第5話


 目を覚ますと私はベッドの上にいた。

 夢も現実も同じ景色の、ベッドの上に。


「ここは……どっち?」


 壁に吊るされている制服を見て、ここがまだ夢の中だという事に気付いた。


「――そっか。続けて読むとこうなるんだ……」


 私が読んだ日記は4月11日から4月16日までのものだった。

 と、いうことは……4月16日を迎えるまでは、この夢から目覚めないという事なんだろうか。


「とにかく、学校に行かなくっちゃ。今日も新は休みだったよね……」


 見慣れた制服を手に取ると、慣れた手つきで袖を通す。

 鏡を見ながら軽く整えるとそこには――3年前の、私の姿があった。


「おはよう、私」


 小さく呟いてみるけれど、鏡の中に映るまだ少しあどけなさの残る私が返事をすることはなかった。

――当たり前だ。

 だって今は、私が3年前の私なのだから。



「おはよー」

「旭!おはよう!」


 教室に入り席に着くと、後ろの席から陽菜が声をかけてくれる。


「昨日大丈夫だった?」

「あー、うん。とりあえずはなんとかなったよ」


――新にも会えたし。そう続けそうになった言葉を、私はグッと飲みこんだ。

 陽菜の知っているは、新――鈴木君との関りはまだ0に等しいから……。


「そっか、今日もあるの?」

「今日は……」


 何も知らない陽菜は、一人で委員会のあれこれをしなければいけない私を心配してくれる。

 思わず言葉に詰まった私の目の前で――何故か陽菜が金魚のように口をパクパクさせているのが見えた。


「……陽菜?」

「あっ旭……!う、後ろ!」

「んー?」


 陽菜の方に体を向けていた私の――さらに後ろを指さしながら、陽菜が焦ったような声を出した。


(どうしたんだろう?)


 そう思って振り返るとそこには、1人の男子生徒が立っていた。


「……えっと」

「竹中さん、だよね?」

「……うん」

「これ、新が返しといてって。ありがとうって言ってたよ」


 そう言って差し出されたのは、昨日新に渡したノートだった。


「あいつ新学期早々休んじゃったって落ち込んでたから、めっちゃ嬉しかったみたい。俺からもありがとう」

「……堂浦君かー!」

「え?」

「あ、ごめん」


 いまいち誰だったかピンと来てなかったが、そうだ。この人が堂浦君だ。

 新の幼馴染で確か……。


「――堂浦君は今日、新の家に寄るんだっけ?」


「何か……?」

「あっ……ごめん、なんでもない!」


 いけない。

 それは今の私が、知るはずのないことだ。


「ごめんね、まだクラスメイトの名前と顔がきちんと覚えられてなくて」

「ああ、俺もだよ。だから気にしないで。竹中さんはクラス委員だからかろうじて覚えてたけど、他はなかなか……」

「ならよかった。でも、ごめんね」

「気にしないで。――それじゃあそれ、渡したから。多分あいつ来週には出てこれると思うけど……もうちょっと迷惑かけちゃうかな。ごめんね」

「うん、わかった。大丈夫だよ、わざわざありがとう」


 それだけ言うと、堂浦君は自分の席へと戻って行った。

 無意識に追った堂浦君の姿は、深雪たちが待つグループへと近付いていく。

 深雪たちは訝しげに、堂浦君と私の姿を交互に見ていた。


(そりゃそうだよね……)


 そう思いながら視線を陽菜に戻すと……何故か陽菜は机に突っ伏すようにしてジタバタしていた。


「ひ、陽菜……?」

「……」

「どうし……」

「旭、ズルい」

「え?」

「……っ!なんでも、ない!」

「なんでもなさそうには見えないんだけど……」

「なんでもないったらなんでもないの!……で、それ何?」


 話を逸らすように――けれど気になっていたのは本当のようで、陽菜は私の手元のノートを不思議そうに見ていた。


「ああ、これ……。昨日の委員会で出た話をまとめたノートだよ」

「ふーん?でも、それをなんで堂浦君が持っていたの?」

「昨日の帰りにあら……鈴木君の家に持って行ったのを、鈴木君から預かってくれたみたい」


 そういえば……日記帳の中では堂浦君が新の家に寄るのは“今日”のはずだった。

 私のした行動により、また過去が変わり始めていた。


「へー?旭、鈴木君の家なんて知ってたんだ?ってか、わざわざ自宅まで持って行ったの?なんで?」


 不思議そうな陽菜。

 それもそうだ。

 だって、今の私は数日前初めて新と同じクラスになってたまたま同じ委員になっただけ、それだけの間柄なんだから。


「ううん、知らなかったから住所は田畑先生に聞いて……。ノート持っていこうか迷って田畑先生に相談したらついでに数学のプリントも持って行ってくれって言われたからそれで……」


 苦しい。

 こんな言い訳、どう聞いても苦しい。


「ふーん、そっか!旭いい人だもんね!でも、あんまりいい人過ぎると禿るよー!」


(ごまかせた……)


 笑いながら言う陽菜にホッとする。

 深追いしてほしくない時には、スッと引いてくれる。

 お喋りが大好きで、明るくて、女の子らしくて、可愛らしい大好きな私の親友。


「ほっといてくださいー!」

「あはは、冗談だよー」


 冗談を言い合って、笑い合って。

 私は当たり前のように“3年前”の時を過ごしていた。


「よーし、みんな揃ってるなー」


 田畑先生の声が聞こえて、慌てて私は体の向きを直す。

 手にしたノートも机の中に入れようと動かした表紙に、中から1枚の紙が落ちた。


「あ……」


 そういえば、昨日新がもしも寝込んでいた時のために――と、メモを挟んだことを思い出した。

 必要なかったな、と思いながら拾い上げた紙には――私のものとは違う筆跡で一言。


 『――ありがとう。ノートもメモも嬉しかった!』


 そう書かれていた。


(新……)


 どうしようもなく、新に会いたい。会って、好きだよって大好きだよって伝えてギュッと抱きしめたい。

――出来ないもどかしさを誤魔化すかのように私は、新からのメッセージが書かれた紙を強く強く抱き締めた。



「そうしたら、悪いが頼むな」

「はーい」

「旭ごめんねー!」

「大丈夫だよー」


 そんなに悪いと思ってなさそうな田畑先生と、申し訳なさでいっぱいという顔をした陽菜が、私の目の前に置かれた山のようなプリントを見ながら言う。


(大丈夫じゃないけど……でも……)


 大丈夫だって、今の私は知っていた。

 何故なら……。


「――私、手伝おうか?」


(来た……)


「……いいの?」


(あの時と、同じだ……)


 先生と陽菜が去ったあと、声をかけてきたのは……帰り支度を終えた深雪、だった。


「うん、今日特に予定ないし」

「そうしたら……お願いしても、いいかな?」


 私が過ごしてきた過去も、そして再び過ごしている今も変わらない。


 これが、私と深雪の始まりだった。


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