第20話
「へくちゅ!」
「ぷっ……」
手を繋いで、星空を見上げていた私たちの間に流れる空気を壊したのは……私のくしゃみ、だった。
「ご、ごめん!!」
「や、あはは。そろそろ戻ろうか?冷えてきちゃったし。……それにそろそろ見回りが来るんじゃないかな。その時学級委員二人がいないなんてことがバレたら……」
「怒られるね……」
「だいぶね」
顔を見合わせて私たちはもう一度笑った後、繋いでいた手をそっと離した。
「それじゃあ、また明日」
「うん。……旭!」
手を振りながら歩き出した私を、新の声が引き留める。
「どうしたの……?」
「……おやすみ!」
「っ……!!おやすみ、なさい!」
ただの挨拶のはずなのに。
たった4文字の言葉に、これほどドキドキするのは何故なのか……。
(おやすみ、新。……今も、昔もずっと大好きだよ)
届かない声を心の中で呟いて、私は自分のテントへと再び歩き出した。
翌日、鼻詰まりと背筋の悪寒で私は目を覚ました。
(私のバカ……)
鼻をすすりながらテントの中で着替えをすると、私は何でもないフリをしてテントから外へ出た。
「んー!いい天気!」
顔に触れる空気はひんやりとしているけれど、気持ちがいいほどの晴天だ。
「陽菜、おはよー」
「おはよー!起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫だよ」
隣に並んで伸びをすると、陽菜が笑った。
「旭、おばあちゃんみたい」
「失礼な!寝慣れないところで寝たからかな?足腰が痛くって……」
「え、ホントにおばあちゃん……?」
「違いますー」
他愛ない話をしていると、眠そうな顔をした深雪も起きてきた。
「おはよー。二人とも起きるの早いね……」
「おはよ。深雪が昨日一番に寝てたんだけどね」
あくびをかみ殺したように話す深雪に笑いながら言うと、私の方をジッと見てから口を開いた。
「……誰かさんが外に行くときに目が覚めちゃって、しばらく眠れなくてね」
「っ……!?ご、ごめん!」
「先生が見回りに来るまでに戻って来なかったらどうしようかって焦ったんだから」
「すみません……」
わざとらしくもう一度欠伸をしてみせた深雪を、陽菜が不思議そうな顔で見つめる。
「何の話?」
「なんでもないわ。それより今日の午前中はハイキングだったかしら?晴れて良かったわね」
話題を変えながら深雪はあたりを見回す。
「ほとんどの班が起き始めたみたいだし、そろそろ朝食の時間だから移動した方がいいんじゃない?」
「もー、最後に起きてきた深雪ちゃんがそれを言う?」
「ひっ陽菜!ほら!そんなことより早く行こ!朝食は何かなー?」
「旭、どうしたの?」
「どうしたのかしらねー?」
これ以上マズイことを言われてしまう前にと、陽菜と深雪の手を取って私は歩き始めた。
そんな私に深雪は仕方がないわね、と呟きながらもそれ以上何か言うことはなかった。
「よーし、それじゃあ今からハイキングだ」
「え、これって……」
「ハイキングじゃなくって……」
「ただの山登りなんじゃあ……」
目の前に広がる光景を見たクラスメイトたちの、動揺した声が聞こえてくる。
(そうだよね……。私も3年前そう思った)
ハイキングという名の――登山。
一応道はあるから、あとはルートを外れなければ山頂まで行くことは難しくない。
……体力さえあれば。
「静かに。頂上着いたら先生がいるからそこで報告して、昼飯食ってまた降りてくること。いいなー?」
「…………」
「…………」
「返事をしなかった奴らは、昼飯食わずに降りてくるか?」
「わかりました!!」
先生の無茶な提案に、慌てて返事をすると満足そうに先生は頷いた。
「鈴木」
「はい?」
私たちの前の班が出発した後で、田畑先生が新の元にやってきた。
「無理、すんなよ?携帯持ってるな?何かあったら……」
「大丈夫だって!」
小声で話しかけていたけれど、隣にいた私には筒抜けで……。
それに気付いた新は、慌てて先生の言葉を遮った。
「全員で山頂行くから!だから、待っててよ!」
「――ああ、そうだな。……お前たちも気を付けるんだぞ」
