◇その2.女騎士(見習)アルストロメリアの挑戦からの後悔

 思い出の中のお父様は、黒光りする全身鎧フルプレートを着て大きな鹿毛の馬にまたがり、同様の武装をまとった騎士たちの先頭に立って威風堂々と王都を行進していました。


 お母様の話では、お父様はお仕事がお忙しいらしく、屋敷に戻って来られる時間はいつも遅くて、あたしはたまお休みの時くらいしか顔を合わせることがなかったけれど……。

 それでも、立派な貴族で武名高き“黒騎士”、そして口数少なくも優しい父親であるお父様をあたしは、とても大好きだし尊敬していたのです。


 でも……。


 * * * 


 「それで、ちょっとは落ち着いたかな?」

 “あの”後、やつれてフラフラの状態で【乙女の尊厳崩壊】にまで及んだ少女をそのまま見過ごすことのできなかった青年は、彼女の口元を手拭ハンドタオルで簡単に拭いてから、肩を貸すような形で馴染みの店(というか泊まっている宿屋の一階の食堂)まで連れて来ていた。

 時刻は朝の10時過ぎ。ちょうど朝食と昼食の合間で、それほど混雑していなかったのも幸いして、ぐったりしていた少女──アルストロメリアも幾許かは落ち着いた様子だ。

 「──う、うむ、ご助力、感謝する」

 かろうじて女騎士っぽい口調ロールプレイをする余裕くらいは取り戻しているのだから。

 「パッと見た感じ、ヒドい船酔いだったみたいだけど、薬とかは飲まなかったのか?」

 「その……さっきの船の前に乗っていた船では船酔いしなかったので……」

 「なるほど。用意していなかった、と」

 青年に言い当てられて、バツの悪そうに目を伏せるアルストロメリア。

 迂闊と言えば迂闊だが、運が悪かったともいえる。

 彼女が最初に乗った「海神の波濤」号は、この世界(アールハイン)でも屈指の大きさを誇るうえ、船体構造的にも揺れが少なく、さらにいくつかの魔法技術で安定性を増す処置が為されていたのだ。

 加えて、同室の旅慣れた大人の女性アトラがさりげなく気を使ってくれていたので、身体的精神的コンディションが良好だったことも、船酔いにならなかった要因のひとつだろう。

 しかし、クラムナード~グラジオン間で乗った船は、そこまで大きなものではなく、ちょっと波が荒れただけでも大いに揺れた(と言うか、この世界の常識からすればそれが当たり前だ)。さらに、途中で嵐に遭遇したことがトドメとなって、船旅の後半、アルストロメリアは狭い船室のベッドでほとんどグロッキー状態でうなっていたのだ。

 で、ようやく揺れないおかに着いたところで緊張の糸が切れ、先ほどの醜態に及んでしまった──ということらしい。

 「オレも2度ほど海の船旅を経験して、あの揺れっぷりには閉口させられたから、わからんでもないがなぁ」

 生来のお人好しさに加えて、その同情心おもいがあったからこそ、青年も彼女を放っておけなかったのだろう。

 「あんな状況の私を介抱していただき、誠に助かった。礼を言う」

 「あ~、いや、そりゃ、初見とは言え年下の女の子を、あのまま見捨てたら流石に寝覚めが悪いしな」

 苦笑する青年。

 「じゃあ、体調が戻ったなら、オレは行くぜ。そうそう、宿を探しているなら、ここの二階も手ごろな値段でそれなりに綺麗だから、一泊してみるのも悪くないと思うぞ」

 テーブルに律儀に自分の飲んだ蒲公英珈琲の分の銅貨を数枚置き、青年は立ち去ろうとする。

 「あ……あのっ!」

 少し前の彼女なら、「そうか。世話になった。縁があったらまた会おう!」などと、いかにも「冒険物語おとぎばなしの女騎士」が言いそうな小洒落た言い回しの挨拶を垂れ流して青年を見送ったかもしれない。

 しかし、その時、「海神の波濤」号でアトラから聞いた「一期一会」や「幸運の女神には前髪しかない」という言葉(実は外来人由来の警句らしい)が、ふと頭を頭をよぎり、無意識のうちにアルストロメリアは椅子から立ち上がり、青年を呼び止めていた。

