第26話 茶番劇
「皆様、お集まりのようですな。ではこれから、老中
男が宣誓すると、男たちは軽く頭を垂れた。
手順のとおり、奉行たちは集められた証言や証拠をひとつ吟味していく。同席する評定所留役や目付、大目付は、審理そのものには関与しない。進行役と審理の監視役を務めるだけだ。
審理が終わったところで、南町奉行はふと呟いた。
「……しかし、よくよく考えれば、その女中の証言というのもおかしくはありませぬか」
「南町奉行殿、どこがおかしいというのだ?」
南町奉行の指摘に、全国の社やそこに属する神職の統括、その領地内での訴訟を主な役目とする社奉行である
「酒を運んだ女中の証言によると、宴席で杯に何やら細工をしていたとのことですが、それなら他の者も、一人くらいは見ているはずではありませんか? いくら宴席で皆少々酔っておられたとはいえ、女中一人だけが見ていたとは、いささか都合がよすぎるように思えるのですが……」
「はて、これは異なことを。宴であれば、皆が酔い、記憶が曖昧になって当然のこと。見ていたとしても、覚えていないのであろうよ」
「しかし」
「御上の方針に従うことは御立派であるが、現在この事件でもっとも疑わしいのは、この娘の他にはいないのだ。それに、仮にも
「ですが」
「南町奉行殿、そのあたりになされよ」
「……」
目付にたしなめられ、南町奉行は黙る。やりとりを見ていた勘定奉行は、終始無言だった。
雪代神戸家の
久治や勘定奉行は、
一方、南町奉行は、そもそもこの容疑が正当なものなのか疑問を抱いていた。
本多明徳が宴席で、希代の琵琶師である
しかし、宴席で小雪が袂から小瓶を取り出し、毒を酒に仕込んだという証言があるが、盲人にそんなことが可能だとは思えない。盲目が偽りではないことは、素顔を見た部下たちから聞いている。毒をその場で酒に素早く仕込むなどという、常人ならやれなくもないことは彼女には不可能だろう。明徳の杯に近づけるかどうかだってわからないのだ。彼女に毒殺を依頼するより、屋敷の女中にやらせるなり、自分で明徳に毒酒を届けるなりするほうが確実である。
なら師の朱鷺が真犯人かといえば、それはないように思う。わざわざ殺す理由が見当たらない。南町奉行が朱鷺と言葉を交わしたのはほんの二度だけであるが、どちらの場でも朱鷺の振る舞いは、権力者に屈することも暗い感情に囚われることもない、自由で華やかな風のようだった。
だが、現に毒瓶は小雪の部屋から発見されている。彼女が犯人だと特定する決め手となった雪代神戸家の女中に話を直接聞こうにも、前々から決まっていた婚姻により、火白を出てしまった後だという。一応追いかけてはいるが、状況証拠のみ存在しているのだ。この曖昧な状態で、彼女を犯人と決めつけていいものだろうか。
久治が、芝居がかった様子で一同を見回した。
「この件の被疑者は盲目の小娘であれば、名裁きと名高い方々が戸惑うのも理解できる。が、罪は罪。それも毒殺されたのは、本多
わかるであろう、と口元に浮かぶのは恫喝めいた微笑だ。彼は明徳同様、地位ある者の権威を笠に着て、身分や出身によって相手を見下すことを当然とする男なのである。田舎出身の若造と侮っている御上に目をかけられ、理想を同じくしている男の意見に耳を傾ける必要はない、とでも思っているに違いない。
評議は間違いなく、久治が意図するほうへ傾いている。野土の娘が犯人に違いないという結論ありきの流れに、これが本邦の法を司る者らによる評議かと、南町奉行は内心で失望が広がっていくのを止められなかった。
久治は勘違いしているが、御上は野土に甘いわけではない。ただ、すべての身分と職業に少なくても法の上での貴賎はなく、等しく扱われるべきであると考えているだけだ。御上にとっての人間の平等とは、弱者をむやみに甘やかすことでも、強者の責任を理由もなく重くすることでもないのである。
実際、作成途中の刑罰の改定案を御上に献上したところ、一部の刑罰は武士にとって軽くなり、平民以下にとっては重くなるにもかかわらず、不平等だと練り直しを南町奉行に命じなかった。南町奉行はそんな御上の司法についての感覚を高く評価していたし、だからこそ、法の改定作業を慎んで拝命したのだ。
だからこの事件が――ろくに考えもせず、身分に基づく印象や不自然な証言だけで容疑者を有罪にしようとする者たちが気に食わない。偏見で法の公正を妨げる流れは、不快でしかない。
だが、現行の法では、評定所での判決は評定に参加した全員の意見が一致しなければ、老中の意見が優先されることになっている。この件の担当の老中は、
くだらない。なんという茶番だ。評議する意味がまるでない。公正な裁きを下すことができない苛立ちに、南町奉行の心中は重くなるばかりだった。
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