第14話
気が付くと正午をとっくに過ぎていた。
ベッドの上――ではなく、机の上に置いた日記帳に覆いかぶさるように眠っていたようで……あちこちに涙の乾いたような痕があった。
「あ……」
そして私の目に飛び込んできたのは――少しだけ内容の変わった、新の日記だった。
「よかった……」
私の送ったメールで、自分のことを必要とされてるって、ほんの少しでもそう思ってくれてよかった。
「もう二度と……俺なんていらないなんて、言わせないから……」
ギュッと日記帳を抱きしめると、もう届かない君にそっと呟いた。
―― ブーーーーーッ ――
日記帳を閉じてそっと引き出しにしまっていると、部屋に携帯特有のバイブ音が鳴り響いた。
「っ……ビ、ビックリした」
(そういえば朝も誰かから連絡が来てた気が……)
そう思いながらスマホを確認すると、そこには深雪の名前が表示されていた。
「もしも……」
「やっとつながったああああ!!!」
まるでスピーカーにしたかのような音量で、深雪の声が聞こえてくる。
「み、深雪?どうし――」
「あんたね!休むにしても一言ぐらい連絡返してよ!!心配するじゃない!!」
「ご、ごめん……その――寝てた」
私の言葉に呆れたのか電話の向こうから深雪の大きなため息が聞こえる。
「まあ、具合悪いから休んでるわけだし……心配し過ぎかなっとは思ったんだけど、その――夢の件もあるから、何かあったんじゃないかと思ってね」
「ありがとう……」
「別に……勝手に心配してただけだから気にしないで」
「深雪……」
「あっ先生来ちゃった!あのね、メッセージ送ってあるから確認しといて!じゃ!」
そう言うと、深雪は私の返事を聞くことなく電話を切ってしまった。
「心配かけちゃったな……」
通話が終わり画面が待ち受けに戻ると、いくつかのメッセージが届いていてそのほとんどが深雪からだった。
【今日って休み?】
【おーい!大丈夫―?】
【あのね、日記帳の件で話したいことがあったの】
【奏多のこと覚えてる?中学の頃仲良かったでしょ?あいつなら新の日記帳のこと何か知ってるかなって思って昨日連絡してみたんだ】
【気になることがあるから今度会いたいって言ってたよ】
【何のことか分かる?】
【旭、ホントに大丈夫?】
【倒れてたりしない?】
【あーさーひー!!】
そしてさっきの電話に繋がるようで、メッセージはここで終わっていた。
「――あれ?」
深雪や他のクラスメイトからのメッセージを読み終えたはずの画面には、まだ未読が1件あることを示すマークがついていた。
― 堂浦奏多 1件 ―
「これって……奏多?」
今の私は奏多と連絡先を交換した覚えはないけれど……変わった過去の私ならもしかして……。
名前をタップして表示してみると……そこに表示されていたのは、予想もしなかった内容だった。
【深雪から連絡が来ました。――もしかして新の日記帳持っていたりする?】
「なんで……」
思いもよらない文章に動揺する気持ちを抑えて、私は何でもないフリをしてメッセージを入力した。
【久しぶり。新の日記帳なら、新のお母さんからもらったよ。どうして?】
しばらくすると私の送ったメッセージに既読の文字がついた。そして……奏多から、返事が届いた。
【やっぱり。あのさ、今日どこかで会えないかな。――新の日記帳のことで、話したいことがあるんだ】
◇◇◇
「久しぶり」
学校が終わるころ、私は家を抜け出して近くの公園に来ていた。
「あ……うん、久しぶりだね」
そこには……夢の中で見た中学三年生の頃よりも、成長した奏多の姿があった。
「といっても……新の葬式ぶり、かな」
「あ……そう、だよね。そう……。ごめんね、私あの時周り全然見れなくて……誰が来ていたとか覚えてないんだ……」
――あの日のことを思い出すだけで、まだ胸が締め付けられるように苦しくなる。
ずっと傍にいてくれていた深雪と……少しだけ話をした新のお母さん以外の人のことは、おぼろげにしか覚えていなかった。
「それもそうか……。それにあの日は、それどころじゃなかったしね……」
「…………」
「…………」
言葉に詰まっていると、奏多が口を開いた。
「――あの、さ」
「え?」
「変なこと聞くんだけど……」
「うん……」
奏多は小さく息を吐くと……私の目をじっと見つめた。
そして――。
「君は、竹中さん?それとも……旭?」
「っ……!?」
一瞬、言われた意味が分からなかった。
「どう、いう……」
「ねえ、君は新の日記帳でいったい何をしているの?」
奏多の言葉に、思わず後ずさる。この人は――。
「あなたは……何を知ってるの?」
「俺の質問に答えて」
一歩また一歩と私に近付くと、奏多は私の腕を掴んだ。
「ねえ――君は、だれ?」
「っ……私、は――」
「ごめん、遅くなっちゃったー!って……何やってんの奏多!!」
「深雪」
「深雪……」
緊迫した空気を壊したのは……深雪の明るい声、だった。
「別に……何もしてないよ」
パッと手を放すと、奏多は言った。
