第3話



 机の上に置いた日記帳を見つめる。

 最後に日記を読んだあの日から、1週間が経とうとしていた。

 目が覚めて日記の中身が変わってることに気付いた私は――それからこの日記帳を開けないでいた。


「どういうことなんだろう」


 日記の中身が、夢で見た内容に変わっている。

 そして、それに合わせて現実の記憶も変わっていた。


――私以外の記憶が。


「どうしたらいいんだろう」


 そう自分自身に問いかけるけれど……本当は、とっくに気持ちなんて決まっていた。

 日記帳が怖い、気持ち悪い――そんなことよりも、もう一度新に会える。それしか考えられなかった。


 これがあれば、もしかしたらあの頃より上手に新と過ごせるんじゃないだろうか。

 これがあれば、もしかしたら――別れない未来があるんじゃないか。


「新……」


 何度同じことを考えたか分からない。

 結論はいつだって同じところにたどり着く。

 なのに……今日もまた日記帳を開くことが出来ないまま、私は眠りについた。



◇◇◇



「……朝だ」


 日記帳を開かなくなった日から、当然のことながらあの不思議な夢は見ない。


「やっぱり日記帳……だよね」


 久しぶりに新に会えたことが、余計に新への想いを募らせる。


「どうしたら、いいんだろう……」


 答えが出ないまま、私は準備をして家を出ると、いつものように学校に向かった。



「おはよ、旭。ってどうしたの、その顔」


 教室に着くと、深雪がいつものように声をかけてくれる。


「おはよう。……どうしたのって?」

「なんか……辛そうな顔、してるわ」

「そうかな……」

「そうよ!」


 いつも通りにしているつもりなのに、いつだってこの親友には敵わない。


「……今日って暇?よければ帰りにお茶していかない?」

「――うん」


 ありがとう、と言った私に


「お礼なんかいいから、さっさと元気になりなさい」


 そう言って小さく笑うと、深雪は自分の席に座った。



「で、何があったの?」

「……うん」

「――言いにくい事?」

「…………」


 言いにくい、というよりは……どうやったら信じてくれるんだろう、という気持ちでいっぱいだった。

 もし私が深雪の立場で同じ話を聞かされたとしたら……好きだった人が死んだショックで気が変になったと思うかもしれない。


「……私、気付いてたの」

「え……?」


 唐突に、深雪は言った。


「旭が、新のお葬式に行った後からなんか変なの、気付いてたの」

「深雪……」

「だからさ、なんだって受け止めるから。この深雪さんにお話ししてみませんか?」


 ――重い雰囲気を和らげてくれる、深雪のこういうところに私は何度救われてきただろう。


「笑わない……?」

「笑わない」

「絶対……?」

「絶対」


 きっぱりという深雪を見て……私は先日から起きている不思議な現象を話し始めた。



「つまり、その……過去をもう一度夢の中で体験してるって、こと?」

「体験してるというよりは……上書きしてる、みたいな感じ……」


 当時の私がとった行動とは違うことをすると、それが現実世界の思い出にまで影響している。


「ううーーん……」

「やっぱり、信じられないよね……」

「違う。旭がこんなことで嘘つかないって私知ってるから。……信じていないっていうんじゃなくって……」


 少し悩んだあと、遠慮がちに深雪は言った。


「私の覚えている記憶は、旭が言うところの上書きされた状態の記憶だから今話してくれたっていうのが正直分からない」

「そう、だよね……」

「だけど、もし本当に過去が変えられているのだとしたら……どうしてあの日旭だけ直接呼ばれたのかが分かる気がする」

「私だけ……?」

「そう。あの日旭は新のお母さんから、直接新が亡くなったって連絡をもらったのよね?」

「うん、深雪もそうじゃないの?」

「私は……堂浦どううら 奏多かなたって覚えてる?中学三年の時に一緒のクラスだった。あいつから連絡が入ったの」

「……堂浦君」


 確か新とよく一緒にいた男の子だ。


「幼馴染、だったっけ?」

「新のね。その奏多経由で新と仲が良かった人に連絡入れてほしいって回ってきたの」

「そうなんだ……」

「だから旭に連絡を入れた時、新のお母さんから直接連絡が来たって聞いて……どうしてだろうって不思議に思ったのよ」

「どういう……?」

「奏多以外に、新のお母さんから直接連絡をもらった人はいないのよ。――旭を除いて、ね」