 「ん? まだ何か用かな?」

 振り向いた青年に呼びかけようとして、まだ互いの名前すら知らないことに気付く。

 「あたしはアルストロメリアと言います。お兄さんのお名前は?」

 「ああ、こりゃ失礼。オレはシンタロウ。仲間内からはシンって呼ばれているCランクの冒険者だ」

 ──予想はしていたが、どうやら相手は彼女が必要とする情報を持った人材だったらしい。

 「もう少しだけお時間をいただけますか? お昼ご飯をおごらせていただきますので、この大陸グラジオンでの“冒険者”について話を聞かせてもらいたいのですが」


 * * * 


 さて、この世界において大陸を問わず、“自称”ではなく“正式”な冒険者になることも、それ自体は決して難しくはない。

 何処かの冒険者ギルド(クラムナードは冒険者組合)の本部ないし支部で登録すれば、誰でもその日からEランク冒険者として認められるのだ。登録の段階でハネられるのは、国から指名手配されている重犯罪者か、自分ひとりでロクに歩けないような老人、あるいは(ヒューマン基準で)12歳以下の子供くらいだろう。

 もっとも、グラジオン大陸では国どころかそれなりの大きさの町であれば大概ひとつは冒険者ギルドの支部があるのに対し、サイデル大陸の場合、小国なら下手すると王都にしかギルドがないという事例も結構あるので、その意味では(ギルドのある町まで来るという点で)多少は難易度に差があるかもしれない。

 ともあれ、とりあえず冒険者ギルドまで来れば、99%の人間が“冒険者”として登録はできる──そう、登録“だけ”は。

 冒険者になることと、冒険者として生計を立てることは、またの別問題だ。実際の話、“冒険者天国”と謳われるグラジオンですら、Eランクの冒険者がそれだけで暮らしていくのは、かなり厳しい。よほど運か財力に恵まれていない限り、Dランクに昇格するまでは、たいてい他にも臨時職アルバイトをして食いつなぐケースが圧倒的に多い。

 そもそも冒険者にランク制が敷かれている理由のひとつは、ランク=依頼達成実績≒信用度となるからであり、高ランクの冒険者であればあるほど社会的信用度も高くなるのだが、同時にそれは請けられる仕事クエスト階梯ランクも決めることになる。

 冒険者ギルドで公示される仕事にはすべて“推奨ランク”というものが提示されており、その上下1ランクまでの冒険者しか請けられない。たとえば推奨Bの仕事はA~Cランクまでが範囲となる。例外的にSランクの仕事はA~SSSまでの4つのランクで請けられるが──まぁ、SSやSSSランクの冒険者なぞ大陸ごとに両手の指で数えられるほどなので、この辺は深く考える必要はない。

 また、依頼者側で「この仕事はBランク以上の冒険者に」などと指定している場合などはそちらが優先され、Cランク以下の冒険者は手が出せないのが原則だ。

 なお、複数の人間が徒党パーティを組んでいる際の推奨ランクの目安は、全員の平均……ではなく、“パーティメンバーの過半数がランク条件を満たしていること”となる。先ほどの例であれば、推奨Bランクの仕事に対して、A、B、C、Dランクの冒険者で構成されたパーティなら請けることができるが、AがひとりにDが5人というパーティでは「残念ながら今回はご縁がなかったということで」と申し渡されてしまう。

 そういう事情もあって、できるだけランクが近い者同士でパーティを組むのが好ましいとされているのだ。

 無論、ギルドを通さない依頼しごとというのも無いわけではないが、その場合、仮に成功してもギルドのランク査定の材料にはならない。また、後ろ暗いことのある依頼ばかり引き受けている場合は、ギルドの方から警告を受けることも多々ある。


 「なんと! それでは、Eになりたての私がいきなりAランクの仕事を成功して、華麗なデビューをキメるというようなコトは……」

 シンの説明にアルストロメリアが落胆の声を漏らす。

 「当然できない。と言うか、そもそもAランクの仕事って、わかりやすく例を挙げると「飛竜ワイバーンの巣から卵を盗ってくる」とか「王級ロードに統率された豚鬼オーク軍団レギオンから村を守る」とか、そういうレベルの難事だぞ? 駆け出しが出しゃばっても瞬殺されるのがオチだ。Cランクとしてはそれなりに経験積んでるウチのパーティでも、正直遠慮したいし」