「ならいいけど……」
「…………」
「…………」
「どうしたの、二人とも。――なんか変よ?」
お互いに目を合わせず、何も話さない。――そんな私たちを見て深雪が心配そうな表情を浮かべる。
「――深雪は、何か知ってる?」
「え……?」
「今、何が起きているのか」
奏多の問いかけに、意味が分からない――と言いながら深雪は私と奏多の顔を交互に見比べていた。
「俺の記憶が確かなら、数日前まで俺のアドレス帳には確かに竹中旭の名前はなかった。なのに今は何故かある」
「…………」
「陽菜は何故か俺の記憶にない俺たちの思い出を、突然話し始めた」
「記憶に、ない――?」
奏多の言葉に、思わず声を上げてしまう。
記憶にない――それは、つまり……。
「そして、俺の日記帳の中の過去は……同じようでところどころ違う内容に、変わっていた」
「っ……!!」
「これは、君の仕業なのか……?」
再び距離を縮める奏多。
無意識のうちに、私は後ろに下がってしまう。
「君が、新の日記帳を使って……過去を変えているんじゃないのか?」
「どうして、それを……」
「やっぱり……」
奏多が小さな声で呟いた。そうでなければいいと思っていたのに――と。
「あなたはいったい何を知っているの……?」
「…………」
「答えて!」
奏多は何も言わない――。
その代り、私を見ると苦しそうな声で言った。
「悪い事は言わない。もう、過去を変えるなんてことはやめるんだ」
「どうして……」
「変えても――何も変わらないからだ」
「そんなの分からないじゃない!」
「分かるんだよ!!」
大きな声を出す奏多に、深雪が驚いた顔をする。
「分かるんだよ……」
「どういう……」
「少しは変わるかもしれない。でも……」
「でも……?」
「それでも、あいつは死ぬんだ」
「っ……!!」
「それは、変わらない。……変えられない。それでも君は、過去を変え続けるの?」
「私、は……」
私は言葉に詰まる。
それでもあいつは死ぬ
その衝撃的な言葉が、胸に突き刺さる。
「……あいつは自分が苦しむところを君に見せたくなかったから……あの時、別れを選んだんだ」
「え……」
「自分の好きな子に、自分が死んでいくところを見せたくなかったから……」
「っ……」
隣で深雪は泣いていた。
私は……私は……。
「だからこのまま……」
「――私の気持ちは?」
「なに……?」
「私の気持ちはどうなるの!!私だって……私だって!!――好きな人を一人で苦しめたりしたくなかった!!知っていたら!!傍に!!傍にいたかったよ!!それがどんなに苦しくても!!どんなに辛くても!!」
そこまで叫ぶと……深雪が泣いているのが見えた。――私の瞳からも……涙がこぼれた。
「私だって……新のこと、本当に好きだったんだよ……」
溢れだした涙は、止まることなく流れ続ける。
「その選択を、新が望んでいなかったとしても……?」
「それでも……」
「その選択のせいで――新の最期を、見ることになったとしても……?」
「……それでも、私は……新と過ごした過去を、悲しいだけのものにしておきたくないよ……」
「…………」
「この三年間、ずっとずっと新と過ごした日々を忘れようとしてきた。でも!忘れられなかった!!思い出すたび辛かった!!苦しかった!!――でも!!本当に辛かったのは……好きな人との思い出が、悲しいだけのものになったことだよ……」
大切な、大切な思い出だったのに、全部辛くて悲しいだけのものになっていた。
同じ道を通る時、一緒に行ったお店に行ったとき、二人で聞いた音楽が流れた時……いつもいつも悲しくて……苦しくて……忘れようとしていた。
新と過ごした、大切な大切な時間を。
「……ごめん」
「え……?」
絞り出すような声で、奏多は言った。
「あの時、あいつも苦しんで結論を出した。それが悪いとは思わない。でも――だからといって、今の君がしていることが悪いわけじゃないんだ……。それが君の想いなんだから……」
奏多の目が、まっすぐに私を見つめる。
「辛い思いをすると思う。それでも、いいんだね?」
「それでも私は、新の傍にいたい」
「わかった。……酷いこと言って、ごめんね――旭」
「ううん、大丈夫。ありがとう――奏多……」
涙を拭うとそこには、辛そうな顔をして笑う奏多の姿があった。
◇◇◇
「新……ごめんな、俺には止められなかったよ。――こうなること、お前は分かってたのか……?分かってて――」
奏多は一人空を見上げる。
誰もいない公園で――。
「……じいちゃん、なんでこんな日記帳、俺らにくれたんだよ……」
月を見上げて奏多は呟いたがその問いに答える者はいない。
「答えは二人にしか分かんない、か」
先に逝った大切な二人を想いながら……奏多は、月に背を向けると自宅へと続く道を歩き始めた。
そんな奏多の姿を――月が優しく照らしていた。
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