第8話

 眩しく差し込む光に目を開けると、私はいつものようにベッドにいた。


「朝、だ」


 目が覚めると無意識に携帯電話に手を伸ばしてしまう。

 そして、日付を確認する。


「4月16日……」


 新の日記に書かれていた中で、私が読んだ最後のページの日付だ。

 と、いうことは今日が終われば私は目覚めるのだろうか?


(何日も夢の中で過ごすと、何が現実で何が夢なのか分からなくなってくる……)


 本来であれば今日から新は学校に来るはずだったから、少しずつ――でも確実に過去は変わっていっているはずだ。この時期に、新や深雪とあんな風に親しげに話をすることはなかったし、の私は堂浦君を奏多なんて呼んだことはない。

 新の幼馴染で仲のいい男子――それぐらいの認識だった。


「これでいいんだよね」


 思わず口に出して呟いてみる。

 けれど――その問いへの答えが、返ってくることはなかった。



 ◆◆◆



(あれ…?)


 教室に着くと、いつも私より先に来ているはずの陽菜の姿がなかった。


(今日休みだったっけ……?でも、何にも連絡来てないし……)


 携帯を確認してみるけれど、特に通知はない。

 不思議に思いながらも、とりあえず席に着こうと教室に入ろうとした私に、後ろから誰かが声をかけた。


「おはよう、旭」

「お…はよう!」


 振り返った先には堂浦君――ううん、奏多の姿があった。


「早いねー、いつもこんな時間?」

「だいたいこれぐらいかなー?奏多も?」

「俺もこんなもんかな?新はもっと遅いけど」


 そういえば、いつもチャイムと同じぐらいに慌てて来ていた気がする。

 田畑先生がギリギリ遅刻をしない新を、呆れたように注意していたのを思い出して思わず笑ってしまう。


「だからさ、昨日はきっと楽しみだったんだと思うよ。学校に来るの」

「え……?」

「いつもより30分以上も早く来てたもん。よっぽど嬉しかったみたいだね、旭が家に来てくれたのが」


 ニッコリと笑いながら言う奏多にそれ以上何も言えず――赤くなった頬を隠しながら足早に自分の席へと向かった。


(もう……なんだか奏多に全部見透かされている気がする……!)


 席についてカバンを置きながら赤い顔を冷ますために手で煽いでいると、目の前にはいつの間にか、陽菜が立っていた。


「……陽菜!!おはよう!」

「……おはよう」


 心なしか声のトーンが低い気がする。


「あの……今日遅かったんだね!休みかと思っちゃったよ」

「来ちゃまずかった?」

「え……」

「っ……ごめん、なんでもない」


 なんでもない、と言いながら――陽菜は辛そうな表情をしていた。


「陽菜……?」

「ちょっと、放っておいてもらってもいいかな」

「陽菜……私、何かした?」

「…………」

「陽菜……?」

「――ごめん」


 そう言うと……陽菜は自分の席へと歩いて行った。

 陽菜の席は私の後ろの席で。だから、後ろを向けばそこにいるはずなのに――たった机一つ分の距離が、何故かとても遠く感じた。



 HRが終わり1限目の用意をするために椅子を引くと、陽菜の机に椅子が当たった。


「あ、ごめん!」

「…………」


 振り返る私の顔を、陽菜は見ない。


「ねえ、陽菜……」

「…………」

「…………」


――何も言わない。

 そんな陽菜との空気に耐え切れず、私は自分の席の方へと視線を戻した。


「っ……あ、」

「旭」

「――っ」

「……奏多?」


 そんな私に声をかけてきたのは、朝と同じく奏多だった。


 ―― ガタン ――


「あっ……」


 大きな音に驚いて後ろを振り向くと……教室のドアに向かって歩く陽菜の姿が見えた。


(陽菜……?)


