今日も明日も明後日も
第30話
家に着くと、置いたままになっていた日記帳を開いた。
◆―◆―◆
4月30日
一晩入院して夕方に家に帰ってきた。
病院では何故もっと早く来なかったのかと先生に叱られた。
自分の身体をもっと大事にしなさい、と。
分かってはいた。けど……
どうせ今しか一緒にいられないのなら、旭といたいって思ってしまったんだ。
だって、来年の旭の誕生日を祝える保証なんて、どこにもないんだから……。
夕方、旭がお見舞いに来てくれた。
けど……なんて説明していいか分からなくて、会わずに帰ってもらった。
俺のせいで怖い思い、させたよね。
旭、本当に……ごめん。
◆―◆―◆
「新……」
どうしたら新の中の諦める気持ちを、少しでもプラスに出来るのか。
来年も、再来年も一緒にその日を迎えるために、私にできることはなんだろう……。
「やっぱり……どうにかして、新の病気を過去の私に対して教えてもらわないと……」
その為に出来ることはなんだろう……。
――考えても考えても、答えは出なかった。
「でも、会いに行かなくちゃ」
会いたくないと言われても、会わなくちゃ……そう思いながら私は、ベッドに寝転んで目を閉じた。
◆◆◆
目が覚めると、日付を確認する。
― 4月30日 ―
あの日の……翌日だ。
「ごめんね、新……」
かけてあった制服に着替えると、学校へ行く支度をする。
「いってきます」
玄関を出る足取りは重い。
それでも何とか歩き続けると、新との待ち合わせ場所についた。
誰もいない、待ち合わせ場所に。
「新……」
「……新なら、今日は休みだよ」
「っ……かな、た……?」
「って、知ってるか……」
「うん……」
――何も聞かれないことが、苦しい。
いっそ罵ってくれたらいいのに。
『何やってんだ!』
『無茶しないように見守ってくれるんじゃなかったのかよ!』
そう、言ってくれた方が……どんなに気が楽だろう……。
「大丈夫?」
「私は……大丈夫……」
「……新が」
「え?」
「新が心配してた」
そう言う奏多の顔を見上げると……奏多は硬い表情で私を見つめていた。
「――やっとこっち見た……」
「え……?」
小さな声で何かを呟いた気がしたけれど、何でもない――と言って奏多は話を続けた。
「いや……新がさ、旭の前で倒れたって。心配してるんじゃないかって気にしてたよ。本当なら自分で休むって連絡しなくちゃいけないんだけど……何て言っていいか分かんないからって」
「それで、奏多が来てくれたの?」
「まあ……そんなとこ」
「お人よしなんだから」
そう言って笑うと、ホッとしたように奏多の表情が緩む。
「知ってるかもしれないけど、新のやつ心臓のこと人に知られるの極端に嫌がるんだ」
「ん……」
「自分のせいで親が泣いている姿とか見てきたからだろうけど……。旭にも、きっとそんな顔、させたくないんだと思う。だから……」
「――ありがとう」
奏多の言葉を遮ると、私は言った。
「でも、私は知らなきゃいけないの。新のこと、病気のこと、もっともっと知っていかなきゃいけないの」
「旭……」
「そうじゃなきゃ……また、何もできないまま……」
胸が苦しいくらいに痛くなる。
このままだと、また新とのお別れが来る。
そして、後悔するんだ。
何もできなかったことを。
何も変わらなかったことを。
「だから、辛くても苦しくても……それが新を苦しめることになったとしても、私は知りたい。新の口からきちんと聞きたい」
「分かった、分かったから……そんな顔、しないで」
「え……?」
「――なんか、俺が泣かしてるみたいな気分になる」
そんなに辛そうな顔をしていたんだろうか。
困ったような表情をして私を見る奏多に、意識して笑顔を向ける。
「だから、大丈夫だよ!」
「そっか。……こっちで辛くなったらいつでもいいなよ。話ぐらいは、聞いてあげるから」
「え……?」
「言えないでしょ?この先を知ってるが故の悩み、なんて誰にもさ」
「奏多……ありがとう」
そう言う私に……奏多は小さく笑いながら言った。
「まあ、なるべくだったら二人の楽しそうな顔が見たいしね」
「奏多って……いい人だね」
「今頃気付いたの!?俺は最初からいい人ですよ?」
不服そうに言う奏多が可笑しくて……つい笑ってしまう。
そんな私を見て、もう一度奏多も笑った。
「でもって、いい人の奏多君からもう一つ」
「え……?」
「今日、会えるように協力してあげるよ」
「――さっきのもそうだけど……関わらない、んじゃなかったの?」
「まあ……今日は特別。旭もだけど……新も辛そうな顔、してたから」
何かを思い出したように、苦しそうな表情をする奏多。
「一人で抱え込もうとするバカな友人のために協力するだけだから、旭のためじゃないからいいんだよ」
「奏多……」
「早くまた二人で、俺たちが嫌ってほど仲良いとこ、見せつけてよ」
「ありがとう……」
お礼を言う私に、微笑んだ奏多の顔は……何故か複雑そうな表情をしているように見えた。
放課後、私と奏多は新の家の前に立っていた。
「メール返ってきた?」
「うん……やっぱり、今日は会えないって」
