第6話

――パチン、パチンと教室にホッチキスを止める音が響く。

 目の前では深雪が、山のようになったプリントを一つ一つ丁寧に纏めていってくれている。


(ああ、あの時と同じだ――)


 過去を繰り返しているのだから、当たり前なのかもしれないけれど……3年前のあの時も、こうやって私たちは無言でホッチキスを止める作業をしていた。

 たまに会話をしようとしてみても、上手く続けられず……結局ほとんどの時間が、無言のままだった。

 当時の私はそんな時間に、ほんの少し居心地の悪さを感じていた……。


「出来たわ」

「え……?」


 ボーっと深雪の姿を見つめていた間に、気付けばプリントは全て片付いていた。


「ご、ごめん!ありがとう!」

「どういたしまして。それじゃあ……」


 そう言って深雪はカバンを持つと、教室を出ようとする。


「――ま、待って!」

「何か……?」

「校門まで、一緒に行こう?」


 なんとなく、このままにしたくなくて思わず声をかけた私に――驚いたような表情を見せた後、深雪は言った。


「でも、竹中さん田畑先生に報告に行かなきゃいけないんじゃあ?」

「あ……」


 忘れていた。作業が終わったら報告に行かなければいけなかった……。


「そうだった……」

「――職員室の前まで、一緒に行く?」

「いいの?」

「どうせ玄関に出るのに通るから……」

「ちょっと待ってて!すぐ準備するね!」


 慌ててカバンと作った資料を持つと、扉の所で待ってくれている深雪の元へと向かった。


「ごめん、待たせちゃった」

「――それ、持つわ」


 言い終わるより早く、私の手にあった資料は半分深雪の手の中にあった。


「……ありがとう」

「――別に、これぐらい……」


 そう言った深雪の顔は、どこか照れくさそうに見えた。


「…………」

「…………」


 その後も、特に会話らしい会話はなかった。けれど、その沈黙は当時教室で感じたような居心地の悪いものではなかった。


「――それじゃあ、ここで」


 職員室の前で、深雪から資料を受け取る。


「今日はありがとう」

「ううん――また、何かあったら手伝うから言ってね」


 もう一度お礼を言って手を振ると、深雪も嬉しそうな顔をして手を振りかえしてくれる。


 新の日記を読んで過ごす過去の中――けれど新とは関係のないところで、過去が少しだけ形を変えたのを私は感じた。



◆◆◆



 そうして、今日もまた朝を迎える。

 ただ、一つ気になることがあった。


「今日は、いつ……?」


 私が眠りに落ちた昨日は4月12日だった。

 なので、普通であれば今日は4月13日であるはずだ。けれど……


(新の日記に書かれていたのは4月15日、月曜日の出来事だった)


 であれば、今日は……。

 ベッドの脇に置いてあった携帯電話を取る。

 パカッと開けてみると……ディスプレイにはと、表示されていた。


「やっぱり……」


 こちらの世界は過去であり……新の日記の中。

 だから、新の日記の通りに日付が動いていく。


「――なら、もしも……」


 怖い事を思いついてしまった私は……その考えを振り払うように、ベッドの上から起き上がった。


 ≪≪もし、過去を変えて新が日記を書くのをやめてしまったら……どうなるの?≫≫


 そんなこと考えても仕方ない。


「今はとにかく、あの時と同じ未来を作らないようにしなくちゃ……」


 小さく呟くと、私はパジャマを脱いで中学生の制服を纏った。



◆◆◆



「……っ、竹中さん!」

 校門を通り抜けようとしたとき、後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


(この声……!)


 何度も聞いた、大好きな大切な人の声……。

 振り向くとそこには――学生服に身を包んだ新の姿があった。


「す、ずきくん!」

「おはよ!この間はありがとう」

「おはよう!もう身体大丈夫なの?」

「うん!もうすっかり元気!迷惑かけてごめんね」


 申し訳なさそうに新は言うけれど、思いがけず新に会ってドキドキしている。だって……。


(日記の中では、今日はまだ休みだったはず……)


 ――過去が、また変わった。


「だ、大丈夫だよー!陽菜とか……あと小嶋さんが手伝ってくれたから」

「深雪?」


 突然出た深雪の名前に、不思議そうに首をかしげる新。それもそのはずだ。新が知ってる私たちには何の接点もなかったから。――けれど、その接点を、新が休むことで作ってくれた。


