第15話


「奏多は何を知ってるんだろう……」


 ベッドの上で新の日記帳を膝に乗せながら私は一人呟いた。

 もっと奏多に聞きたいことはたくさんあったのに――私が家を抜け出した事に気付いた母から届いた怒りの連絡により、その場は解散となった。


「――また日を改めて話そう」


 そう言う奏多の言葉を信じて。


「でも、何が分かったとしても私は……」



 ― ブーッブブ ―



「っと!奏多だ」


 メッセージが届いたことを知らせるバイブの音が聞こえて携帯を見ると、そこには奏多の名前が表示してあった。



【日記帳について


 1.日記帳の内容を夢で見ることが出来る

 2.夢の行動によっては過去が変わる

 3.一度変えた過去をもう一度変えることは出来ない

 4.二冊(俺と新)の日記帳の持ち主の記憶は変わらない

 5.持ち主以外に変わる前の記憶は残らない

 6.新の日記帳は過去を変えられるが俺のは変えられない

 7.日記の中身を書き写したりコピーしておいたりしても、日記帳の内容が変わるとそちらも変わる】


【かつて俺らがこの日記帳について、調べてわかったのはこんな感じ】


 私が知っていることもあれば知らないこともあった。


【ありがとう。4についてだけど私の記憶があるのはどうしてだろ?】


【うーん、単純に考えれば所有権が移動したのかなって思うんだよね】


【所有権が?】


 ――どういうことだろう?


【多分新が最後に新のおばちゃんに日記帳を旭に渡してくれって言ったんじゃないかな。だからおばちゃんには所有権が移らず旭に移った】


「そっか、だから……」


 新のお母さんはこの日記を読んだと言っていた。けれど、それ以上のことは何も言っていなかった。

 奏多の言う日記帳のルールが正しいとすれば、新が死んでこの日記を読んだときに新のお母さんは夢で過去をやり直していなければいけないはずだ。

 もしそうなっていたら――今頃、私は夢の中で再び新たに会うことは出来なかった。

 今も私が夢の中で過去を繰り返しているという事が、所有権が移動しているという何よりの証拠だと奏多は言う。


【これ以外に何か分かったことってある?】


「うーん……」


 何かあっただろうか。


(……あ!)


【連続した日付の日記を続けて読むと、夢の中でも続けてその日数を過ごしたよ】


【そっか……。俺らの時は一週間っていう短い日数だったから、それは知らなかったな……】


【俺たちの時って……何があったの?】


 テンポよく返ってきていたメッセージが、止まる。

――少しの間をおいて、奏多からの返信は届いた。


【……それは、また会ったときにでも話すよ】


「いったい何があったんだろう……」


 おやすみなさい、という文字の入ったスタンプが届いてそれ以上聞くことは出来なかった。

 いったい奏多は何を知っているのか――疑問に思いながらも、私は今日も新の日記を開いた。



◆―◆―◆


 4月19日



 午後からになったけど学校に行くことが出来た。

 LHRはオリエンテーションについてだった。

 旭が楽しそうに笑ってたから俺も楽しみだ!


