第35話


 抱きしめられた腕が解けると、私たちは顔を見合わせて笑い合った。


「話してくれて、ありがとう」

「え……?」

「病気のこと……教えてくれて、ありがとう」

「……言うのが、遅くなって……ごめん」


 あの頃は知らなかった病気のことを、今の私は知ることが出来た。

 これは、大きな変化だ。


(新が、自分から病気のことを話してくれた訳じゃないことが、引っかかるけど……)


 でも、きっと……関係を築くことが出来てなかったら――いくら奏多が協力してくれたとしても、話してくれなかったと思うから……。


(今ならきっと……何も言わずに去って行ったりはしない、よね……?)


「でも、ホントごめん!」

「え?」


 突然、目の前の新が頭を下げた。


「俺がもっと早くちゃんと話してたら……嫌、だったよね……俺のせいで……」

「ううん、大丈夫だよ。こうやってまた新と一緒にいられるし……」

「だ、大丈夫なの!?え、旭は嫌じゃなかったってこと……?」


 顔を上げると驚いたような表情で、新は私を見つめる。


(揉めたいか揉めたくないかでいうなら、揉めたくなんかないよ……でも)


「嫌……だったけど、でもこれからのことを考えると必要だったわけで……」

「必要!?奏多とのキスが、必要だったの!?」

「キス!?」


 新の驚いた声に重なるように、私の声が公園に響き渡る。

 だって、キスって……。


「さっき、奏多と……!」

「あ、あれはだよ!」

「――えっ!?フリ……?」

「そうだよ!本当になんかされてないよ!」


 慌てて先程の出来事を新に伝えると、ホッとしたように息を吐いた。


「な、なーんだ……そうだったんだ……。俺てっきり本当に奏多が旭に、その……キス、したんだって思って……」

「いくら新のためだったとしても、奏多だって好きでもない子にキスはしないよ……」


 苦笑いする私を新は、眉間に皺を寄せて見つめる。


「…………」

「新……?」

「旭は……」

「ん?」

「……いや、なんでもない」


 そう言って新は俯いた。


「あら……」

「でも……本当は少しドキッてしたんじゃないの……?」


 気になって問いかけようとした私の声を遮るように、新は言った。


「どういう……?」

「だって、フリとはいえあんなに近付いてたし、少しは……」

「……怒るよ?」

「う……」


 もしかしたらこれが、最初の――1度目の15歳の出来事なら少しはドキドキしたかもしれない。

 でも……。


「私は新のことしか見てない。新のことしか好きじゃない」

「うん……」

「だからこそ、こうやってんだよ」

「旭……」


 顔を上げた新の頬に手を添えると、私は微笑んだ。


「こんなに新のことを大好きな私の気持ちを、疑わないで」

「……ごめん」

「大好きだよ」

「俺、も……大好きだよ」


 頬に添えた私の手に、新の手が重なる。

 ギュッと握りしめられた手からは、新の体温が伝わってくる。


「新……?」


 私の手を絡め取ると、少し赤い顔をした新の顔が近付いてきて――私たちは夕日が沈む公園で、2度目のキスをした。



 ◇◇◇



 夢から、目覚める。


「あぁ……やっとここまでこれた……!」


 やっと、やっとだ。

 ここからが本当の意味でのスタートなんだと思う。


「これで、何も言わずに3月に新が消えてしまう、なんてことはないはず……」


 もしかしたら、もうすでに変わっているかもしれない。


「深雪に、確かめなくっちゃ……」


 自分自身では分からないのが、もどかしい。


「あ、でも……まだ6時、か……」


 さすがに連絡するのが悩ましい時間に、携帯へ伸ばしかけた手を引っ込めると、私は机の上に置いておいた日記帳へと向かった。



 ◆―◆―◆


 5月2日


 ついに、旭に病気のことが知られてしまった。

 ……でも、これでよかったのかもしれない。

 あんなに頑なに隠していたのに……今は嘘のようにすっきりしている。

 それに、旭がありがとうって言ってくれた。

 こんな重いこと、一緒に背負い込ませたのに……。


 ……もしかしたら俺は知られたかったのかもしれない。

 知られて、それでも旭に一緒にいるよって言ってもらいたかったのかもしれない……。


 旭、大好きだよ

 今までも、これからも、ずっと、ずっと旭のことが大好きだよ



 あと、奏多のことで悩んでたら、夜当たり前のような顔をして奏多が家に来た。

 よかったなって言ってくれたからありがとうって返したけど……。

 あいつは本当にこれでよかったのかな。

 だってあいつは……。


 ◆―◆―◆


「あいつ、は……?」


 その先は、無理やり消したような黒く汚れた状態になっていて読むことが出来なかった。


