第33話



 ◆―◆―◆


 4月30日


 一晩入院して夕方に家に帰ってきた。

 退院前に先生から叱られた。

 もっと自分の身体を大事にするように、と。

 周りの人が俺をどんなに大事に思ってるか分かってるだろう、と。


 ……俺のわがままのせいで、また辛い思いをさせてしまった。

 なのにこれ以上、辛い思いをさせる人を増やせって?



 何も考えずに楽しく一緒にいられればそれでよかったんだ

 共有してほしいなんて思ってない

 それよりもただ、一緒に笑っててほしかった

 傍にいてくれるだけで、よかったんだ


 ◆―◆―◆



 家に戻ってきて新の日記帳を開けると、そこには変わる前よりも苦しそうな新の文字があった。

 苦しめてしまったのは、私……。


「間違ってたのかな……」


 奏多や深雪に伝えた言葉は本心だ。

 新が死んでしまった時に受けた辛さに比べたら、喧嘩するぐらいなんてことない。

 ――でも、そんな私の気持ちは新にとって迷惑なのだろうか。

 新を苦しめるだけなんだろうか……。


「分からない、けど……とにかく前に進まなきゃ」


 立ち止まっていては何も変わらないんだから……そう思いながら、私は次のページを開けた。



 ◆―◆―◆


 5月1日


 学校で旭と会ったけれど、何も話さないまま。

 何か言いたげに俺を見ていたけど……何も言えなかった。

 深雪に「喧嘩でもしたの?」って聞かれたから「別れた」って言ったら奏多に殴られた。

 ……みんな友達思いだなぁ。


 ちゃんと旭と話せって言われたけど……もういいんだ。

 数日間だけど旭と付き合えて楽しかった。

 明日が終われば連休だ。

 少し時間が経てばきっと……。


 ◆―◆―◆



 ――パタン、という音をたてて日記帳を閉じる。


「どうしたら、新が自分から話してくれるかな……」


 奏多の提案が頭をよぎるけれど……そこまで誰かに甘えるのは申し訳なく思ってしまう。


「とにかく、一度新に会って話をするんだ……」


 ベッドに横になると私は――目を、閉じた。



 ◆◆◆


 目が覚めていつものように準備をして学校へ向かう。


「いない……」


 日記帳では今日は新は学校に来ることになっていた。

 でも……待ち合わせ場所には、誰もいなかった……。


「そりゃ……そっか。別れるって。言ってたんだもんね……」


 胸がズキンズキンと大きく痛む。


「思ったより……辛いなぁ……」


 泣きそうになるのを必死で堪える。

 気を抜くと……涙が止まらなくなってしまいそうだったから。

 滲んだ涙を袖口で拭うと私は……一人で、学校までの道のりを歩いた。




 教室に着くと、クラスメイト達の声が飛び交う中で、一人静かに座っている新が目に入った。


「……おはよう!」


 新の元に向かって声をかけると……一瞬驚いた顔をした後、新は私から顔を逸らした。


「…………」

「今日は来れてよかったね!」

「…………」

「昨日のプリントできた?あれ今日提出なんだよー」

「…………」


 話しかける私に……一言も返事を返さない新。

 それでもめげずに声をかけ続ける。

 けれど……どれだけ話しかけても、新が返事を返してくれることはなかった。



「ねえ、喧嘩でもしたの?」

「え……?」

「新君と今日全然一緒にいないから」

「……まあ、そんなとこかな……」


 休み時間の度に新のところに行こうとするが、私を避けるように教室から出て行ってしまう。

 そのせいで、昼休みを迎えた今まで一度も新と話せずにいた。


「どうせ新が何かやったんでしょ」

「……ううん、そんなことないけど……大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」


