第29話 薄闇の中のぬくみ
だるいという感覚を覚えた
全身がひどく重い。自分が重石そのものになってしまったかのようだ。呼吸のために胸を上下させるのも億劫になる。
「おや、ようやく気がついたかい」
覚えのある、しわがれた老女の声だった。同じ牢にいる老女だ。
小雪は重い頭に手をやりながら、そちらへ首を向けた。
「あ、の…………?」
「おやおや、まだ寝惚けているのかい?」
「仕方ないさ。気を失ってたんだもの」
「どう? 体は大丈夫かい? 頭が痛いとかは?」
「ない……です」
他の女に矢継ぎ早に問われ、ゆっくりと体を起こしながら小雪は答える。そしてまだよく働かない頭で、気を失う前のことを思い出そうとした。
記憶を辿り、拷問の最中に気を失ってしまったようだと小雪は推測した。水桶に顔を何度も漬けさせられているあたりから記憶がない。服の襟に水気がないのは、女たちの誰かが絞ってくれたからだろう。
城下の牢獄に連行されてから、五日以上が経過していた。窓がなく、座っているか横になるしかできない牢の中では日にちを数えるのも、どこまで数えていたのか覚えているのも難しい。毎日が同じで、時間が止まっているのかと錯覚を起こそうになる。
気だるさが全身を支配していたが、それ以外に体の異常は感じられなかったので、小雪は安堵の息をついた。
「あの、私はどれくらい気を失っていたのでしょう」
「そうだね、四半刻くらいかね。あんたがここへ運び込まれてきたのは、そのくらいだから」
「眼帯はこれを使うといいよ。濡れたやつは、今乾かしてるとこだから」
と、中年の女が帯を小雪の手に掴ませてくれる。小雪はそれをありがたく受け取り、目を覆った。
小雪が入れられた牢の女たちは、皆小雪に優しい。聞いた話によれば、牢の中では大抵牢名主という囚人たちのまとめ役がその牢の中で幅を利かせており、他の囚人たちの生殺与奪の権利を握っているそうなのだが、この牢の牢名主はそんな支配者の横暴とは無縁だった。他の女囚人たちも、互いの身の上話や世間話をするうちに意気投合したらしく、年齢や身分、職業を超えた奇妙な連帯がある。時折悲鳴やうめき声が聞こえてくる近隣の牢とは、雲泥の差の居心地の良さなのだった。
「けっ、お役人どもも、相手はか弱い女の子なんだからちっとは手加減しろってんだよ。ねえ?」
「気絶させてやらしいことしようとでもしたのかも」
「うっわ最低」
「うるっせえ! ちったあ黙れ女ども!」
牢番は眉を吊り上げ怒鳴る。が、女はたちは怖や怖やとけらけら笑うばかりで、怯んだ様子は欠片もない。小雪の師と同じくらい、口さがなくて度胸がある女たちなのである。格子越しであることも、一因かもしれない。
「あんたもそんなに黙ってないで、言いたいこと言えばいいんだよ? どうせあいつらは殴ってきやしないんだから」
「い、いえ…………皆さんが言ってくれていますから…………」
と、隣の女に勧められた小雪はふるふると首を振る。実際そうなのだ。牢番に対してそれほど嫌な気持ちはないのだが、こうして女囚人たちが牢番に対して思いをぶちまけているのを聞くと、何故かすっきりしたような気持ちになれる。最初は目を丸くし、困惑していた小雪だったがすぐに順応し、参加しないものの大人しく聞いているようになっていた。
庇護者である
怖くないわけではない。何度無実を訴えても、取り調べの者たちは小雪を信じてくれないのだ。まるで、小雪が毒を盛った下手人でなければならないとでもいうように。
小雪が犯人ではないことは、誰よりも小雪自身が知っている。あの夜、両手の指では足らない数の杯に酒を注いだが、毒を盛ったりしていない。女中の証言は嘘だ。
では何故、女中は嘘を言ったのか。何故、小雪の部屋から毒が出てきたのか。何故、小雪を取り調べる者たちは小雪を犯人であると疑いもしないのか。
おそらく、そう兵に告げるよう何者かに命令されていたのだ。政務を抜け出した御上と会った日の前日、小雪は壁越しに、
そして、もう一つ。それは、箪笥から毒瓶が出てきたからだけではないだろう。
小雪を取り調べた者は役目柄、人を疑わざるをえないし、罪を犯した野土をたくさん見てきたはずだ。それだけでなく、手を焼かされたこともあっただろう。幼い頃からの教えに加えてそうした経験が、野土全体に対する偏見を作り出しているのかもしれない。誰かが小雪に罪をなすりつけようとしたのも、野土の娘ならやりかねないと多くの者が思うだろうと考えてのことに違いない。
だが、野土も人間なのだ。武士や平民や公家、
小雪は、幼くしてそれを理解していた人を知っている。心ない男から財布を奪われそうになった小雪を躊躇いもなく助けてくれた、勇気ある少年――――――――のちの
少し思いを馳せるだけで、いつかの日の静寂や熱情がまるでつい先ほどのことのように小雪の脳裏に鮮やかに思い出される。そのときの胸の高鳴りもまた、小雪の鼓動を速くする。それはきっと、城に滞在するようになってから幾度となく見てきた夢のせいだ。
未だ想いを断ち切れないでいるどころかますます強くしてしまっている己の弱さが、小雪はただ忌々しかった。
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