お忍び探検隊(3)
「うわあああデート……! どこからどう見てもデート……!」
大急ぎで書類を片付けて変装し、リノルアースたちを追いかけて城下へとやってきたアドルバードだったが、発見した妹とその騎士の姿にそんな感想を零した。なんだろう、兄としては嬉しいような悲しいような複雑な心境である。
「アドル様、あんまり騒ぐと二人に気づかれますよ」
リノルアースとルイの様子にあまり興味がないらしいレイは、呆れたようにため息を吐き出しながらアドルバードに搾りたての果実のジュースを差し出した。急いでここまでやってきたので喉が渇いている。さすが、と笑いながら受け取るとすぐに一口飲む。そしてフッと自嘲気味に笑った。
「気づかないだろ……この捨て身の格好なら……!」
――アドルバードは今、女装している。
もちろん尾行していることがリノルアースに知られてしまうと己の身が危険だからだ。自分でも虚しくなるが、相変わらず女にしか見えない。豪商の娘といえる程度の動きやすいドレスと、顔を隠すための大きなボンネット。顎でリボンを結んでいるのでときどきくすぐったい。本当に捨て身の作戦だった。
「ルイはともかく、リノル様を誤魔化すことは難しいと思いますよ?」
騎士としては優秀なのにその他のことには鈍感なルイならば騙すこともできるだろう。しかし隠れブラコンのリノルアースには通用しない。
「そうかな? そこそこうまく変装したと思うんだけど」
「……変装がそもそも通用しないと思いますが」
首を傾げるアドルバードに手を差し出しながらレイは呟いた。
「行きましょう、見失いますよ」
エスコートともいえるその仕草は最高に似合っている。レイも普段の騎士服ではなく、お嬢様の護衛といった姿をしていた。
銀の髪は目立つだろうと鬘をかぶり今は地味な濃茶の短い髪が風に揺れている。付き合わせているアドルバードが言うのもおかしいが、わりとノリノリではなかろうか。
――それにしても。
「レイさん、腕組んでやがりますがどうにか妨害できませんかね」
数メートル先を歩く二人は、なんと腕を組んで歩いている。リノルアースがわりとかなり強引にルイの腕を取ったのだが、それが傍目にはちょっと気の強い彼女が気弱な彼にくっついていちゃいちゃしている恋人同士にしか見えない。
「それは
「……どっちも……!」
こっちは見た目の性別が完璧に逆転しているのだ。可愛い彼女を見せびらかしたいと思っていても、可愛い彼女と呼ばれる姿をしているのはアドルバードである。
「まぁでも、いちゃつく二人に割って入りたいのはアドル様だけではないみたいですけどね」
「――へ?」
アドルバードが首を傾げつつリノルアースたちへと目を向ける。
そこでは、二人が酔っ払いらしき柄の悪い男たちに囲まれていた。
*
――マズイ。
せっかくリノルアースが上機嫌だったのに、酒臭い男たちの登場によってその機嫌も地を這うレベルまで下がってしまった。リノルアースはとにかく邪魔をされることが大嫌いだし、酒臭い男も嫌いだ。つまりこれは最悪の事態である。
「よぅニィちゃん、随分とかわいい子を連れてんじゃねぇか」
それはそうだ。ルイだってリノルアース以上の美少女を見たことがない。変装によって普段より地味な姿になっているものの、その魅力は隠し通せないということだろう。
背後にかばうリノルアースからは冷気を感じ始めた。怒っている。ものすごく怒っている。ルイの背中をひやりと汗が流れた。
「嬢ちゃんもこんな野郎よりおじさんたちと仲良くしようや、なぁ?」
にやにやと下卑た笑みを浮かべる男たちには、ルイも嫌悪感しかない。護衛といいつつ一般市民を装っているわけで、愛用の剣はない。懐に短剣がいくつか。だがただの酔っ払いに本気でやってよいものかどうか。こういうときルイはすぐに決断できない。
単純に経験値の差だ。レイならばおそらく、武器も使わずすぐに無効化できるだろう。ルイは手加減できるかどうか、少し自信がない。
「昼間っから酒飲んで酔っ払っている男と仲良くなんかするつもりはないわよ」
我慢の限界だったのか、ついにリノルアースが口を開いた。開いてしまった。
「ああん!?」
「んだとコラ!?」
火に油を注がないでほしい。
ルイを押しのけて男の一人がリノルアースへ手を伸ばす。その手を阻み、こうなったら多少の痛い目は我慢してもらおうとルイが腹を括ったときであった。
「いってえええ!?」
「人の妹に何してんだこらあああああ!!」
痛みを訴える男の頭に投げ飛ばされた靴が命中し、同時に聞き慣れた声がした。ルイはまだ何もしていない、一体何がと靴が命中した頭ではなく足をおさえる男を見た。
「言ったでしょ、女だって武器は持っているわよ」
正確には履いているだけどね、とリノルアースは凶器の細いヒールを見せた。どうやらヒールで男の足の甲を踏んだらしい。
「てっめぇ……!」
他の二人がリノルアースへ反撃を企てるが、それを許すはずもない。ルイは素早くリノルアースを引き寄せて、肘で鳩尾を狙う。
ピィーッと甲高い口笛の音が聞こえる。騎士団でよく使われる合図だった。城下を定期的に見回っている騎士がこの音を聞けば現場に駆けつけてくる。
「――すぐに見回りの騎士が駆けつけてきますよ? いいんですか?」
冷ややかな声は、レイである。騎士、という言葉に男たちは動揺した。