 ……でも、どうしても不安が付きまとう。

 俺は本当に参加できるんだろうか。


 きっとこれからどんどん参加できるイベントは減っていくと思う。

 だからお願いです。

 どうか、オリエンテーションだけは参加できますように。


 ――少しぐらい、好きな女の子と一緒の思い出が、欲しいです。


◆―◆―◆



「新……」


 切ない。

 苦しい。

 どうしてこんな風に新が苦しまなければいけないんだろう。

 どうして……。


「何か私に出来ることはないのかな……」


 小さく呟くと、日記帳を閉じて部屋の明りを消した。

――そして私は、彼に会うために夢の世界へと旅立った。



◆◆◆



「……よしっ」


 こちらの世界で目覚めるのにも慣れてきた気がする。

 パジャマを脱いで中学の制服を身に纏いながら、私は学校に行く準備をして家を出る。

 教室に着くと日記に書いていた通り、新の姿はそこにはなかった。


「おはよー、陽菜!……どうしたの?」


 席に向かうと――頭を抱えた陽菜の姿があった。


「旭……私、ダメかもしれない」

「えっ、な、何があったの!?」


 深刻な雰囲気で話し始める陽菜に思わず詰め寄ると、陽菜は顔を上げた。


「昨日一日頑張ったんだけど……」

「うん……」


「奏多君といるとドキドキしすぎてオリエンテーションまで心臓もたない!!」


「…………」

「どうしたらいいかな!?もうホントなんで私が副班長なの!?でもでも、深雪ちゃんが副班長になって奏多君の傍にいるのも絶対ヤキモチ妬いちゃうし……!!」


 陽菜の奏多や深雪への呼び方が砕けたものになっているのに気付いて、上手く班に馴染めた様子にホッとする。


(本人はそれどころじゃないみたいだけど……)


 赤くなったり青くなったりしている陽菜を見ていると、こんな風に純粋に好きでいられることが羨ましく思う。


(私もあの頃は……)


 中学時代、今の陽菜と同じようにただ純粋に新が好きで、そんな新の全てにドキドキしていた頃を思い出す。


(新……)


 少しずつ新に惹かれていって、大好きになって、大切になって。


(新に告白されたときは、涙が出るぐらい嬉しかったなぁ……)


 忘れようと封印していた思い出が、どんどんどんどん溢れ出してくる。


(――今度こそ、悲しい思い出にしないためにも……)


 新との思い出を、大切な思い出を、辛くて苦しいだけのものにしないために――私は、過去を変えるんだ。

 その先に、待ち構えているのが――それがどんなに辛い現実だったとしても。




――新が来るまで、あと少し。

 私は午前の授業中、これからどうすればいいのかずっと考えていた。


(本来なら新から告白されるのはもう少し先、なんだよね)


 それは5月末にある球技大会の日のことだった。

 恥ずかしくて、ビックリして、ドキドキして、泣きそうになって……。

 私も好きだったからとても嬉しかったのを、昨日のことのように思い出せる。


(でも、それじゃあダメなんだ……)


 前と同じことを繰り返すのでは意味がない。

 それでは、何も変わらない。


(じゃあ、どうすれば……)


 どうすれば距離が縮まるのか、どうすればもっと新との関係を深めることが出来るのか。

 私はそればかり考えていた。



「――おはよ!」

「っ……あら、た?」

「ん?」


――気が付くと、目の前には新が立っていた。


「え、な、なんで?あれ?」

「旭、大丈夫?……目、開けたまま寝てた?」


 周りを見回すとすでに四時間目の授業は終わっていて、クラスメイト達は昼食の準備をしている。


「寝、てた……かも?」

「あはは、なんだそれ」


 笑いながら新は自分の席へと向かう。


「おー!新、遅かったな!」

「寝坊しちゃってさー」


 クラスの男子と笑いあっている声が聞こえてくる。


(寝坊って……。本当は具合が悪かったはずなのに……)


 あの頃は気付かなかった新の嘘が、今は凄く気になってしまう。


「ねーねー旭」

「んー?」


 そんなことを考えていると、陽菜が私の背中越しに声をかけてきた。


「あのさ、新君。教室に入ってきて真っ先に旭のところに来たね」

「え……?」

「新君の席、こっちじゃないのにね。もしかして新君……」


 振り返ると興奮を抑えられない様子の陽菜の姿があった。


「旭のこと、好きなのかな」


 そうなんだよ、実は!……なんて冗談でも言えない。

――言えない代わりに私は、困った風に笑う事しかできなかった。


「そう、かな?そうだといいなー……」

「きっとそうだよ!ね、旭は新君に告白とかしないの?」

「こくはっ……え、えええ!?」


 思わず大きな声を上げた私の口を、慌てて陽菜が手のひらで抑える。


「ちょ、旭!声が大きい!」

「ごめん……」


 思いもつかなかったことを言われて動揺を隠せなかった。


(告白……)


