第30話 救いを待つ
目覚めてから一刻ほどして、
「また取り調べ? ほんとに取り調べなんだろうね」
「知るわけねえだろ。俺はただの下っ端で、上のことなんざわかりゃしねえよ。大体、目の見えねえ小娘なんざ、いたぶっても気分悪いだけだっての」
小雪に寄り添っていた女に疑われて牢番はそう苦々しく答えると、細い背を小突いて小雪を歩かせた。
廊下を歩かされているうち、以前とは違う感覚がして小雪は不思議に思った。目が見えなくても、おおよその方向や距離は感覚でわかる。むしろ、盲目となってから、小雪はそれらの感覚が鋭くなっていた。
今自分が感じている感覚は、取り調べのときに感じたものではない。どこへ行くのだろうか。
「ここだ」
扉が開けられ、小雪は中へ押し込められる。牢や拷問部屋ではないようだが、どこかの部屋であることは間違いない。釈放ではないことに、小雪は内心で落胆した。
眉をひそめる小雪に声がかかる。
「小雪殿」
「その声は、
自分の前に立つ人物を声で知り、小雪は驚いた。思わず数歩進み出る。
「どうして浅野様が……」
「お前の様子を見に来た。……元気そうで何よりだ」
ちっとも喜んでいるようではない声で
さらに正成は、小雪を驚かせることを言う。
「お前の師が、ひどく心配していた。……あの方も」
「…………!」
小雪は息を飲み、両肩を震わせた。心配されている喜びよりも、驚愕と恐怖が勝った。
あの方とは誰か、聞かなくてもわかる。この人がそう呼ぶのは、きっと一人しかいないのだから。
「どう、して……」
「
動転する小雪に、正成は淡々と答える。けれどその声音には、かすかな痛みがあった。
小雪は、旅籠や簪屋での彼の振る舞いの理由を理解した。気づいていながら、小雪の素性を御上に報告しなかったことも。その理由にもすぐに得心した。
小雪の様子から混乱の色が薄れたのを見てか、正成は話を己の本来の目的に戻した。
「役目柄、人を観察する目は養っているつもりだ。お前は金に汚いようにも、刺客であるようにも見えぬ。そもそも、盲目のお前が人に知られず毒を盛るのは難しいだろう。毒の入手方法とて知るまい」
実にわかりやすい、彼らしい答えだ。小雪は胸の中が暖かく、気持ちが軽くなるのを感じた。
ここにきてようやく、小雪の涙腺が緩んだ。喉に痛みが走り眦が熱くなり、かと思えば涙がこぼれていく。
しばらくして昂ぶった気持ちが収まると、代わって恥ずかしさがこみ上げてきた。人前で泣いたのはいつ以来だろうか。
大きく息をついて顔を上げ、小雪はずっと無言で待っていてくれた正成に謝った。
「申し訳ありません。みっともないところを……」
「身に覚えのない咎で囚われ、知らぬ者と共に牢へ押し込められたのだ。仕方なかろう」
そう言う正成の声音は、やはり感情に乏しい。けれど今の小雪にはありがたい温度だった。きっとこれ以上優しくされたり突き離されたりしたら、また泣いてしまう。
「……師匠様は今、どのように過ごしていらっしゃいますか」
「お前の師ということで、
「そうですか……」
思ったよりも明るい答えに、小雪は安堵の息をついた。
軟禁ではあるが、牢に入れられてはいないのだ。
「お前から見て、吟味方はどう考えているようだ」
「吟味方?」
聞いたことのない単語に小雪は内心首を捻ったが、自分を取り調べた者の役職名だろうと察し、答える。
「私を取り調べたお役人様は……私が毒を盛った犯人であると。私ではないと何度も訴えたのですが、同情を引こうとしていると思われているようで」
「拷問は」
「…………水を張った盥に、何度も顔を押しつけられました。それと、笞打ちも」
「……」
そこで初めて、正成の空気が焦ったふうに変わった。
「それでも、無罪を主張したのか」
「はい」
小雪は躊躇いなく頷いた。高圧的な取り調べや拷問の最中、怖くて痛くて苦しくてまともにものを考えられなかったが、自分が有罪であるとは決して認めなかった。それだけは確かだ。
そうか、と小さな息をつく正成は安心したふうだった。
「無実だと認められたいなら、何があっても罪を認めることだけはするな。お前が犯人ではない証拠をいくつ並べても、自白があればそれが偽りであってもすべて無効になる。そうなれば、助けようにも助けられない。……あの方を除いては。だがそれだけは、絶対に避けねばならない」
「……」
凄みを増した声音に、小雪は知らずごくりと唾を呑んだ。
「私はもう戻る。判決はおそらく、十日後に下るだろう。それまでの辛抱だ」
「はい。わざわざおいでくださって、ありがとうございました」
と、小雪は正成に頭を垂れる。ほんの少し間があって、正成は踵を返して部屋を出ていった。
正成と入れ違いに入ってきた牢番に、引きずられるようにして牢へ連行される。乱暴に牢へ押し込められよろけると、牢の女たちは小雪の心配をしてくれた。この何日かで数人が牢から出ていったが、まだ三人残っている。
小雪の心は、明るくなっていた。
自分が無実であることを信じ、身を案じてくれる人たちがいると改めて思い知らされた。それだけではなく、彼らは助けようとしてくれているのだ。嬉しくないはずがない。
大丈夫だ。きっと助かる。助けてもらえる。
何があっても自分は無実だと叫び続けよう。
きっと助かる。伸びてくる手をとろうと、努力していれば――――――…………
祈るように、小雪は両手をぎゅっと握った。
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