 心配そうに私を見る陽菜とは対照的に……怒ったような表情で深雪は新の方に歩いて行った。


「新!」

「……なんだよ」

「何が原因で喧嘩したのか知らないけど、旭のこと泣かしたら承知しないわよ!?」

「……喧嘩じゃねえよ」


 新に詰め寄る深雪を慌てて追いかけると、新は私をチラッと見て――深雪に言った。


「俺たち別れたんだ」

「なっ……」

「だから一緒にいないだけ。――それじゃ」


 そう言うと新は席を立った。


「ちょっと!どこに……」

「……帰るんだよ。用事があるから」


 私の方を見ずに、新は鞄を持つと教室を出て行ってしまった。

 残された私を、深雪が心配そうな表情で見つめる。


「……昨日、ね……ちょっと揉めちゃって……。それで……」

「それでって……!いいの!?」

「よくないよ!!」

「旭……」


 思わず大きな声を出してしまった私へと、クラスメイトが視線を向ける。


「……ごめん」


 席に戻ると、事情が分からない陽菜が何があったのかと聞いてくるけれど……私は何も答えられなかった。




 あの後、何度かメールを送ってみたけれど、返事は来なかった。

 奏多の電話にも出ないらしい。


「……今日って、病院?」

「――いや、何も聞いてないけど……まあ、俺に全部言うとも限らないか……」


 放課後――部活に行く深雪と陽菜を見送ると、私と奏多は誰もいなくなった教室にいた。


「どうする?今日も家、行ってみる?」

「……開けてくれなかったりして」


 冗談で言った私の言葉に、奏多は眉をしかめる。

 そして……言いにくそうに、言った。


「――俺、さ無理だと思うんだ」

「え……?」

「旭は新の口から言わせたいんだろうけど……きっと、あいつは言わないと思う」


 ああ、やっぱり奏多は奏多だ。


「だから、さ……俺に考えがあるんだ」


 変わらず、私たちのことを想ってくれる。


「新の前で、旭に病気のこと話すよ」


 それは、数時間前に奏多の口から聞いた提案と……同じ内容だった。

 ――言葉に詰まった私に奏多は、考えといて――というと帰って行った。

 私は……まだ、どうするか決められずにいた。



 ◇◇◇



「そこまで頼って、いいのかな……」


 目が覚めて日記帳を確認しながら私は一人呟く。

 日記帳の内容はほとんど変わらずだった。


「どうしたらいいんだろう……」


 奏多の提案に乗れば、新の病気のことを私が知るきっかけが出来る。

 でも、それでは奏多が憎まれ役になってしまう……。


「0時か……」


 時計を確認すると、まだ夜中だった。

 まだどうするか、決めきれていなかったけど……私は続きのページをめくった。



 ◆―◆―◆


 5月2日


 もう日記を書くをやめようかと思う

 この日記帳には旭への思いが詰まりすぎてる

 それが、辛い


 開ける度にどんなに旭が好きでどんなに旭を想っているか

 それを目の当たりにしてしまう


 旭、ごめんね

 何のしがらみもなく旭と一緒にいたかった

 不安なんて抱えず、楽しく過ごしたかった

 ただ純粋に、旭に好きだって伝えたかった


 これが最後の、君への気持ちを綴った日記です。

 大好きでした。


 さようなら。


 ◆―◆―◆



 そこに書かれていた内容に……私は、ショックを、受けた。

 過去が、変わっている。


「どうして……なんで、こんな……」


 私の行動で、過去が大きく変わってしまった。

 このままだと……新との過去を変えるどころか――私たちが付き合っていた3月までの出来事もなかったことになってしまう……!