「はーい」
気の抜けた返事をする奏多に笑うと、私たちの班の出発時刻がやってきた。
「いってきまーす!」
そうして私たちは、ハイキングへと出発した。
「んー!ちょっと休憩!」
何度目かの休憩を申請すると、深雪は道端に座り込んでしまった。
「今これどのあたり?」
「多分……やっと半分ぐらい?」
「まだ半分!?」
私と新の会話を聞いた深雪が、悲痛な声を上げた。
「あともうひと踏ん張りだよ!頑張ろ?」
「そうそう。ここまで来たんだからあと少しだよ」
「そうね……」
手を差し出す深雪を引き起こすと……突然、視界が揺れた。
「っ……」
「旭?」
「な、なんでもない!」
慌てて引き起こすけれど、深雪が心配そうな顔で私を見ていた。
「つ、疲れちゃったのかな」
「深雪が重かったんじゃあ……」
「失礼な!」
軽口をたたく二人を笑いながらも、山を登って汗が引き始めた体は――再び寒気に襲われ始めていた。
(――やっぱり、風邪……かも)
自覚するとどんどん体調は悪くなるもので。
山頂まであと少し、というところまで来たときには完全に熱で頭がボーっとしていた。
ドクン、ドクンと自分の心臓の音が大きく響いて聞こえる。
(本格的に、フラフラしてきた……)
どうしよう、と思ったところで歩くしかない。
それに……せっかくみんなが楽しそうにしているのに、私がそれを邪魔したくない。
(新だってここまで何の問題もなく来れたんだもん。このまま……)
そう思って足に力を入れるけれど、なかなか前には進まない。
「あさっ……」
「きゃっ!!」
新が何かを言おうとした瞬間、それを遮るように前方で陽菜の悲鳴が聞こえた。
「え、大丈夫?陽菜ちゃん!?」
「こ、こけちゃった……」
「っ……陽菜、大丈夫?」
足を滑らせた陽菜が勢いよく転んでしまったようで、足首を押さえているのが見えた。
慌てて駆け寄ると、陽菜の足首は赤く腫れ上がっていた。
「あちゃあ……。新!お前のリュックに応急セット入ってたよな?その中に湿布ある?」
「ちょっと待って」
新は自分のリュックを下ろし、中に入っていた応急セットから湿布を取り出すと奏多へと渡す。
「そんな大きいサイズはないけど……大丈夫かな?」
「大丈夫だろ、陽菜ちゃんほっそいし」
「そ、そんなこと……」
捲り上げたズボンの裾から見えた足首を隠すようにする陽菜だったけれど、痛みで顔をしかめてしまう。
「貸して!――ちょっと待ってね、今貼るから」
そう言いながら湿布を奏多から奪い取る深雪を見て小さく笑うと、私は新のリュックの隣に腰を下ろした。
(ちょっと休憩したら、マシになるかな……)
そう思った瞬間だった。
世界がグルっと回転するのを感じたのは。
「っ……!!!」
とっさに手を伸ばした私の腕は、隣にあった新のリュックに絡まり……そのまま山の斜面を、転がり落ちた。
……転がり落ちた、はずだった。
「あっ……ぶなかった!!」
「あら、た……?」
「新?じゃない!」
転がり落ちそうになった私の腕を、とっさに新が掴んでいた。
「具合悪いなら悪いって言わなきゃ!見てみなよ!あのまま落ちてたらあんな風になってたんだよ!?」
怒る新に私は後ろを振り返ると、山の斜面の途中の木に引っ掛かる新のリュックが見えた。
もしもあのまま落ちていたら……そう思うと、ゾッとする。
「やっぱり熱してるし……。その、昨日ので風邪ひいたんだよね?ゴメン……」
「ううん……私の方こそ、ごめんなさい……」
心配そうに私を見た後……新が私の後ろへともう一度視線を向けたような気がした。
「陽菜ちゃんも歩けそうだし、とりあえず上まで行こうと思うけど旭は歩ける?無理なら先生呼ぶけど……」
「大丈夫。……大丈夫、なんだけど……」
熱のせいだろうか、何かを忘れている気がする。
忘れちゃいけない何かがあった気がする。
でも、頭がぐるぐるして考えがまとまらない。
忘れている何かが、思い出せない。
(落ち着け、落ち着け私……。そうじゃないとさっきみたいにまた……新のリュックみたいに私が。……リュック?……新の、リュック!!!)