 呆れたような言葉を漏らすシンに、アルストロメリアはいぶかしげな視線を向ける。

 「? ワイバーンはともかく、オークなぞ、私でも撫で斬りにできると思うのだが……」

 「実際、故郷でも2、3度斬った経験がある」と少女は胸を張る。

 「あ~、実戦経験済みというのは心強いが、たぶんそれって単独で人里に迷い込んで来た、はぐれオークだろ? その格好や身ごなしからして、きっと正規の剣術をそれなりに研鑽積んできたんだろうとは思うが、対集団戦、それも乱戦って言うのは、また勝手が違うからな。ましてや、優秀な指揮官ロードが率いる集団は、危険度が2、3段跳ね上がるし」

 そう語るシンの目の真剣さが、少女に「何を弱腰な」と一笑に付すことを許さなかった。

 何の実績もない彼女と異なり、目の前の青年はEからD、DからCへと2ランク昇格した冒険者なのだ。当然、その過程では幾多の戦闘と経験を経てきたのだろうから。

 「──“此方”の物語おとぎばなしなどでは、我らと並んで“弱いやられ役”の代表とみなされる豚鬼共でござるが、直接何度か対峙した身からすれば、なかなか侮れる相手ではござらんよ」

 唐突に背後から聞こえてきた声にビクンと肩を震わせて、アルストロメリアが振り返ると、そこには黒装束に身を包んだ人物がいつの間にか立っていた。

 身長は120センチほどと小柄だが、頭巾と覆面で隠された頭部で唯一露出している目元から覗く眼光は鋭く、また錆びた声色からしてもこの人物が年端もいかない子供などではないだろうことは想像がつく。

 (もしかして、アトラおばさまと同じグラスフェローなのかしら?)

 「お、クサキリマルか。ディンゴの調子はどうだった? お見舞い、行ってきたんだろ」

 どうやらシンの知り合いらしい。

 「うむ、経過は順調とのこと。神官殿は3日もすればいつも通りに動けるとおっしゃられてござった」

 と、そこで黒装束の人物は、アルストロメリアの方に向き直り、軽く頭を下げた。

 「拙者はクサキリマルと申す者。そこなシンタロウ殿と徒党を組む冒険者でござる。先ほどは、お二方のお話につい余計な横槍を入れてしまい、誠に申し訳ない」

 「え、あ、いえ、全然気にしてませんから」

 こんな風に予想外な相手と会話すると、すぐ“女騎士”調ではなく素の言葉遣いが出てしまうあたり、アルストロメリアの演技メッキはまだまだのようだ。

 「シンタロウ殿、こちらの方は……」

 「えーっと、“ちょっとしたハプニング”で知り合った冒険者志願のアルストロメリアさん。冒険者になるための予備知識が欲しいらしくて、簡単に説明してるところだ」

 「アルストロメリアと言います。どうぞよろしく」

 アルストロメリアは、手を差し出して握手を求める。

 少し戸惑いつつクサキリマルも黒い手甲で覆われた手を出し、彼女の手を握る。

 「──他の大陸には“しぇいくはんず”なる挨拶があると聞いたことはあり申したが、実際にする人を見たのは初めてでござるな」

 「俺もだ。クラムナードからの船に乗って来たみたいだけど、アルストロメリアさんはそちらの出身かな?」

 「いえ、クラムナードのさらに南にあるサイデル大陸から参りました……というか、こちらでは握手するって習慣ないんですか!?」

 ちょっとしたカルチャーショックを受けるサイデル少女A。

 「ああ、此方(グラジオン)じゃあ、日本……もといアキツやシン、フダラクの流儀の“お辞儀”するのが一般的だな。大陸西部の方には、握手する習慣もあったらしいけど、そちらでも今ではかなり古めかしい儀礼とされているはずだ」

 ちなみに、“お辞儀”がこれ程広まった主な原因は(日本から来た)外来人達にあることは言うまでもない。

 「まぁ、その辺りのコトはさておくとして──アルストロメリアさんは、わざわざオレに“冒険者”について聞くということは、あまり正確な知識がない、と判断してもよいのかな?」

 「それは──ええ、その通りです」

 反射的に否定しかけたものの、確かに“冒険者の活躍する物語おはなし”ならそれなりに知っているつもりだが、現実の冒険者がどういうもので、どのような日々を暮らしているかについては、アルストロメリアはほとんど何も知らない。「ダンジョンに潜ったり、モンスターや指名手配犯あくにんを退治したりして、お金と名声を稼いでいるんだろうな」という漠然としたイメージがあるだけだ。