「そんなの、嫌だ!」


 日記帳を閉じると、もう一度ベッドに寝転んで私は固く目を瞑った。


「奏多、ごめん……」


 優しい友人への謝罪の言葉を口にすると……私は、過去を変えるために夢の中へと戻った。



 ◆◆◆



 この日も学校では、相変わらず新が私の方を見ることはなかった。


「……どこでがいいかな」

「やっぱり、家じゃない?」

「でも、入れてくれるかな……」


 休み時間を使って奏多と相談をする。

 新、ではなく奏多と一緒にいる私を……深雪と陽菜は訝しげに見ていたけれど、私はそれどころじゃなかった。


「でも、新がそんなに思い詰めていたなんてな……」

「終わりになんて、させないんだから……!」


 心配そうに新を見る奏多に、私は言う。


「まだまだ今から楽しい事いっぱいあるんだから!二人で過ごしてきた沢山の思い出をなかったことになんかさせない!」

「……ん、そうだね」


 そう言いながら、奏多は新から私へと視線を戻す。


「放課後、さ」

「え?」

「帰り道に、捕まえよう。それで、話をするんだ」

「うん……。ごめんね、巻き込んじゃって……」

「大丈夫だよ。それに……二人には、笑っててほしいんだ」


 笑う奏多の顔がどこか悲しそうに見えた気がして――私は、何も言えなかった。




「まずは二人で話をさせてほしい」


 そう伝えると、分かっていたように奏多はうなずく。


「そう言うかなって、思ってた」

「ごめんね。……ありがとう」


 行ってらっしゃい、と言う奏多の声に背中を押されて、私は公園の近くを歩く新に向かって走った。


「新!」

「っ……あさ、ひ」

「……話が、したい」

「……俺はもう話なんて……」

「新にはなくても!私にはあるの!!」


 そう言った私の剣幕に押されたのか……新は俯くと、小さな声で言った。


「少しだけ、なら……」

「ありがとう」


 二人並んで公園のベンチに座る。


「……体調は大丈夫?」

「え?」

「昨日帰っちゃったから、やっぱり具合よくなかったのかなって思って」

「……大丈夫。ありがとう」

「ならよかった……」


「…………」

「…………」


 会話が、途切れる。


「――何もないなら……」

「新」


 居心地の悪そうな顔をした新が何か言おうとするのを遮ると、私は新に問いかけた。


「もう一度聞きたいの。……新は私に、何か隠していることはない?」

「なんで……」

「新がずっと一人で辛そうな顔をしてるのに気付いてたの。教えてほしい、新が……好きだから」

「っ……」


 そっと新の手を握りしめる。


「私は、新が思ってるほど弱くないよ。新と一緒に、歩いて行きたいんだよ。……こうやって、手を繋いで」

「旭……」

「だから……教えてほしい」


 新の瞳が、揺れ動くのが見えた。

 ……けれど。


「ごめん」


 ギュッと目を閉じると私の手を振り払い、新は言った。


「旭のことが好きだからこそ、言えない。言いたくない。……俺のわがままなんだ。嫌いになってくれたっていい」

「あら……」

「俺は旭の傍にはいられないんだ!もう、俺のことは忘れて…… 」



「――もうそんなやつ、放っておけよ」



「……奏多?」

「っ……!?」


 突然現れた奏多は、私の手を掴むと……身体ごと引き寄せた。


「そこまで言うんなら嫌いになってやればいい。どうせこいつは何にも出来ないんだから」

「何を……」

「なあ、新?旭に嫌われたいんだろ?なら俺が言ってやるよ」

「やめっ……!!」

「旭、こいつはね」


 青い顔をした新が奏多に掴みかかろうとするけれど……それをかわすと、真剣な顔で奏多は言った。


「もうすぐ死ぬんだ。心臓の病気でね。だから、一緒にいてもしょうがないってこと」

「お前……!」

「……ねえ、旭。新じゃなくて、俺と付き合おうか?」

「……え?」


 予想もしていなかったことを……奏多が言い始めた。


「俺なら、悲しい想いなんてさせないよ。辛い顔もさせない。それに……新もそうしたらいいって言ってたよ」

「新……?」


 奏多の言葉に、新の方を見ると……新は、私から視線を逸らした。


「ほら、ね。……これからは俺がずっと、旭の傍にいるよ」


 そう言うと奏多は……私を抱き寄せて――キスを、した。


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