰が話しているのだろう。自分の部屋で話せばいいのに。
疑問に思い、小雪は足音を殺して息をひそめ、数歩先の塀まで歩く。さいわいにして、昼間女中によって掃き清められた庭には小枝一つなく、ゆっくりと歩けば足音を立てずに済んだ。
「……金…………」
「でも…………」
「………………
興奮してか一際大きな声で言いかけ、男は慌てたように口をつぐんだ。周囲を窺うように黙りこくり、一拍置いてからまた話しだす。その声もろくに聞こえてこず、途切れ途切れの単語しかわからない。
やがて声は止み、一人分の足音が遠ざかっていった。それからしばらく間を置いて、先ほどのものよりは軽い足音が離れていく。きっと女のほうだろう。
緊張を解いて長い息をつき、小雪は思案した。
先ほどの会話は、一体誰のものだろうか。男女二人に違いないのだろうが、真夜中の逢瀬というには不穏な声音だった。しかも、『金』だの『明徳』だのといった単語まで聞こえてきている。差別主義の重臣への愚痴を言うようでは到底ない。
漏れ聞こえてきた言葉の切れ端だけでは、何についての話だったのか断定できない。だが、もしさっきの会話が何かよくない企みごとの打ち合わせか何かであったなら、誰か――正成に知らせておくべきではないだろうか。それで助かる人がいるかもしれないのだから。
朱鷺に相談できたらいいのに。しかし朱鷺はすっかり熟睡していて、起こすのは無理だ。
相談は明日にしよう。小雪はそう考え、あてがわれた部屋へ戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます