11:……どこだここ

 目覚めは最悪だった。


「……ぅ、ん……?」


 鈍く痛む頭は思考力をアドルバードから奪っていく。部屋の中は薄暗く、アドルバードは天井を見上げたままなぜ灯りをつけていないのだろう、と思った。レイはどこにいるんだろう。どうして彼女が傍らにいないのか。

 絡みつく髪を鬱陶しそうに払いのけ、のそりと上体を起こす。闇に慣れた目で部屋の中を見回した。

「……どこだここ」

 王宮で用意されていた客室でもなければ、ハウゼンランドの自分の部屋でもない、見知らぬ部屋だ。小さめのベッドに、小さな机。わずかな月明かりを取り込む窓は人一人通ることすら叶わないほどの幅で、外に鉄格子が嵌められている。

 高貴な虜囚が使う部屋はこんな感じだろうか、とアドルバードは思った。

(……で、なんで俺こんなとこにいるんだっけ……?)

 アルシザスを訪問中だった。早々にカルヴァに正体が知られてしまったこと以外はおおよそ予定通りで、順調だったはず。カルヴァの怒りを買ってこんなところに放り込まれるようなことをした覚えもない。あのアホ王はわりと寛容だ。

 意識を失う直前の、警護の男の言動と女官の様子を思い出す。そこから導き出される答えは、これは誘拐だろう、ということだ。それもカルヴァが仕掛けたものではなく、むしろ彼に反意を向ける者の犯行だろう。

(それでなんでリノルアース姫が巻き込まれるんだって話だよな……)

 自慢じゃないがハウゼンランドは小国だ。アルシザスにとっては遠方の国すぎて特に利用価値もない。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。月の位置からして日が暮れてからまだ数時間しか経っていない。まさか丸一日眠っていたということはないから、数時間気を失っていたということだろう。

 とっくにレイはアドルバードの不在に気づいたはずだ。

 晩餐は体調不良でも理由にすれば欠席できる。問題は数日後に迫る夜会だ。リノルアース姫が主役ともいえるそれを、欠席するわけにはいかない。

(……さて)

 頭がすっきりしてきたところで、アドルバードは自分の姿を確認する。萌黄色のドレスに乱れた様子はない。誘拐犯に男とはバレていないのだろう。

 ドレスを捲り上げて、太腿に隠し持っていた短剣を取り出す。片足には投げられるほどの大きさのナイフが二本。

 平和ボケしているハウゼンランド育ちとはいえ、アドルバードはお姫様じゃない。護身用の武器くらい持っている。

 相手がどうこちらを扱うつもりなのか見極めなければならない。眠っていたベッドのシーツは清潔だし、部屋の中も汚れているような様子はない。ひとまずそれほどひどい扱いにはならないようだ。

 月明かりを頼りに扉へ歩み寄る。当然人を閉じ込めているのだから鍵はしっかりとかかっていた。そっと耳を寄せてみても扉の向こうから物音は聞こえないが、かすかに人の気配があった。

「……だれか。だれか、いませんか」

 震える声は闇のなかに小さく響く。扉の向こうの気配が動いた。「リノルアース姫」が目覚めたことを報告するのだろうか。

 ここはどこか。アルシザスの王宮からどれほど離れているのか。誘拐犯は何人か。目的はなんなのか。知りたいことは山ほどある。

(幸い、向こうにとってはか弱いお姫様のままらしい)

 カチリ、と鍵が開けられる音がした。アドルバードはしおらしくベッドに腰をかけて扉が開くのを待った。

 扉がゆっくりと開き、灯りに照らされる。姿を見せたのは壮年の男性だった。一目で上等な服だとわかるそれは、男が高い地位にあることを示している。

「具合はいかがですかね、リノルアース姫」

「……このような状況でいいと笑えるとお思いですか? あなたは誰で、どういうおつもりです?」

 震えながらも気丈に振る舞う姫君を見下ろして、男は笑った。

「姫が知る必要はありません。あの男を玉座から引きずり下ろすために、少し利用させていただきますが……あなたがおとなしくしているのであれば、痛い思いはしなくてすみますよ」

 忠告しているものの、リノルアース姫が暴れるとは露ほども思っていない様子だった。

(あの男……カルヴァのこと、だよな)

 アドルバードは怯えた様子を変えぬまま、男を睨みつけた。

「こんなことをして、無事ですむと思っているんですか……?」

 反逆ともなれば露見すればただではすまない。しかし男は自信ありげに笑った。

「もちろんですとも」

(勝算はあるってことか……?)

 しかしカルヴァも見た目通りの馬鹿ではないだろう。そもそもリノルアース姫を誘拐すればそれはすぐにカルヴァの耳に届く。秘密裏に動くつもりはないということだろうか。

「……なぜ私なんです? こんな小国の姫、役になど立たないでしょう?」

 どんな考えがあるのか知らないが、ハウゼンランドよりはアルシザス国内の貴族を利用するほうが効果はあるかもしれない。

「まさか! あの男は随分とあなたに夢中なようですから。今頃きっと血相を変えているでしょうね」

(おいしっかり噂になってんじゃねぇか!)

 アドルバードは心の中で叫びながら、頭を抱えたくなった。

「あの男が王の器でないと、それを示すことができればいいんですよ、我々は」

 わずかに動揺を見せたリノルアース姫に、男はあらぬ誤解をしてくれたらしい。アドルバードは冷静さを取り繕いながら男を睨んだ。

「……王宮へ返してください。今ならまだ大事にはならずにすみます」

「愛らしい見た目に反して気丈な方ですね。それはできません、姫。どうぞ夜会の日までおくつろぎください」

 男はにっこりと微笑むと部屋から出て無情にも鍵を閉めていった。

「……しっかり見張りをしておくように。私は戻る」

 扉越しに聞こえた男の声をしっかりアドルバードは耳にとらえていた。男はここに留まるわけではないらしい。

(夜会の日まで、ね)

 つまりは夜会にリノルアース姫が参加していないことでカルヴァを陥れようということだろうか。確かに夜会はリノルアースが主役といっても過言ではない。

 アドルバードは小さな窓に歩み寄り外を伺う。三階ほどの高さがあるそこから地上を見下ろした。

 しばらくして一台の馬車が走り去っていく。あの男が乗っているとみて間違いないだろう。戻る、と言っていたということはあの方角が王宮と思ってもよいのかもしれない。

 この狭い部屋からは想像しかできないが、おそらくここは貴族の別邸か何かだろう。窓から見える範囲に建物らしい建物はなく、街中ではないことはわかる。だがあの男の様子からしても王都、王宮からかなり遠いというわけではなさそうだ。

 アドルバードは短剣を取り出して、唇を舐めた。


「残念。おとなしく囚われのお姫様でいると思うなよ」


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