「な、おいどうすんだ」
「ふざけんなよ捕まるなんてごめんだぞ!」
男たちは顔を見合わせると、ばたばたと逃げ出した。わざわざ追いかけて騎士に引き渡すほどの悪党でもないのでルイもその後ろ姿を見送る。そもそも絡んだ相手がリノルアースであったのが不運だった。
「……まったく、心配しなくていいって書き置きしてきたのにやっぱりきたのね」
駆けつけてきたアドルバードに、リノルアースは呆れたように肩をすくめた。半ばそうなることはわかっていた、という顔だった。
「え、いや、はは……?」
「アドル様、その姿で靴を投げるのはどうかと思いますよ」
投げ飛ばした靴を拾い上げたレイもまた呆れた顔をしている。
「おい! 何かあったのか――……って、あれ、
「……セオラス、その呼び方は改めるようにと再三言っているはずだが」
レイの口笛の合図でやってきた騎士はアドルバードも知っている男だった。レイのことだ、もともと今日の見回りの担当に当たっている騎士を確認していたのかもしれない。
「姐さんがいるってことは……えーと、どっちが姫さんです……?」
セオラスはアドルバードとリノルアースを交互に見て首を傾げる。そこにいるのは可憐な少女が二人、どう見ても少年の姿はない。
「……そこは触れてくれるな」
「あーそっちが殿下ですねー」
アドルバードは居たたまれなくなってそっと目を逸らした。その仕草ひとつで本物がどちらか一目瞭然だ。
「ルイも今日は非番だろ? 姫さんとデートかよ、羨ましいねぇ」
「え、デート……?」
いやこれはリノルアースの我儘に付き合わされただけで、デートというわけではない。デートというのは恋人同士、あるいはそれに準ずる関係の二人がすることで、片思いの相手に振り回されることをデートとは呼べないはずだ。
しかし目を丸くしたルイに、周囲は呆れた顔をしている。
はぁ、とリノルアースはわかりやすいくらいのため息を吐き出して口を開いた。
「……帰りましょ」
その表情はすっかり不機嫌そのものだったが、ルイとしてはやはり酔っ払いに絡まれたのがいけなかったか、なんて見当はずれの結論を導き出している。
「もしかして俺は触れちゃいけないとこに触れましたかね……?」
セオラスが青ざめながら呟くと、アドルバードがそっとその肩を叩いた。
「命があることに感謝するべきだな」
これはあれだ、リノルアース自身もわかっていたことだから怒りはしないけど他人に指摘されたのはなかなか腹立たしい……ということらしい。
「ひとまずここで酔っ払いに絡まれていたのは一般市民の女性で、怪我もないので帰ったということに」
セオラスも駆けつけてきた以上は何があったのか報告しなければならない。だがそこにいたのがこの国の姫と王子でしかも王子は女装していました――なんて言えるはずもないだろう。レイが指示を出すと、セオラスも「はぁ」と首を掻きながら頷いた。
「……団長には全部報告したほういいですかね?」
念のため確認をとってくるセオラスに、レイはさらりと答えた。
「好きにしろ。何もなかった以上父上も何も言わない」
今さら姫と王子が城を抜け出したところでどうこう言われることもないし、怪我ひとつしていないのであればあの程度のことは『何もなかった』に含まれる。国王陛下も騎士団長も、双子たちへの放任主義は貫いているのだ。
「……えーと、すみませんでした?」
無言で城へ向かって歩いているリノルアースに、ルイがおずおずと口を開いた。沈黙があまりにも居たたまれなかったのだ。
「なんで謝るわけ」
リノルアースはちらりともルイを見ることなく、不機嫌を滲ませた声で答える。
「いやその、なんか台無しになったし……」
「……どれが何を台無しにしたかわかってないくせに」
「はい?」
はぁ、と重い溜息がリノルアースの小さな唇から吐き出されるが、ルイはその発言がよく聞き取れずに首を傾げた。不機嫌なままだということは漂う雰囲気で嫌というほどわかる。
やはりこういうことに同行したことが間違いだったのでは、姉ならもっとスマートにやれただろうに――などと反省しながら帰りの道中にはこれ以上の厄介事がないようにと警戒は怠らない。
すっかり騎士モードになってしまったルイを見上げて、リノルアースはまた大きくため息を吐いた。
「……あーあ、まったく。まさか私のこの美貌が通用しない男が世の中にいるなんてねぇ」
「え? そんな男いないと思いますけど」
何を言っているんだという顔で断言するルイに、リノルアースは思わず固まった。珍しい表情だった。リノルアースはいつも余裕があって数手先を読み、素で驚くなんてことは滅多にないのだ。
「……バカ」
リノルアースは悔しそうに顔を俯かせて、ルイに聞こえるだけの声量で呟いた。
「え? なんですか突然」
さすがにバカ呼ばわりされることなんて言っていないはず――むしろどちらかというと褒めたつもりなのだが、リノルアースはいーっと怒ったように声を張り上げて走り出す。そろそろ城も近い。
「バカバカバーカ!」
「えぇ……?」
――乙女心って難しい。
そんなことを思った一日だった。
(お忍び探検隊改めお忍びデート編/完)
可憐な王子の受難の日々 青柳朔 @hajime-ao
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