第5話 予感・二
大通りを歩き、小路に入り、
小雪は師を仰いだ。
「師匠様、どうして……」
「何言ってるんだい。祭りが終わったとはいえ、国一番の都に来てるんだ。ここんとこずっとあちこちで演奏したし、どこぞの屋敷に行くはめになるかもしれないだろう。簪の一つくらい買ったほうがいいに決まってるじゃないか」
「そんな、私は別に……」
「いいからいいから。――富次郎さん」
からからと笑って流し、朱鷺は店内に声をかける。一拍あって、少し離れたところから初老の男性の声がした。
「これは朱鷺さま、お久しゅう」
「久しぶりだねえ富次郎さん。さっそくだけど、この子に似合いそうな簪を持ってきてくれないかい」
「はいはい、お値段はどのくらいのものにしましょう」
「そうだねえ、このくらいでどうだい」
と、朱鷺は巾着の口を開いて有り金を見せたようだ。羽振りの良い客を見つけた男性はにっこりと笑み、ではこちらへ、と小雪を座敷へ促した。
丁稚が、簪を並べた盆を畳の上に置いていく。小雪には見ることができないが、朱鷺が見せた巾着の中身に相応の品々なのだろう。音からすると、二十は軽くある。
「さあて、小雪。どれがいいかい?」
朱鷺が上機嫌に問いかけてくる。とてもではないが、断れる空気ではない。小雪は仕方なく、どの簪を買うか吟味することにした。
もちろん、盲目の小雪が実際に簪を見て決めていくことはできないので、ほとんど師の一存である。小雪は簪に触れ、番頭や朱鷺の助言を聞いて簪の形や色を想像し、好みを言う程度だ。師の着せ替え人形になりにきたに等しい。
若い娘らしい娯楽が、楽しくないわけではない。だがこうした贅沢をさせてもらうたび、小雪は喜びよりも後ろめたさや申し訳なさが先立つのだ。盲いた目では見ることも叶わないが、自分の顔が醜いものであることは知っている。なのにこんな、師の金子で、健康な娘のような楽しみを甘受していいのだろうか。贅沢に慣れていない、醜いと知っている己の身を着飾ることへの抵抗が小雪には根づいているのだった。
小雪が簪を髪に挿しているのを見て自分も欲しくなったと、朱鷺が簪を選んでいる間、小雪がぼうっとしていると、不意に声がかかった。
「小雪殿か」
「その声は、
聞き覚えがある声を聞き、小雪は声がしたほうをきょろきょろと探す。すると店の奉公人があちらですよと、小雪の体の向きを変えることで教えてくれた。
こちらに近づいてきていた
「小雪殿は、朱鷺殿の供か」
「はい。浅野様は、どうしてこちらに」
「先日、私の知己がこちらで簪の仕立てを頼んだそうなのだが、忙しくてな。代わりに受け取りに行ってくれと頼まれたのだ」
「そうなのですか」
小雪に答え、正成は番頭に用向きを述べる。ぺらりと音がしたのは、証文を見せたからだろう。番頭は愛想よく返事をすると、簪を取りに行ったのか、足音が遠ざかった。
それを見ていたのか簪を見終わったのか、朱鷺がこちらにやってきて、艶やかな笑み含みの声音で言った。
「その節はどうも、御武家様。みっともないところを見せてしまったねえ」
「みっともないどころか、武士顔負けの活躍であったろう。酒に酔って眠る程度、可愛らしいものだ」
そっけなく正成は言う。誰もが魅了される朱鷺の容姿に、まるで関心を示したふうではない。
それにしても、また師は暴れていたのか。小雪は口元に乾いた笑いを刷いた。
朱鷺は女だてらに腕っ節が強い。酔漢に絡まれてもあっという間に沈めて、暴れてすっきりしたと上機嫌で鼻歌を歌う。酔っていてもその強さは変わらないのだから、色々とでたらめな人だといつも思う。
もしかしたら、酔っぱらいながら暴漢をのしてそのまま熟睡するという女傑ぶりを見せたから、正成は朱鷺の無防備な姿を抱きかかえても何の反応もしなかったのだろうか。ありうることだ。
正成がところで、と話題を変えた。
「御上が、お前たちを召し出すかもしれない」
「へえ、御上がかい?」
「巷で高名な琵琶師の朱鷺とその弟子が城下にいるようだと、御上に申し上げた者がいてな。御上がひどく興味を持たれていた。そのうちに、旅籠へ使者が来るかもしれん。……もし、城へ召し出されたくないのであれば、今のうちに火白を出て行くことだ」
「はあ……」
小雪は思わず間の抜けた声をあげ、首を傾けた。困惑して正成に意識を集中してみるが、真っ暗な世界から感じられる彼の様子は特に変わったふうである。声音も淡々としていて、何を考えての発言なのか、小雪にはまったく想像できない。
朱鷺も、おやまあと不思議がった。
「幕臣だっていうのに、珍しいことを言う御仁だねえ。御上のお呼びを断るような芸人がいると思ってるのかい?」
「お前は、そういった権威に大人しく従うような性質ではないだろう。噂も聞いている。お前が断って使者と揉めることになれば、こちらとしても体面が悪いし、面倒だ。事前に知せて行動してもらったほうが、事を荒立てずに済む」
「……師匠様、どうしますか」
正成の忠告の理由に納得し、小雪は朱鷺がいるほうへ視線を送る。――――とはいえ、答えは最初から決まっているのだが。
何故なら、国の最高権力者である御上の望みを断ることは、その権威を否定することと等しいのである。今までも地位ある武士や藩主を上手くあしらい、時にはからかってきた小雪の師であるが、今回はわけが違う。反逆罪で捕らえられないにしても今後の旅に悪影響があるかもしれない振る舞いは、いくら自由奔放で知られていてもできないだろう。
朱鷺ははあ、と髪をかき上げながら息をついた。
「見たいところは大体見たし、金も稼いだからそろそろ出て行こうと思ったんだけどねえ。……ま、御上の命令には逆らえないか。一日か二日、御前で弾くだけならいいよ」
色よい返事を聞いた正成は、一拍置いてそうか、と言った。
「御上は近頃、厄介な案件を抱えてお疲れの御様子だ。息抜きになるようなものを献じてほしい」
「おやおや、御上はそんなに熱烈にお望みなのかい。それは是非、音を献上しなくてはねえ。そう思わないかい、小雪」
「……はい、師匠様」
唐突に話を振られ、一瞬びくりとしながらも小雪は首肯した。
そうこうしていると、奥から足音が近づいてきた。簪を取りに奥へ下がっていた男性が戻ってきたのだろう。
「お待たせしました。こちらが御注文の品でございます」
「……確かに。では朱鷺殿、小雪殿。これにて失礼する」
最後まで生真面目な挨拶をして、正成の足音が遠のいていく。それを見送って、小雪ははあと重い息をついた。
朱鷺は、なんだいと明るい声で小雪の肩を叩いた。
「御上の御所望なんだよ? ただで豪勢な飯と寝床にありつけるんだ、喜ばなきゃ」
「はい……でも、御上の御前だなんて……」
小雪が俯く傍らで、事情を察した男性はおや、と声を上げた。
「朱鷺様、もしや御前演奏をされるので?」
「決まったわけじゃないけどね。なんでも、御上があたしらの歌舞音曲を御所望なんだってさ。あ、別に嫁にされるってわけじゃないから」
「それはそれは……おめでとうございます。それなら御祝儀ということで、お安くいたしましょう」
「ははっ豪儀だねえ」
朱鷺が豪快に笑う。小雪の耳にその笑い声は、どこか遠くからのもののように聞こえた。
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