「理由は?」
「外に出てて帰るのが遅くなりそう、だって……」
「あいつ……」
そう言うと、奏多はポケットから携帯電話を取り出した。
「何を……」
「シーー」
奏多は人差し指を口に当てると、静かにするように私に言った。
そして……。
「あ、新?お疲れー。もう病院終わった?……そっか。田畑センセーからプリント預かってんだけどどうする?……っていっても、もうすぐお前んちの前だよ」
電話の相手は新のようだった。
電話の向こうから、私と話す時よりも軽い感じの新の声が漏れ聞こえてくる。
「んじゃ、今から行くわー。……え?大丈夫大丈夫、おばさんいるんだろ?開けてもらうからお前は出てくんな。階段の上り下りでまた発作起こされたら困るわ」
奏多の慣れたような軽口に、新が何かを言っているのが聞こえた。けれど、奏多はお構いなしに話を終わらせる。
「おー、それじゃまたあとで」
携帯電話をポケットに戻すと、奏多は私を見てニッと笑った。
「ってことで、これ」
鞄から1枚のプリントを取り出す。
「これは……?」
「だから、田畑センセーからの預かりもの」
「あれ……本当だったんだ」
「そっ。んでもって……」
―― ピンポーン ――
『はーい?』
「あ、おばちゃん?俺、奏多です」
『あ、はいはい。ちょっと待ってね』
ガチャっという音とともに、玄関の扉が開く。
そこには……新のお母さんが立っていた。
「こんにちはー」
「こんにちは。……そちらは?」
「あ、この子?新の彼女」
「っ……!?奏多!?」
「……あらあら、まあ!そうだったの!初めまして!」
「は、初めまして!竹中 旭です」
あの日――新のお葬式で会った時と比べて、随分と若く見える。
(たった3年前なのに……)
「あの……?」
「あ、いえ……なんでも、ないです」
鼻の奥がツンとするのを感じ、思わず黙ってしまった私を……新のお母さんは不思議そうな顔で見ていた。
「新には連絡したんだけど、プリント持ってきたよー」
「いつもゴメンね、ありがとう。……さあ、二人とも上がって?」
「は、はい!」
新のお母さんの後ろをついて行こうとしたその時……奏多がわざとらしく大きな声を出した。
「はーい……っと、いけない!俺、母さんに買い物頼まれてたんだ!」
「奏多……?」
「ってことで、おばちゃん!俺帰るから!プリントは旭に渡してあるし、新も俺が行くより彼女が行く方が喜ぶと思うから」
そう言うが早いか……奏多は新の家から飛び出してしまった。
……私に、ウインクひとつ残して。
「え、えええ……!?」
「――旭さん、だったかしら?」
「は、はい!」
奏多の行動に慣れているのか、残された私に微笑みながら新のお母さんは言う。
「よければ上がって?新も喜ぶと思うし」
そう言って手招きをする新のお母さんの言葉に甘えて、私は新の家に上がらせてもらうことにした。
「お邪魔します……」
「はい、どうぞ」
出されたスリッパを履くと、新のお母さんは階段の方に視線を向けた。
「新の部屋はね、2階の突き当たりなの」
「はい……」
「ただ、その……昨日、ちょっと体調を崩しちゃって……」
「あ……」
「今ナーバスになってるみたいだから……」
新のお母さんは、知らない……。
その原因が、私に、あることを。
私のせいで、新が死にかけたことを。
「ごめんなさい……」
「何で旭さんが謝るの?」
「だって……私が……もっとちゃんと気付いていたら……」
俯く私に、新のお母さんは小さくため息をついた。
「聞きやしないわ。あの子ね、ああ見えて頑固なのよ」
「……」
「自分でこうって決めちゃうと、絶対に譲らないの。……誰に似たのかしらね」
(頑固……か)
確かに、あの時もそうだった。
どんなに私が嫌だと言っても、理由を教えてと縋っても、新は私の方を見ようとしなかった。
もう、決めたんだ――そう言った新の顔は、苦しそうな表情をしていた。
「だからね、旭さんが気にすることなんて何もないのよ」
「でも……」
それでも、どうして止められなかったのかと、私になら止められたのにと、悔やんでしまう。
……そんな私に新のお母さんはそっと微笑みかけてくれる。
「そんなにまであの子のことを想ってくれてありがとう」
「え……?」
「これからも、困らせる事があるかもしれないけど……新のこと、よろしくね」
「っ……はい!」
そして、新のお母さんは私の背中にそっと手を当てると、階段の方へと促した。
「あとでお茶、持っていくから……先に行っててくれるかしら?」
気が利くでしょ?なんて言いながら新のお母さんは笑う。
「でもって、ちょっとは大人しくするように言ってもらえる?私の言うことは聞かなくても、彼女の言う事なら聞くかもしれないし」
「分かり、ました」
「それじゃあ、あとでね」
廊下の向こうに歩いて行く新のお母さんの背中を見送ると、私は一段、また一段と階段を上る。
そして……。
「ふぅ……」
息を一つ吐き出すと……新の部屋のドアノブに、手をかけた。
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