第13話 言葉散る小路・二
「御上? 何故このようなところに……」
そう御上に問いかけたのは、聞き覚えのある――――そう、宴で
「何でもない。……戻る」
立腹した様子を隠そうともせず、御上は踵を返す。小雪が声をかける間もなく、去ってしまう。
義忠はしばらく呆気にとられていたようだったが、また何かなさったのですね、と
「大方、そこの琵琶師殿のことでしょう。……御上が身分や肩書で人を見定めることを厭う御方であるとは、貴方もご存じのはず。なのに何故」
「ふん。盲いていようと所詮
「!」
「明徳様! 言葉が過ぎます!」
小雪の体温が荒々しい感情で上昇するのと、義忠が明徳を咎めるのはほぼ同時だった。おお怖い、と明徳は少しも驚いていないふうで嗤うと、さっさと退散する。
小雪は、その背に塩でもぶつけたい気分だった。悔しさと怒りがぐるぐると胸中を旋回していて、息が詰まる。
どうしてそんなふうに言われなければならないのか。愛してもいない男に我が身を差し出すなんておそろしいこと、小雪は一度もしたことがない。だのに、盲目だの醜女だのと嘲笑を投げつけられるばかりか、野土の娘であるというだけで春を売る女と何故蔑まれなければならないのか。卑しい女と決めつけられて、憤りを感じずにいられるはずがない。
「……小雪殿?」
心配そうな義忠の声がかかり、小雪ははっと我に返った。
「小雪殿、大丈夫か」
「………………はい、大丈夫です」
気持ちを落ち着けるために何度か息を吐き、俯いていた顔を無理に上げると、小雪は微笑んでみせた。怒りはまだくすぶっていたが、彼に怒っても仕方がない。
「またお助けいただいて、ありがとうございます」
明徳が去ったほうを見つめ、義忠はため息をついた。
「……あの方は、下々の者に対する振る舞いが惨すぎる。有能ではあるのだが……」
そう言う義忠は、本気で残念そうだ。明徳はよほど有能なのだろう。
だが、小雪にはそんなことなど関係ない。どんなに有能だろうと、あのような人物を認めることなんて絶対に無理だ。
「御上は何故、あのような方を放っておかれるのでしょう」
「え」
収まらない怒りのまま、思わず呟いてしまう。義忠が驚いたように息を吐くのに気づき、小雪は自分の失言を悟った。
「あ、いえ、申し訳ありません私…………」
「……いや、そう思うのはもっともだと思う。私が言うのはおかしいが」
意外なことに、義忠は小雪の本音に首肯した。間をおいて、声を落として小雪の問いに答えてくれる。
「確かに明徳様は、素行がよろしくない。だが帝君の懐刀であった
「でも、だからといって」
「結局、力がある者のほうが強いのだよ。……君たちにとっては、都合のいい言い訳にしか聞こえないだろうけれどね」
と、義忠はやるせなさそうに言う。彼もまた力ある者の傲慢と横暴に憤っているのが、その声の色で小雪にもわかった。
小雪は、誰にぶつけたらいいのかわからない怒りから、唇を噛みしめた。これが当たり前のことなのだからと諦めたつもりでも、自らの立場の弱さを思い知らされると、強い感情が湧きあがる。
雪代神戸家は、将軍家の分家筋――いわゆる御三家のひとつだ。将軍の臣下ではあるが地位は別格で、御三家の行列の際は、通行を妨げることはもちろん許されず、行列が通りすぎるまで平伏していなければならない。その他、居城に朱塗りの門を建てるなどの特権も許されている。それほど特別な家系なのだ。
その雪代神戸家の後ろ盾があり、重要な役職に就いているのだから、明徳が持つ権力はかなりのものに違いない。それが彼を増長させている一因であるのだろう。
「だが、それもいつまでも続くわけではないよ。詳しいことは言えないが、御上の肝煎りで、身分や職業による差別が少しでも和らぐよう、春から準備を進めている。法制度を変えたところで人の意識は簡単には変わらないだろうが、多少なりとも現状を変え、いずれは人々の心から差別を消す一手となるだろう。そのときまで今しばらくは、怒りを心にしまっておいてほしい」
「…………はい」
怒りはまだ収まらなかったが、小雪は小さく頷いた。
義忠が制定に向け進めていると言った政策はおそらく、御上が
本当に公正な刑罰なのかと疑う老人の声が、華やかな着物を着ることができると喜ぶ女の声が、平民に頭を下げる悔しさに震える武士の顔が小雪の脳裏によみがえる。何も変わらないと吐き出す男の目も、小雪はありありと思い出せる。
胸が痛くなって、小雪は唇を噛んで俯いた。
そんな小雪の様子を見かねてか、ところで、と義忠は話を変えた。
「小雪殿はこれから、本郷丸へ戻られるのか」
問われ、しばらく悩んで小雪は頷いた。庭園へ気分転換に行くつもりだったが、そんな気は失せてしまっていた。
「なら、そこまで私が送ろう」
「でも、お勤めが……」
「なに、君を送るくらいの時間はある」
だから構わない、と朗らかに義忠は言う。明徳とのやりとりで委縮していた小雪への彼の気遣いを感じ、小雪は厚意に甘えることにした。
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