「ど、どうしよう!!新のリュック!!取りに行かなきゃ!!」
「な、何言ってるの?」
「だって!!リュック!!私のせいで!!あの中に……薬!!!」
「っ……!!……だ、大丈夫だよ。酔い止めぐらいなら……誰か他に持って……」
視線をそらしながら言う新の腕を必死で掴む。
(ごめん、新……!)
今は――今だけは、誤魔化されてなんかあげられない!!
「ダメ!!ダメだよ、新!!」
「何……」
「諦めちゃ、ダメなんだよ……!!」
「旭……?」
辛そうな表情の新に、私は覚悟を決めた。
「私、取ってくる!」
(私の、私のせいで新が諦めるなんて……そんな選択、絶対させない!!)
「旭!?」
背負っていたリュックを下ろすと、私は引っかかっている新のリュックを見た。
(うん、あれなら……大丈夫!)
「ちょっ……旭!?あんた何して……!!」
そっと斜面を下りようとすると、深雪たちが驚いて私たちの方へ駆けてくる。
「新!何があったの!?ねえ、新!!」
「その……」
「あれ、私が落としちゃったの……だから……」
事情を説明しながらも斜面へと足をかける私の腕を、深雪が掴んだ。
「そんなの!!取りにってあんたが落ちたら意味ないでしょ!?謝れば新も許してくれるわよ!中身ならきっと先生が予備を……」
「ダメなの!!」
必死で私を止めようとする深雪の腕を振り払うと――深雪が驚いた表情を見せた。
「絶対に、ダメなの…!!」
「旭……」
泣きそうな声で言う私を、深雪は不安そうに見つめている。
――そんな私たちのそばから離れた奏多が、新の顔を覗き込みながら口を開いた。
「なあ、新」
「何……」
「あの中ってもしかして……薬……」
「…………」
顔をそむける新に、奏多はしょうがないな――と首を振った。
「……ったく。ほら、旭はこっちに戻ってきて」
「でも……!」
私の手を強引に掴むと、奏多はそのまま新に私の手を預けた。
「旭はここにいて?」
「なんで!?私――」
「大丈夫だって。……俺が取ってくるから」
そう言うと、奏多は自分の背負っていたリュックを新に渡した。
「なら俺が……!!」
「バーカ、お前が行ったら責任感じて旭がまた私が行く!ってなっちゃうだろ?だから、お前はそこで旭を捕まえておくこと。分かった?」
「奏多……」
ニッと笑うと、奏多は斜面を下り始めた。
――その後のことはあまり覚えていない。
奏多が無事新のリュックを持って戻ってきてくれたことは覚えているけれど……どうやら私はそのまま意識を失ってしまったみたいだった。
気が付いたときには……救護所のようなところで寝かされていた。
(ん……)
誰かの、話し声がする気がする……。
「旭にバレてるって……なんで……」
「だって……ただの酔い止めだと思ってたら、あそこまでしないよ……普通」
「まあ、確かに……。でもさ、ならいっそバラしてそれでも好きだって言ってくれたら……」
「イヤだ!!」
新の声が――辛そうな声が、聞こえる……。
「新……」
「旭には……旭にだけは知られたくない……。好きな子の前でぐらい……カッコつけていたいだろ……?」
「そりゃわかるけど……」
「それに……もしも、受け入れてくれたとして……俺死んじゃったら、残された方は悲しいだけだろ……」
「新……」
これは……夢だろうか。
――夢かもしれない。
(夢でもいいから……悲しい想いをしたとしても、新の傍にいたいんだよって……そう、伝えられたらいいのに……)
「新?」
「や、今……旭が起きた気がして」
「――よく寝てるよ」
「そっか……」
「――旭。俺に諦めないでって言ってくれて、ありがとう。すっごく嬉しかった。……でも――弱い俺で、ゴメンな……」
そう呟いた新の声を、私は夢の中で確かに聞いた気がした。
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