第15話 影の人
「……そのようなことがあったのか」
「俺は又聞きしただけですけどね」
「いや、助かる。……また頼むぞ」
「へえ」
男は頷き、荷を背負って去る。それを見送らず、
喧騒の絶えない往来をひとつ曲がった小路。人通りのまったくないそこで、正成は巷間を監視する自身番の者から、城下に流布する噂話を聞いていたのだった。
正成の役目は御庭番――将軍の御台所や側室の住まいたる
正成は
御上が和浪藩主であった頃から間諜の役目を負っていた者たちが、御庭番の肩書を得て早数年。御用取次や老中に代わって政治的な意見を求められるばかりか、中奥へ上がることや宴席への参加を許されたり、私的な用を言いつけられたりと御上に重用されている正成は、御庭番衆の中心的存在として周囲に扱われるようになっている。御庭番を拝命しているのが下流の、元々職業や身分による差別意識が薄い者ばかりであることも一因であろうが、正成が
本丸御殿の庭にある詰所で同僚たちと情報を交換し終えると、正成は
将軍家の始祖である帝君自らが指揮をとって造成したという白郷丸の庭園は、城内のどの庭園よりも華美だ。国中から特産の草花を献上させ、一流の庭師に手入れさせているだけあって、冬の最中であっても絢爛とした風情を見せる。特に花が咲く春から夏にかけての季節は、風の向きによっては天守や本丸御殿にもその芳香が広がるのだ。暇を見つけた女中が、さながら花の蜜を求める虫の如く立ち寄るのも頷ける。
建物のほうから、類稀な琵琶の音が聞こえてくる。
池のほとりまで歩いて、正成がそろそろ詰所へ戻ろうかと思ったときだった。視界の端に、顔を伏せた娘の姿が移った。
「
物思いに沈んだ表情が気になって名を呼ぶと、小雪は顔を上げた。
「これは、
「ああ。お前もか」
「はい。先ほどまで白千の方様の御相手をさせていただいたのですが、他の方とお会いになるとのことで、下がらせていただいたのです」
小首を傾け、小雪は苦笑した。しかし、すぐその顔を曇らせる。
正成は視線を動かした。
「……また、誰かに不快な思いをさせられたのか」
「いえ……そういうことではないのですが…………」
正成が尋ねると、小雪は困ったように眉根を寄せ、言葉を濁す。迷いを強く残した様子を見せていたが、やがて意を決したように再び口を開いた。
「浅野様。実は先日、気になることがあって……」
「気になること?」
「本当に、なんでもないことなのですけど……」
小雪はそう前置きして、ぽつりぽつりとその気になることを語った。
聞き終えた正成は、わずかに目線を下に向けて沈思した。
なんともおかしな話だ。真夜中に庭先へ出てみたら、物騒な単語や
しかし、小雪がこんな信じてもらえるかもわからない嘘をつく性格のようには思えない。彼女と言葉を交わしたのはわずかばかりだが、人や物事を疑い探る役目柄、人が嘘をついているかどうか見抜く目は多少なりともあると自負している。その目に、彼女が嘘をついているようには映らなかった。
しばし考え、正成は頷いた。
「……わかった。今の話、しかるべきところにそれとなく伝えておくことにしよう」
「ありがとうございます」
ほっとした様子で小雪が微笑む。面から翳りが消え、いつもの控え目な、慎ましやかな風情が薫った。
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