第六章 抗
第24話 反撃の徒
「……お客様がお見えになっていますが」
「客? 誰だい?」
「
「あいつかい。通しておくれ、昔馴染みなんだ」
女中が面倒くさそうな声で明かした名を聞いて、
ややあって、部屋に小太りの中年男が現れる。いつもは地味な色彩と布地の、いかにも適当そうな身なりだというのに、今日に限っては、小粋な藍染の小袖の上に渋茶色の十徳を羽織っていて、見違えるようだ。有名な商家の番頭だと言われても納得できる。
普段との落差がおかしくて、朱鷺はついにやついた。
「今日はやけにめかしこんでるじゃないか、源内」
「ったりめーだろ。伝手を使ってとはいえ城に入るためにゃ、それなりの恰好をしなきゃいけねえんだよ。おかげで一揃え新調しちまったぞ」
「いいじゃないか、別に。――で? 一体あんたは何しに来たんだい?」
「嬢ちゃんの件で来たに決まってるじゃねえか」
窮屈そうな顔をしながら腰を下ろした源内は、そう言った。
本当に、源内は一体どんな手を使ってここへ入ったのだろう。この離れへやってくることはもちろんのこと、閑古鳥が鳴く旅籠の店主風情が城の中へ入ること自体、不可能に等しいのに。この男の人脈の広さは、まったく驚嘆に値する。
朱鷺は問う。
「城下にもうこの話は流れてるのかい?」
「おう、割とな。捕まったのはお前の弟子だってとこまで瓦版にも出てる。まったく、よく調べたもんだよ。まあ、死んだのがあの
「そこまで悪党なのかい」
「悪党も悪党。あいつにかどわされて孕まされた挙句捨てられて、世を儚んで首吊った娘っ子がいるくらいだからな。他にもどっさり、叩けば汚れの山さ。正直、あいつが死んで嘆いてるのは、代金を踏み倒された商人だけだろうよ」
源内はそう肩を竦めた。
どうやら、面構え以上に明徳という男は極悪だったようだ。そこまで悪徳とは、救いようがない。これでは死んで喜ぶ者は、二桁どころか三桁はいるに違いない。
「で、俺がお前たちを泊めてたことを知ってる奴から、一体どういうことだって聞かれてよ。巷じゃ野土の娘が毒盛っただの、手籠めにされた復讐のために殺しただの何だのって話が色々脚色されててよ。ほんとのとこどうなんだって、うるさくてな。で、俺がお前にほんとのことを聞くことになったってわけだ」
「あのねえ、いくら相手がどうしようもないろくでなしだからって、あの子が毒盛ると思うのかい」
「思わねえが、世間様はそれじゃ納得してねえんだよ。俺としては、あの子よりてめえが盛ったと思ってるんだがな。白状しろよ」
「そんな面倒なこと、誰がするんだい」
と、朱鷺は呆れ顔で返す。考えてもいないのに、よく言うものだ。
ため息をつき、朱鷺は
聞き終えた源内は、顎をさすって何度も頷いた。
「なぁるほど。そんな時期にこの事件たぁ、そりゃ露骨にあやしいな」
「だろう? 多分、この法制大改革ってやつを潰したい奴にはめられたんだと思う。御上の方針に反発してる御武家様は少なくないらしいし、野土の琵琶師が金欲しさに誰かの依頼を受けて毒盛っても、ありうる話の一言で済むからね。ましてや毒を盛られたのが、あの子に手を出しかけた男ときてる。芝居好きと頭のかったい奴らは、疑いもしないだろうさ」
「だろうな」
源内は頷く。朱鷺はがしがしと荒っぽく頭を掻いた。
「まったく、こうなるって最初からわかってたなら、最初の宴が終わった後すぐに帰ったのに。ただでさえややこしくなってるこのときに、こんな馬鹿らしい……」
愚痴を連ねるほどに怒りがこみ上げてきて、朱鷺のまとう空気がどんどん不穏なものになっていった。
政治絡みのいざこざと個人的な恨み、どちらが原因にしろ、朱鷺たちにはまったく関係ないことで、とんだとばっちりである。控え目な性分の可愛い弟子は、突然舞い戻ってきた身分違いの叶わぬ恋に、小さな胸を痛めている真っ最中なのだ。政争がしたいなら、自分たちだけで勝手にやっていればいい。それが朱鷺の偽らざる心情だった。
源内は両腕を組み、頷いた。
「話はわかった。しかしどうする。このままじゃ嬢ちゃんが
「わかってるよ。だからあんたに頼みたいことがある」
「は? 俺に?」
源内が訝しげに眉をひそめる。朱鷺はそれに構わず、ちょいちょいと指で招く。嫌そうな顔をしながら身を乗り出した源内の肩をぐいと引き寄せて、あることを耳打ちした。
それを聞いた源内は、座り直しながら疑わしそうな顔をした。
「……それで、嬢ちゃんを助けられるのか?」
「どうもこうも、そうするしかないんだよ」
現在の朱鷺にできることは、とても少ない。知人が面会するくらいなら許されているようだが、それ以上、たとえば小雪に面会することはできないだろう。宴を重ねてどうにか伝手と言えるようになった者たちも、朱鷺たちが事件に関与しているとあれば力になってくれまい。
これが小雪を助ける手だてとなるかどうかは、朱鷺にもわからない。だが、こうしている間にも、小雪は拷問されているかもしれないのだ。わずかだろうと、可能性があるならばどんな方法も試すしかない。
源内は肩で大きく息をついた。
「……わあったよ。てめえならともかく、嬢ちゃんを見殺しにするわけにゃいかねえ」
そうは言いながらも、朱鷺が捕らえられたときには手を尽くして助命を嘆願してくれるだろう。口の減らない狸親父だが情に厚いことを、朱鷺は知っている。まったく素直ではない。だからこそ、気軽に甘えられるわけだが。
渋々といったふうの顔を演出しながら、源内は朱鷺をじとりとねめつけてくる。
「この疫病神め。不幸を弟子にも振りまいてるんじゃねえだろうな」
「そんなことするわけないだろこの昼行燈。ろくでなしが世の中に多すぎるのが悪いのさ」
「ふん。そのろくでなしを引き寄せたり、引き寄せられたりしてる時点で疫病神だっての。俺だって迷惑してるんだ。たまには幸運を俺に呼んできやがれ」
「あんたのために小槌神呼ぶなんて、冗談じゃないよ」
そんなふうに、朱鷺は昔馴染みと軽口を叩きあう。人と話すことも久しぶりだからか、こんな他愛もないやりとりでもじんと痺れるような喜びを感じる。朱鷺が苛立ちを募らせていると見抜き、気遣ってくれたわけではないだろうが、朱鷺にしては珍しく、源内に心底感謝した。
源内が帰った後、朱鷺はふと弟子の琵琶へ目をやり、囚われの身の彼女を思った。
あの娘は無事だろうか。厳しい取り調べでひどい怪我をしていないか、囚人仲間にいびられていないか。心配が募っていく。
朱鷺にとって小雪は、妹か娘のようなものだ。雛流しを見物しようと足を運んだ和浪藩の漁村の小路で偶然出会い、寄る辺ない身の上を哀れみ、才能を認めて弟子にしたが、今ではそれ以上に大切な存在に思っている。迷惑を運んできたと切り捨てるなど、できるわけがない。
誰よりも小雪を助けてやれる力を持っている御上は、立場上動くことは難しい。近々祭事があるわけでもないから、恩赦にかこつけて救い出すのも無理だろう。
なら自分が助けてやらねば、誰が彼女を助けるのだ。
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