「うん、金曜の放課後にね。助かっちゃった」

「そっか、悪いことしちゃったなー。でも、今日からは俺も頑張るからね!」

「ありがとう」


 ニッコリと笑う新の顔は、昔よく見た私の大好きだった彼の笑顔そのものだった。




「あー新と、竹中さんだー!」

 下駄箱まで行くと深雪の声が聞こえた。おはよう、と声をかけると笑顔で駆け寄ってきてくれる。


「おはよっ!っていうか、新はもう大丈夫なの?」

「ん、ごめんなー俺の分の仕事やってくれたってさっき聞いてさー」

「あー……」


 深雪はチラッと私の方を見ると……ちょっと照れくさそうに言った。


「その、竹中さんが一人でやるんだったら、私も一緒にやろうかなーと思っただけよ……」

「?」

「だから……」

「深雪はね、竹中さんと話すキッカケを探してたんだよ」


 深雪の後ろから、からかうような口調の声が聞こえてきた。

 この声は――。


「……堂浦君!」

「おはよー竹中さん。新も深雪もおはよー」

「奏多!!」


 堂浦君の言葉に、深雪が怒ったような声を出す。


「――堂浦君。さっきの、どういう意味……?」

「なんか思春期の男の子みたいにモジモジしてたよ?いつ話しかけたら変じゃないかな!?って」

「奏多っっ!!!ち、違うからね竹中さん!!別に私……!!」

「っ…ふふふ」


 いつもの深雪からは考えられない真っ赤になって動揺する姿が可愛らしくて……思わず笑ってしまう。


「ちょっと、何笑って……!」

「ははは」

「新まで!!」

「はっはっはっはっは」

「奏多うるさいわよ!!」


 こんな風に深雪が思ってくれてたなんて、この時の私は全く知らなかった。


 なんだか……嬉しい。


 緩む口元を抑えながら深雪の方を見ると、何かを決意したように――うん、と呟いて深雪は私に言った。


「あの、ね。私も旭って呼んでいいかしら……?私のことも、深雪って呼んでいいから」

「いいよっ」

「ありがとう、旭」

 名前を呼びながら、まだ少し恥ずかしそうに深雪は微笑む。


「あっ……、じゃあ俺も!」

「俺も俺もー」


 便乗するように言う新たち二人にもいいよと笑いかけると、一瞬――新が嬉しそうな顔を見せた。


「俺のことも新でいいから!」

「俺は奏多ね」

「あはは、三人ともこれからよろしくね」


 微笑む私に新たちは、懐かしい笑顔で笑った。



 ざわつく教室に深雪たちと入ると、何故か驚いた顔をした陽菜と目があった。


(……?)


 とりあえず深雪たちと別れ、自分の席の方へと向かう。


「おはよー陽菜―どうしたの?」

「……おはよ。どうもしないけど……旭こそどうしたの?小嶋さんや鈴木君――それに堂浦君とやけに楽しそうだったじゃん」

「そうかな?……そうかもしれない」


 過去だとしても、もう一度新と話が出来るのが嬉しい。嬉しくてしょうがない。――そう思いながら返事をすると、どこか不機嫌そうな陽菜の姿があった。


「陽菜……?」

「別にー」


 そう言うと陽菜は机の中からプリントを取り出して、私の方を見ずに問題を解き始めた。

(……陽菜?)

 どうしたらいいのか分からないまま……教室にはチャイムが鳴り響いた。



◆◆◆



「じゃあ、悪いがこれ頼んだぞ」

 悪いなと言いながら、全く悪そうに思っていない表情で田畑先生は言う。


 ――あの後、陽菜はいつも通り話しかけてくれたが、どこかよそよそしい雰囲気のままだった。


 放課後こそきちんと話を!と思っていた私の前には、今日も今日とて大量のプリントが山積みになっていた。


「はー…い」


(しょうがない……話はまた明日にでもしよう……)


 気持ちを切り替えてプリントの山と戦う覚悟を決める。


「なんすか、これ」

「今日は鈴木もいるからな!たっぷりこき使ってやれ!」

「はい!」

「え、なんか楽しそうに言ってない!?どういうこと!?」


 焦る新を見て笑うと、新も頭を掻きながら笑った。


「今日も私……」

「はい、深雪は俺と帰ろうねー」

「ちょ、奏多!なんで!!」

「邪魔しちゃダメだよー」


 新の後ろから顔を出した深雪を……まるで飼い主か何かのように堂浦君――もとい奏多が連れ去って行く。

「ごめんなー、あいつらなんか騒がしくって」

「ううん、大丈夫だよ。でも、別に二人がいたって邪魔なんかじゃなかったのにね」

 奏多の言った一言が気になった私は笑いながら新に言うと……新は表情を隠すかのように、口元を学ランの詰襟で隠した。


「新……?」

「――俺にとっては、邪魔……かな」

「え……?」


「竹中さ……旭と、喋ってみたかったのは……深雪だけじゃないんだよ…」


 恥ずかしそうに眼を逸らすと……新は小さな声で何かを呟いた。けれど、その声は小さすぎて私には聞き取ることが出来なかった。


「今、何て……?」

「……なんでもない!さっさとやっつけちゃおうか!」


 そう言う新の顔がなんだか赤らんでいるような気がしたのは……もしかしたら、私の気のせいではないのかもしれない――。

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