 「うん。だったら、オレとしてはいっそ冒険者ギルドの訓練所でやってる“初心者向け講義”を受けることをオススメするぞ。1日コースと1週間促成コースと1ヵ月みっちりコースの3つあるけど、どれも無料だし」

 「その3つは、どう違うんですか?」

 「1日コースは、明日の宿代も心許ないような切迫した人向けの、本当に必要最低限の冒険者としての知識を叩きこまれるだけの講義だ。それでもちゃんと受けておけば、少なくとも“冒険者としてやっちゃいけないこと”と“冒険者としてステップアップする方法の基礎”くらいは身に着く。

 1週間コースは、それプラス“駆け出し冒険者が覚えておいて損のない知識”を色々教えてもらえる。あと、近場の森での野営実習と、教官を相手にした1対1、多対多の模擬戦を何度かやってくれるな。俺も登録したての頃受けたし」

 シンの言葉をクサキリマルが補足する。

 「1ヵ月コースは、それに加えて基本的な武器の扱い方を一からみっちり教えてくれるはずでござる。まったくの素人でも、コースを終えるころにはそれなりに戦えるようになるという話でござるな。その意味では、アルストロメリア殿には不要やもしれませぬが」

 どうやらクサキリマルも、彼女が剣士としての基礎はすでに修めていることがわかっているらしい。

 「この宿は一泊3シルバだけど、七泊分先払いにするなら20シルバでちょっとお得だ。所持金に多少なりとも余裕があるなら、ここにでも泊まって、1週間コースを受けるのが賢明だと思うぞ」

 そんなシンのススメもあって、アルストロメリアはくだんの“初心者向け講義1週間コース”を受講することに決めるのだった。


 * * * 


 それから4日後。

 港町アヴィターバの南西地区にある冒険者ギルド(町の規模に比してやや大きめだった)裏庭の訓練所に、初心者向け講義(1週間コース)の座学を最初の3日間キチンと受けた冒険者志望の若者たち十人ほどが集められていた。

 今日から戦闘や野外活動の基礎に関して実技指導を受ける──はずなのだが。


 「ワシがこの初心者講習の実技を担当する元Bランク冒険者のヘルマンだ!

 いいか、貴様ら! 訓練中は話しかけられたとき以外は口を開くな!

 口でクソたれる前と後に“サー”を付けろ!

 わかったか、ヒヨッコども!!」

 剃り上げた禿頭に生傷だらけの凶相の筋肉漢マッチョという、山賊の頭か地下組織の現場幹部じみた見かけの壮年の男が、どこぞの鬼軍曹のようなスパルタなセリフを吐いて、鍛錬用の刃引きの剣を片手に居並ぶ冒険者志願者ひよっこたちの前を威圧しながら歩く。


 「「「「「サー、イエッサー!」」」」」


 (あわわわわわ……お父様に本気で怒られた時の数倍コワいーー!)

 努めて無表情を保ち、同期の仲間たちと素直に返事を唱和しつつ、心の中でヘタレた泣き言を漏らすアルストロメリア。


 「まずは訓練場グランド30周! 最初は駆け足から始めて徐々にペース上げていくから、死ぬ気でついてこい!」

 そして、当然のようにそこから始まるのは“地獄の特訓”であった!


 ──一応、鬼軍曹ヘルマンの名誉のために言っておくと、何も彼は訓練生たちを好きでいじめたり、不合理な根性論でしごいているわけではない。

 ただ、武術の道場生や軍人などでもない限り、体力の限界まで絞りとるような運動を経験したことのある町の人間は、そう多くはない。

 そこで、一度、自分の肉体的限界を知るとともに、ちょっとやそっとの苦境で簡単に折れないよう“疲労”と“苦痛”に対する耐性をつけさせるため、体力の最後のひと滴まで絞り取るべく、ランニング、小休止を兼ねた柔軟、素振り、簡単な組手の4つを1セットにした訓練を続けさせているのだ。


 とは言え、そういった理屈をヘルマンが口に出して説明するはずもなく。

 また田舎育ちではあるが、元貴族な大規模農園主のお嬢様でもあり、剣の稽古以外にはあまり肉体労働らしいことをして来なかったアルストロメリアも、体力事情スタミナは周囲と大差なかったため……。


 「う、うぷっ、ぉあぁ……(こ、これのどこが“初心者向け”なんですか、シンタロウさぁん!!)」

 ハードな(ハード過ぎる)運動のあと、再び【乙女の尊厳が検閲削除】な醜態をさらすハメになるのだった。

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