「そりゃ相手から言ってくれるなら、それが一番嬉しいけどね!でも、待ってるばかりなんて嫌じゃない。せっかく好きになったんだから気持ち伝えたいじゃん!」

「陽菜……」

「なんて……旭と違って私は全然脈なさそうなんだけどね」


 悲しげに言う陽菜に、なんて言葉を返していいのか分からない。

 私の知る限り、陽菜が奏多と付き合うことは、ない……。


(あれ、でも……)


 じゃあ何故あの時、奏多は陽菜のことを……。


「旭?」

「あ、ごめん」

「まあ、私のことは置いといて……告白はしないにしても、もう少し仲良くなりたいって思わない?」

「それは、思うけど……でも――」

「でも?」


 陽菜の勢いに圧倒されながらも、先程から悩んでいたことを伝える。


「どうやったら距離を縮められるか、分かんなくて……」


 出来る事なら私だって新との距離を縮めたい。

 新があの頃の私に言えなかったことを言える、そんな関係になりたい。

 でも……どうしたらいいのか、分からない。


「うーん……。旭はさ、新君ともっと仲良くなりたいんだよね?」

「うん……」

「好きな人との関係を変えたいなら自分から動くことだって必要なんだよ」

「…………」

「待ってるだけじゃ、何も変らないんだよ」

「――ありがとう、陽菜」


 微笑む陽菜を見ながら私は考える。


(告白……私から……)


 当時の私なら出来なかったかもしれない。

 でも……。


(過去を繰り返すだけじゃ、意味がない―。――意味が、ないんだ……)




――授業が終わり、下校時刻になった。

 みんなが帰っていく中で私は、陽菜と話していた内容について考え続けていた。


(少しでも早く関係を変えることで何かが変わる……?本当に……?でも、同じことを繰り返すよりは……)


 いくら考えても、答えが出ない。

 だって……だって……。


(そ……っか。答えを私は、知らない。知らないんだ……)


 当たり前のことなのに、そんな当たり前のことにも気付かなかった。――ここは確かに過去だけど、もうすでに私が過ごしていた過去じゃない。私が過去を変えることで、少しずつ人の関係も気持ちも変わってきている。


(ここは“過去”だけど、“今”でもあるんだ……)


「あーさひ?」


 私を呼ぶ声が聞こえて顔を上げると、そこには新の姿があった。


「また目、開けたまま寝てたの?」


 笑う新を見上げると、胸がキューっとなる。


「ね、一緒に帰らない?」


 微笑む新に頷くと、私たちは教室をあとにした。




「――でさ!」


 校舎を出て校門までの道のりを二人で並んで歩く。

 こっそりと隣を見ると、新が笑いながら喋っていた。



 笑う新の横顔が好きだ。


 八重歯の見える、少し幼さの残る笑顔も好きだ。


 高いようで低い、新の話す声が好きだ。


 新が……。



「――好き」



「……え?」

「あっ……!!」


 思わず声に出してしまっていた。


「旭……今……」


 戸惑ったような新の声が聞こえる。

 ……覚悟を決めて、私はぎゅっと目を閉じた。

 そして――。


「……私は、新が……好きです」


 新だけに聞こえるぐらいの声で、気持ちを伝えた。


 新は喜んでくれるだろうか。

 どんな顔してる?

 照れてる?恥ずかしがってる?それとも――。


(え……)


 隣に並ぶ新を見上げると……泣きそうな、悲しそうな顔が見えた。


(あら、た……?)


「旭」

「っ……」


 聞かなくても次の言葉が分かってしまった。


「ごめん」

「あら……」

「俺、旭のこと……そんな風に見たことなくて……。何か誤解させたなら……ごめん!」


 そう言うと、新は私の前から走り去っていった。

 残された私は――その場に立ち尽くすことしかできなかった。


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