「ごめん、今まずかった?」

「……ううん、大丈夫だよ。どうしたの?」

「新のやつちょっと具合悪くなっちゃって。1限目保健室行くから号令よろしくだって」

「えっ大丈夫なの?」


 奏多の言葉に思わず身を乗り出すと、大丈夫だよと奏多は微笑む。


「ちょっとしんどいだけだから、昼には戻って来れると思うって言ってたから心配ないよ」

「でも……」


(もしかして心臓の……)


 不安に思う私の気持ちをどう誤解したのか、奏多は笑いながら言う。


「大丈夫だって!今日の委員長の仕事全部押し付けるわけじゃないから!」


 そういう訳じゃない……そういう訳じゃない、けれど――何も言うことは出来ない。

 だって、今ここにいる私は新の病気のことなんて、何にも知らないはずなのだから。


「……分かった。じゃあ午前中の号令はしておくね!わざわざありがとう!」

「ん、よろしくね」


 そう言って奏多は自分の席に戻って行く。

 そして――陽菜が戻ってこないまま、1限目の授業は始まった。



「竹中―。辻谷はどこにいったんだ?」

「分かりません……」


 数学の授業が終わり昼休みが始まると、田畑先生が私のところにやって来た。

 ――結局、午前中の授業が終わるまでに、陽菜が教室へと戻ってくることはなかった。

 携帯も電源を切っているのか繋がらない。

 休み時間にトイレや保健室を見に行ったが、陽菜の姿はどこにも見当たらない。


「でもカバンはここにあるので帰ってないとは思うんですが……」

「うーん、このままだと家の方に連絡を入れなきゃいけなくなるから、その前に探してきてくれるか?」

「わかりました」


 先生に言われなくてもそうするつもりだったけれど……私は校内にいるはずの陽菜のことを探すために教室を出た。


「旭?」

「新!」


 教室のドアを開けるとそこには、今まさにドアに手をかけようとしていた新の姿があった。


「どうしたの?そんなに慌てて」

「えーっと…ちょっとね。それより新は大丈夫なの?」

「心配かけてゴメン。もう大丈夫だから!」

「ならよかった!」

「ホントごめんね、今度ジュースでも――」


 奢るから――そう言おうとする新の言葉を遮ると、私は慌てて廊下へと飛び出す。


「新!ごめんね!今ちょっと急いでるから、またあとでね!」

「え、旭!?」


 走っていく私の背中に……あっけにとられたような新の声が聞こえたけれど、私は振り返るわけにはいかなかった。


(陽菜を、探さなきゃ……)


 私は廊下を抜けると、休み時間には行けなかったところへ向かった。

 それは校舎を出て少し歩いたところにある古い図書館だった。


(校舎の中にはいなかった。ならきっと、陽菜はここだ……)


 重い扉を開けると、うす暗くてかび臭い、そして静まり返った空間が広がっていた。

 奥のスペースに歩いていくと――思った通り、そこに陽菜はいた。


「陽菜……」

「あさ……ひ」

「見つけた。ね、教室、戻ろう?」

「……やだ」

「陽菜……」


 窓際に座り込む陽菜の隣に並んで座ってみるが、こちらを見ることはない。


「陽菜……その、ごめんね。私何かしたんだと思うんだけど、全然分からなくて……」

「…………」

「でも、陽菜とこんな風になっちゃうのは悲しくて、だから――」


 必死に言葉を紡いでみるが、相変わらず陽菜は俯いたままだ。


「だから怒ってる理由、教えてほしいんだ」

「…………」


 伝えることは難しい。それが自分に対して怒っている人になら余計に。

 けれど、こんな風に――何もわからないまま友人を失うのは、嫌だ。


「…………」

「……旭、最近堂浦君たちと仲、いいよね」

「へ?」


 思ってもいなかったことを言われ、間の抜けたような声を出してしまう。


「かな、た?」

「す、鈴木君とか!小嶋さんとも!」

「そう、かな。え、でもそれが……?」


 新たちと仲良くなったことと今回のこと、何の関係があるのかさっぱり分からない。

 けれど……そういえば、この間も陽菜は言っていた。

 ――堂浦君とやけに楽しそうだったじゃん、と。

 つまりそれは、もしかして……。


「ひ、陽菜?間違ってたら申し訳ないんだけど……もしかして陽菜って、その……奏多のこと――」

「ち、違うよ!?別に堂浦君のこと好きとかそんなんじゃあ……!!」

「陽菜、私まだそこまで言ってない……」

「あああー!!!ちが、違うんだからね!?ホントに……!!」


 真っ赤になった陽菜は、顔を隠す為か近くにあった本を自分の顔に押し付けている。


(そっか、それで……)