「奏多のことだよね……?本当にこれで良かったって……どういうこと……?」


 考えても答えは分からない。


「……いいや、今度奏多に聞いてみよう」


 奏多には、こちらで聞くことが出来るのだから。

 そう思いながら日記帳を閉じると、少し早いけれど学校に行く準備を始めた。




「おはよう、深雪!」

「お、はよう?やけに元気ね」


 教室に入ってきた深雪を捕まえると、私は昨夜の夢の中での話をした。


「そう……。やっと、そこまでいったのね」

「うん……!だから、深雪に聞きたかったの」

「私の知ってる過去が、どうなっているか。ね」


 そう言うと……深雪は眉をしかめた。


「深雪……?」

「落ち着いて聞いてね。……私の記憶の中の二人は、やっぱり3月で別れてるわ」

「そんな……!!」


 思わず大きな声をあげてしまう私を、深雪が制止する。


「落ち着いてって言ったでしょ。……私思うんだけど、そこは旭自身が変えない限り変わらないんじゃないかしら」

「どういう……?」

「これだけいろいろしてきても、頑なにその別れた事実だけは変わらない。そうよね?」

「うん……」

「と、いうことはあんた自身の言葉で3月のあの日の新の決意を変えないと……この先の過去は動かないんじゃないかと思って」

「私自身の、言葉で……」


 深雪の言葉を繰り返す。

 その意味を、理解するために。


「――それに、確か旭自信の記憶は上書きされないんでしょ?」

「え……?うん、そうだよ……?」

「なら……もし、今の状態で変わっちゃったとしたら、例え私からそれを聞いても旭の中には何の思い出もない――ただの記録になってしまわない……?」

「ただの……記録に……」


 私の中の記憶は、新と別れてからの3年間と……そして、変えてきた新しい過去の記憶がある。

 ――その記憶しか、ないのだ。

 だから、もし今私の行動がきっかけで新との過去の関係が変わったとしても――その後の変わった記憶は私には存在しない。


「だから、もういっそのこと変わらないことで結果オーライと思っておけばいいんじゃないかしら?」

「深雪……」

「自分の過去なのに、自分自身が知らない――なんて……悲しいだけよ」

「そう、だね……」


 じゃあ、過去の記憶を塗り替えられている深雪は――。一瞬、頭をよぎった言葉を……私は口に出すことはできなかった。

 それはきっと、深雪自身も感じているはずだから……。


「…………」


 言葉に詰まった私に微笑みかけると、深雪は言った。


「しょうがないわね……。奏多にはもう報告したの?」

「え?」

「新とのこと。奏多の方でも知ることは出来るみたいだけど……一応報告しておいた方がいいんじゃない?」

「そう……だね。あとで、メッセージ送っておくよ」


 そう言う私に深雪はもう一度微笑むと……自分の席に向かって歩いて行った。

 私はそんな深雪の背中を、見つめることしか出来なかった。



【無事新の病気のことを聞くことが出来ました。結局、過去の奏多に頼ることになっちゃった。ありがとう、そしてごめんね】


 1時間目が始まる前に奏多にメッセージを送る。

 すぐに既読を示すマークがついた。

 そして一言だけ。


【おめでとう】


 そう書かれたメッセージが、奏多から届いた。




 放課後、私は――なんだかまっすぐ帰る気分になれなくて、少し回り道をして帰ることにした。


「あ……」


 気が付くと私は、あの公園にいた。

 で新と思いを通じ合せた、あの公園に。


「ここで……」


 ベンチに座ると、新とのキスが頭をよぎる。


「っ……!!」


 思わず顔を覆った私の手の中に……涙が、溢れていく。


「っ……あら、た……!!」


 昨日ここで新とキスをした。

 けれど、今日……新はここにはいない。


「ひっ……うぅ……あ……ら…………」


 新と気持ちが通じ合えば通じ合うほど、新のことがもっともっと好きになる。

 新のことを好きになればなるほど……が悲しくて、苦しい……。


「もういっそ……目覚めなければいいのに……」


 何度も何度も思ったことを、つい口に出してしまう。

 いっそあのまま目覚めなければ……ずっとずっと過去にいられれば……。

 よく漫画や映画であるタイムスリップのお話はずっと過去や深雪にいられるのに……どうして私は“現実”に帰ってきてしまうんだろう。

 どうしてこんなに、苦しい思いをしなければいけないんだろう……。


 ――考えても考えても、答えは出ない。

 出るはずがない。


「……帰ろう」


 家に、帰ろう。

 新のいる、あの世界に帰ろう。


 トボトボと公園の出口に向かって歩く。

 振り返ると――誰もいない公園の向こうに、夕日が沈み始めていた。


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