この世界で、君と二度目の恋をする

プロローグ

プロローグ

「ごめん、旭（あさひ）。やっぱり俺たち、このまま付き合い続けるのは……無理みたいだ」

　大好きな彼がそう切り出したのは、少し早い桜が咲く裏庭だった。

「新（あらた）……？え、なんで？」

「ごめん……」

「ごめんじゃわからないよ！」

「ごめんね……」

　それだけ言うと、新は私に背を向けて走っていってしまった。

「待って……！！」

　手を伸ばした私の視界には、見慣れた白い天井があった。

「夢……か」

　そこにはあの桜も彼の背中ももうなかった。

　それもそのはずだ。だって、あれは3年も前のことなんだから……。

（いつまで引きずっているんだか……）

　女々しい自分に辟易しながら、ハンガーに掛けてあった制服を手に取った。

「あ、旭！おはよー！今日早いね！」

「おはよー。うーん……イヤな夢、見ちゃってさ」

　教室に入ると友人が声をかけてくれた。

「イヤな夢？」

「…………」

「もしかして、また新の夢見ちゃったの？」

「……うん。もう吹っ切れたと思ったんだけどね」

　そう言って笑う私に彼女、深雪（みゆき）は優しく微笑んでくれる。

「大丈夫だって、そのうちきちんと忘れられる日が来るよ」

　そうだね、と頷いて深雪の後ろの席に私は腰を下ろした。

　あの日から、ずっとそう思ってきた。いつの日か、時間が経てば、そのうち……。でも、何年経っても夢の中でのあの日は鮮明で……あの夢を見るたびに、新と過ごした中学3年のあの1年を、思い出してしまう……。

