第16話


――気が付くと私は、ベッドの上に寝ていた。

 体を起こすと、瞳からは涙が零れ落ちた。


「そっか……私、新に……フラれたんだ……」


 思い出すだけでまた涙が溢れてくる。泣いても泣いても泣いても……涙が止まることはない。

 あの後、どうにか家に帰った私は……泣き疲れて――いつの間にか眠ってしまったようだった。


「どうして……」


 こんな過去を、私は知らない。

 何がいけなかったんだろう。

 過去を変えようとしたのが間違いだったのか。

 新が告白してくれるまで待てばよかったのか……。


 どうして……どうして……どうして……。


 ……いくら考えても、答えは出なかった。


(あ……)


 指先に何かが触れる。

 そこには……新の日記帳があった。


(……怖い)


 日記帳を見るのが、怖い。

 新の言葉で、もう一度拒絶されるかと思うと――どうしても私は、日記帳を開くことが出来なかった。

――その代り……。


【昨日の話の続きを聞きたいんだけど、いつなら会えるかな?】


 一通のメッセージを送った。

 そして私は、重い頭と身体を持ち上げると……私の日常を過ごすために――学校へ向かう準備を始めた。



 返信が来たのは、学校に着いて授業の準備をしているときだった。


【今日なら大丈夫だよ】


(今日…)


「ねえ、深雪」


 奏多からの連絡を確認して、私は深雪の席へと向かった。


「ん?」

「今日って暇かな?」

「あー、ゴメン。今日は部活があるんだ」

「そっか……」


 私の顔を見上げた深雪は、何か察したかのように心配そうな視線を向ける。


「――なんかあった?」

「ううん、大丈夫だよ。ゴメンね」


 大丈夫なの?と言う深雪に、なんでもないように笑ってみせたけど……今日話すであろう内容を考えると……本当は、ほんの少しだけホッとした。

――昨日の夢の中での出来事を深雪の前で話したら、私はきっと泣いてしまうから……。


【放課後、昨日の公園で待ってる】


 奏多にメッセージを返すと、私は携帯のディスプレイをオフにした。



◇◇◇



「あ……」

「こっちだよ」


 放課後、公園に着くともうすでに奏多は来ていて……滑り台の上に立っていた。


「何やってんの……?」

「……ここ、昔よく新と来てたんだよね」


 かつて通っていた中学の近くにある小さな公園は、私の通っていた小学校からは校区外だったけど、新や奏多の通う小学校の子供たちはみんなここで遊んでいたらしい。


「懐かしいなーなんて思ってね」


 そう言いながら滑り降りてきた奏多は、少し寂しそうな顔をしていた。


「かな……」

「はい、これ」

「え……?」


 カバンから取り出したのは一冊の日記帳だった。


「これは……?」

「これは、俺の日記帳。旭が持っている新の日記帳と対になるもの」


「本当はもう一冊あったんだけどね……」


「奏多?」

「――なんでもない」


 そう言うと奏多は日記帳を開く。


「4月……8日?」

「そう。新と一緒にこの日から書き始めたんだ。……正確には、新が書くって言ったから俺も書き始めたんだけどね」

「どうして……」

「俺の日記帳は、新の日記帳と対になってるって言ったよね」

「うん」


 対、とはどういうことだろう――。装丁を見る限り、同じ日記帳のように見えるけれど……。


「新の日記帳と同じように、この日記帳の持ち主の記憶も上書きされないんだ」

「…………」

「だから、旭が変えた過去をこの日記帳で確認することは出来る。けど、俺の記憶の中の過去は旭、君が最初に過ごしたあの過去なんだ」


 頭が混乱して理解が追い付かない。

 つまり――どういうこと……?


「俺の日記帳では過去を変えることはできない。けど、変わる前の過去、変わった過去どちらも記してくれるんだ」

「…………」

「変わってしまう前の記憶が、なかったことにならない為に。――変えてしまった本人が困らないために」


 そう言うと奏多は苦笑いをして日記帳のページを無造作に開く。


「だから困ったよ。この間久しぶりにみんなと会ったからかな。陽菜が中学時代の話をし始めて。俺の知らない話が出てくるんだもん」

「あ……」

「まあ、だから分かったんだけどね。誰かが新の日記帳を使ってるって。……あの頃の、俺たちの様に」


――最後の言葉は小さくて、聞き取ることが出来ない。

 けれど私には、それよりも気になることがあった。


「って、待って!奏多って記憶は前のまま、なんだよね?」

「そうだね、日記帳で見ていくらかは変わった内容も知ってるけど俺自身が覚えているのは変わる前のものだよ」

「なのになんで陽菜のこと陽菜って呼んでるの!?」


 あの頃のままなら、私が知ってる限り奏多が陽菜をそんな風に呼んでいたことはなかったはずだ。

 なのに、奏多は陽菜を陽菜と呼んでいた。――どうして?


「この間から気になってたの!」

「気にするところが間違ってる気がするけど……。まあ、いいか。去年から付き合ってるんだよ」

「え……?」

「だから、呼び方も陽菜になってる。分かった?」


(そっ……か。よかった……よかったね、陽菜……)


「自分だってそれどころじゃないはずなのに、ホントにもう……」


 奏多が小さく笑いながら何か言ったような気がしたけれど……目が合うと、何事もなかったようにこっちを見ていた。


「それはいいとして……。今日連絡してきたのは、だよね」


 そう言って奏多は日記帳のページをめくった。



◆―◆―◆


 4月19日


 新が旭をふったらしい

 あいつの気持ちも分かるけど……バカだな

 泣きながら電話してくるぐらいなら、ふったりなんかしなければいいのに

 ホント……大バカだ


◆―◆―◆



「俺はこんな過去を知らない。けど……新ならやりそうだなって思ったよ」

「…………」

「ねえ、旭は何があっても……過去を変えるんだよね」

「え……?」


 奏多は足元をじっと見つめている。その表情は――私には見えない。


「この前言ったよね。辛いことが待っているとしても……それでも過去を変えるって。あの言葉を信じても、いい?」

「奏多……?」

「頼みがあるんだ」


 手のひらをギュッと握りしめると、奏多は顔を上げた。

 奏多は――泣きそうな顔をしていた……。


「新を、諦めないでやってほしい。あいつに幸せだったって、そう思わせてやってほしい。――最期の時に……あいつが嬉しそうに話してたんだ。中学三年のたった一年間……旭と付き合ってたあの日々のことを」

「あら、た……」

「一年だけ、じゃなくて……もっともっとたくさんの思い出を、あいつに与えてやって欲しい……。旭にしか、出来ない事なんだ……」


 そう言うと……奏多は私に、頭を下げた。

 地面には、ぽたぽたと落ちる雫が――黒い染みを幾つも作っていた。

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