「――でも!別にそれだけじゃなくって」

「陽菜……?」

「なんか……旭が私といる時よりも堂浦君たちといる方が楽しそうで……」

「陽菜……」


 そんなことない!と、言おうとしたが……言えなかった。

 だって、の私にとって陽菜は3年ぶりで……毎日会っていた頃に比べると、どこかよそよそしくなっていた気がする。

 の私なら……もっと陽菜との距離も違っていたのかもしれない。


(ごめんね、陽菜……)


 本当のことは伝えられないけれど……代わりに私は


「――陽菜、私ね」

「何……?」

「新のことが、好きなんだ」


 この――今過ごしている過去の世界では、まだ誰にも伝えていないこの気持ちを……大切な親友に明かすことにした。


「えっ……ええっ!?新って……鈴木君!?」

「うん」

「え、なんで!?なんで!?あ、だからこの前家まで言ったの!?」


 身を乗り出すようにして聞いてくる陽菜の表情は、さっきまでの暗い表情ではなくていつもの明るい陽菜だった。


「だから……堂浦君たちと仲良くなったの……?」

「新と話をしているうちに、気付いたら仲良くなってたんだ」

「じゃあ……じゃあ……堂浦君を好きなわけじゃないんだ――」


 ホッとした顔をして、陽菜が私の方を見た。


「やっとこっち見てくれた」

「……ゴメン」

「ううん、私の方こそ……ゴメンね」


 顔を見合わせて謝りあうと、私たちはどちらからともなく微笑んだ。




「はー緊張した。陽菜にしか言ってないんだから内緒だよ?」

「うん……」


 教室に向かって歩きながら私は陽菜に言った。

 そんな私に、陽菜も小さな声で言う。


「私も、ね」

「うん?」

「私も……ね、堂浦君のことが、気になってるんだ」

「……そっか」

「うん……内緒だよ」

「わかった」

「――約束、ね」


 謝りあって笑い合って、なんとなくあの頃の私たち二人の距離に、戻った気がした。


「あ!帰ってきた!」

「え、新?」

「おかえりー」

「どっ、堂浦君!」


 教室に着くと、入口の所には新と奏多が立っていた。


「なかなか帰って来ないから心配してたんだよ」

「そっか、ゴメンね」


 話しをしている私たちのそばで、陽菜はどこか居心地が悪そうにいる。


「ひ――」

「あ、辻谷さん」

「なっ、なに!?」


(陽菜、声ひっくり返ってるよ……)


 奏多も同じことを思ったようで、一瞬の間の後――噴き出していた。


「っはは!何その反応!」

「ご、ごめん!」

「あーおっかしいの。で、なんだっけ……そうだ、田畑先生が教室に戻ったら職員室に来るようにって言ってたよ」

「そ、そっか!ありがとう!」


 恥ずかしさのあまり、慌てて廊下を駆けていこうとする陽菜を奏多が呼び留めた。


「あ、俺もこれ提出するから一緒に行くよ」

「えっ、えっ!?」


 そう言うと、奏多は陽菜の隣に並んで職員室に向かって歩き始めた。

 その隣には……ぎこちなく笑う陽菜の姿があった。





 過去を変えるという事は、過去になかったことが起きる。



 それは新とのことだけとは限らない。



 そんな当たり前のことに、私は陽菜とのことがあるまで気付けなかった。



(陽菜……ごめんね)



 傷つけてしまった親友の事を思いながら……私は隣にいる新に、小さく微笑んだ。



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