（3年、か……）

　あの時から二度と会うことのなかったかつての彼の姿を、無意識のうちに思い描いていた。

「うーーん、どうしよっかな」

　放課後、深雪に遊びに誘われたものの気分が乗らず真っ直ぐ家に帰ってきた。

　着替える気分にも宿題をする気分にもなれず、今は制服姿のままベッドの上に転がっている。

（あんな夢見たせいだ……）

　もうずっと見ることのなかった夢。

　そして、イヤってほど見続けた夢。

　あの日の続きを探すように、あの日言えなかった言葉を絞り出そうと何度も何度も夢見てはいつも同じように終わってしまった。

（いい加減に忘れて、次に進まなきゃなぁ……）

　そう思うのは何度目だろう。何年目だろう。

　忘れたいのに忘れられない。

――きっと、自分の中で納得がいって終わった恋じゃなかったから。

「新……今頃どうしてるんだろう……」

「～♪～～♪♪～♪～～♪♪」

　そう呟いた途端、マナーモードを解除していた携帯が着信音を奏で始めた。

　通常の着信音とは違う、たった一人にしか鳴るはずのないメロディーを。

「あら、た……？」

　ディスプレイに表示されていたのは、懐かしくてほろ苦くて、ずっと……ずっと待ち焦がれていた人の名前だった。

　―着信：スズキ　アラタ―

「も、もしもし……？」

　思わずベッドから立ち上がり、深呼吸をして通話ボタンを押す。

　携帯電話を握る手と同じぐらい震えた声を、何とか絞り出した。

「…………」

　でも、電話の向こうからは何も聞こえてこない。

「あら……た？」

　そう尋ねる私の声に被さるように電話からはくぐもった女性の声が聞こえた。

「旭さん……よね？」

　聞き覚えのあるような、ないような。

　少なくとも新ではない女性の声だった。

「あの……？」

「母です」

「え……？」

「鈴木新の、母です」

――その女性は、固い声でそう言った。

◇◇◇

「なんで」

　新の母との電話を切ったあと、私は携帯電話を握りしめたまま呆然と立ち尽くしていた。

「なんで……なんで……なんで……！？」

　数年ぶりに、といっても当時だってそんなにたくさん話をしたわけじゃない。ただ、遊びに行くといつもニコニコと歓迎してくれた、新によく似た笑顔のお母さんだった。

「昨日、新が息を引き取りました」

　そう新のお母さんが言ったとき、言われている内容が理解できなかった。

　（新が息を引き取った？どういう意味？息をってなに？）

　頭の中をたくさんのはてなマークが埋め尽くす。

「本日通夜、明日葬儀を行います。是非、旭さんには最後のお別れに来ていただきたいのです」

　新が、死んだ。

　３年ぶりにきた連絡が、まさかこんな内容だなんて……思いもよらなかった。

「新……」

　何で今更私に連絡が来たのか、不思議に思うべきところは沢山あった。

　だけど、動揺した私は新のお母さんに何も聞くことが出来ず、ただ言われるがままに返事をし電話を切った。

「…………」

　何も、考えられなかった。

　涙の一つも流れない。

　新が死んだ。

　その言葉の意味を、理解することを頭が拒んでいた。

　けれど、そんな私に追い打ちをかけるように次々と携帯電話に連絡が入る。

「っ…………！！」

　どの連絡もかつての、そして今も仲良くしている友人からのもので私を気遣う内容だった。

　一人で行くのは心細いだろうと誘ってくれた深雪と一緒に3年ぶりに新の家を訪れた。

　懐かしい家、懐かしい空気。

　中学生のころ、ドキドキしながら遊びに来ていた新の家は、あの頃と何も変わっていなかった。

　神妙な空気に包まれていることと……いつも隣にいた、新がいないこと以外は。

「旭さん……よね？」

　呆然と立ち尽くす私に、新のお母さんが声をかけた。

「あ……お久し、ぶりです」

　喪服に身を包んだ新のお母さんは、3年前にあった時よりもずっとずっと老け込んで見えた。

「突然電話してごめんなさいね」

　歩き始めた新のお母さんをどうしたものかと思い焦っていると、隣にいた深雪が

「早く追いかけなさい」

　そう言ってくれたから、深雪を残して新のお母さんについていくことにした。

「…………」

「…………」

　無言でしばらく歩いた後、新のお母さんは見覚えのある部屋に入っていった。

　――新の部屋だ。

　あの頃、何度も遊びに来ていた新の部屋。

　あの日から、初めて足を踏み入れる新の部屋。

　新の勉強机の椅子に座ると、新のお母さんは小さな声で話し始めた。

　子供のころからずっと、心臓を患っていたということ。

　中学3年の3学期に病状が悪化し、高校へは行かず病院で闘病生活を送っていたということ。

　そして……最後まで私の名前を呼び続けていたこと…………。

　私は知らない。知らなかった。

　新が苦しんでいたことも、病気と闘っていたことも。

　何も、知らなかった。

「これをもらってくれないかしら」

　手渡されたのは一冊のノートだった。

　古い装丁の、分厚いノート。

「日記帳、ですか？」

　背表紙に金の文字で”Ｄｉａｒｙ“と書いてあった。

「あの子がずっとつけていたものなんだけど……。きっと旭さんが持っていてくれる方が喜ぶと思うから」

「え……？」

　私が持っていた方がって……どういう意味……？

「本当はあなたにあったら言いたいことがいっぱいあったの……」

「…………っ」

「でもね……それを読んだら、何も言えなくなってしまったわ」

　寂しそうに笑う新のお母さんに私はなんて声をかけていいのかわからなかった。

　受け取った日記帳を大事に抱え、私は小さく礼をして深雪の元へと戻った。

　鼓動がいつもより大きく聞こえる。

　走る必要なんかないのかもしれない。

　でも……１秒でも早く深雪のもとに、一人じゃない空間に戻りたかった。

「旭？大丈夫？」

　気が付くと目の前には深雪の姿があった。

「だい、じょうぶ」

「ならいいんだけど……。あまり顔色良くないし、早めに帰ろうか？」

「……うん」

　深雪とともに新の棺のほうへと向かう。

　棺の中には、あの頃よりも少しだけ大人びた雰囲気の新がいた。。

「新……」

　抑えきれず涙が溢れる。

　そしてようやく理解する。

　――ああ、本当に新は……死んだのだと。

「どうして何も言ってくれなかったの……？」

「っ……」

　隣で深雪も泣いていた。

「新……ねえ、新……。目を、開けてよ……」

　顔を上げると――遺影の中で、新が微笑んでいるのが見えた。