「私、だけ……」

「3年も前の……それも中学生の時にほんの少し付き合っただけの彼女に、わざわざ直接連絡するなんてって……不思議だったの」


 そう言うと深雪は、視線を私の鞄に向けた。


「持ってきてるのよね?」

「――うん」


 何を、なんて聞く必要はなかった。


「ちなみにそれって、最後まで読んだの?」

「まだ……」


 深雪は何かを考えているようだった。


「どうしたの……?」



「例えば、複数の日付を読んだら?」


「え……?」


「例えば、連続していない日付を読んだら?」


「例えば、コピーを取ってそれから夢を見たら?」


「深雪……?」


「例えば……過去を変えて、旭と新が別れないままの世界に変えることが出来たら……?」


「深雪!!」


 思わず大きな声を出して深雪の言葉を遮ってしまう。

 周りのお客さんが、何事かと私たちの方を見ている。


「ごめん……」

「……私の方こそ、ごめん」

「…………」

「…………」


 自分の浅ましさを見透かされたような気がして恥ずかしかった。

 このノートがあればもしかしたら……そう考えない時はなかった。

 けれど……その一線を、越えてしまっていいのかどうか。


 ――その答えは、私の中でまだ出せないでいた。


 どことなく気まずい空気が、私たちの間に流れる。

 そんな空気を振り払うように、深雪は目の前に置いてあったアイスティーに口付けると私に言った。


「きっと何か意味があって、旭は過去をやり直してるんだと思うの」

「意味が……?」

「それが旭にとってなのか、新にとってなのかは分からないけれど――でも、旭が読むのをやめたら、後悔したままの今と何にも変わらないんじゃないかしら」

「…………」


 口ごもる私に――深雪は、少し言いづらそうに言った。


「新の番号、消せてなかったんでしょ……?」

「っ……なん、で……」


 知っているの、と言おうとした私に辛そうな顔をして深雪は笑う。


「親友だもの、気付いてないわけないじゃない」

「深雪……」


 隠しているつもりだった。吹っ切れたふりが出来ていると思っていた。なのに……目の前の優しい親友は、全て分かった上で騙されたふりをしてくれていたなんて……。


「――もしかしたら何も変わらないかもしれない。結局、どう足掻いたって今は今のままかもしれない。でも……もし、少しでもあの日を変えられるのなら……その可能性があるのなら、賭けてみてもいいんじゃないかな」


 そんな都合のいいことがあってもいいんだろうか。

 自分たちの過去を、今の自分が変えてしまうなんて……。

 迷っている私を見透かしたように深雪は言う。


「きっと、変えられることなんてほんの一握りの些細な事よ。大きく何かが変わることなんてないと思うわ」

「そうなの、かな……?」

「でも、それで――この3年間の旭の苦しい気持ちが少しでも軽くなれば……新も嬉しいんじゃないかしら」

「深雪……」


 そうなのかな。

 それで、いいのかな……?


 本当は知りたかった。

 あの日、新がどうして急にあんなことを言ったのか。

 あの後、どうしていなくなってしまったのか。

 どうして――最期まで、傍にいさせてくれなかったのか……。


「そう、だね……。私――」

「――でもね、旭。過去を変えて今を変えていくってことは……新の辛いシーンを、今度はあんた自身の目で見届けなければいけないかもしれない」

「うん……」

「それでも……」

「それでも!私は、新に会いたい」

「旭……」

「あの日どうして別れなきゃいけなかったのか。――本当の理由を、知りたい」

「うん……そうね。そうよね……」

「ありがとう、深雪。おかげで気持ちが固まったよ」


 後悔をしないためにも、私は……


「新との日々を、やり直してみる」


 その結果が、どんなに辛いことになったとしても。


「――泣きたいときには私がいるから。いつでも言いなさいよね」

「ありがとう……」


 優しい親友の言葉に、私は溢れかけた涙をそっと拭うと小さく頷いた。



 まだどうなるかなんて分からない。

 でも、過去を振り返って辛くなるんじゃなくて、あの時こんなことがあったなって笑って過ごせるようになるために。

 私は、過去を変える。


 それが例え――許されないことだとしても。

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