14:男は色仕掛けに弱いんだなぁ



 首謀者らしき男が現れてからしばらくすると、アドルバードのもとに夕食が運び込まれてきた。白いやわらかそうなパンに、野菜を煮込んだスープ、それにいくつかのフルーツがトレイの上に載っている。王族に対する食事としては質素かもしれないが、予想よりまともな夕食にアドルバードは驚いた。夕食なんて忘れられているのでは、と思っていたところだ。

(毒……はさすがに盛らないかもしれないけど、睡眠薬くらいは入っていてもおかしくないよな)

 リノルアース姫を殺すつもりならとっくに殺されているはずだ。フルーツならば薬を仕込むこともできないだろうといくつかつまんで、手つかずのパンとスープはそのまま机の上に置いておく。昼過ぎから何も食べていないのは育ち盛りとしてはなかなか辛いが、ここでのんびりしているわけにもいかない。


(――さて、と)


 食事が運ばれてから三十分ほど経っただろうか、アドルバードはゆっくりと動き出した。んん、と扉の向こうへ聞こえない程度に咳払いをする。

「あの……すみません」

 扉の外には必ず誰か一人はいるはずだ、とおずおずと可愛らしい声をかける。するとやはり人の動く気配があった。

「……何かありましたか」

「その、体を拭きたいのでお湯と何か拭くものをいただけませんか……? こちらは暑くて、その、汗もかいていますから……」

 恥ずかしそうに、けれど要求ははっきりと告げる。扉の向こうの男はわずかに悩むような気配を出した。

「少々お待ちください」

(お待ち、だもんなぁ……)

 扱いは丁寧なのだ。閉じ込められているけれど、彼らはリノルアース姫を粗雑に扱う様子はない。だからといって情けをかけるつもりはなかった。

 男がたらいにお湯を入れてもってくる。逃走防止のためか、それとも一人では盥を持ったまま扉を開けられないからか――扉のところにはもう一人見張りがいた。お湯を部屋に運び入れた男はフルーツ以外減っていない食事に眉を顰める。

「……ごめんなさい、食欲がなくて」

 申し訳なさそうに眉を下げると男は「いえ」と短く答えた。

(男二人をいっぺんに相手するのは無理)

 お湯を運び入れた男が食事のトレイを持ち上げる。見張りの男に片付けてくると一言告げて、扉は閉まった。

(よし、今なら一人)

 アドルバードはシーツを剥ぎ取ってベッドの上に放り投げておく。そして、閉まった扉へと弱々しく声をかけた。

「あの、すみません。手を貸していただけませんか」

「……何かご用ですか?」

 躊躇いながらもしっかり返答があったことにほっと安堵する。アドルバードは恥ずかしげな声で続けた。

「その……下着コルセットを、一人では緩められなくて……」

 コルセットは普段は慣れていないアドルバードを気遣ってそれほどきつく締められていないが、それでも結び目は背中側にある。脱ぐにしろ緩めるにしろお姫様の服装というものは基本的に一人では脱ぎ着できないようになっているのだ。

 一瞬だけ考えるような間があったあとで、カチリと鍵を開ける音がした。

(古今東西、男は色仕掛けに弱いんだなぁ……)

 残念ながら男の考えていることなど手に取るようにわかる。なんせアドルバードも思春期真っ盛りの青少年なので。

 扉が開き、少し照れくさそうな様子で入ってきた男に、にっこりと微笑む。

「ごめんなさい」

 一言謝ってから、アドルバードは男のすぐ傍まで歩み寄った。まだアドルバードの嘘を信じている男は油断しきった顔でこちらを見ている。アドルバードはその締りのない顔の顎に向かって拳を振り上げた。

「うぐっ……」

 アドルバードの拳は狙ったとおりに男の顎に直撃した。顎を強打され、男はふらりと膝をつく。幼い頃からやってきた護身術がかなり役に立った。

(首の後ろ狙うにも俺じゃ届かないしな)

 扉からそっと顔を出してみれば、なんの変哲もない廊下があるだけだ。扉の横にある椅子は見張りのためのものだろう。ここが三階だとして、食堂などはたいてい一階だ。となれば、さっきの男が戻ってくるまではまだ猶予がある。

 引き剥がしておいたシーツで男の身体をぐるぐる巻きにして、するりと身を翻しアドルバードは部屋から出た。広い廊下に他に人はいない。

 誘導するように突き当たりの窓を開けてリボンを落としておいた。

 一階まで慎重に駆け下りて、目についた部屋に身を潜めた。音を立てないようにクローゼットをあけて、運よく男物の服を探し当てる。

(少し大きいけど、まぁいいか)

 ドレスの下に履けるトラウザーズのみを着て、シーツらしき布を引っ張り出して見つけた男物の服をまとめる。

 そこまで準備を終えたところで、屋敷の中が騒がしくなり始める。リノルアース姫がいなくなったことに気づいたのだろう。

「こりゃ、のんびりはしてられないな」

 アドルバードは人が上の階へ向かったのを確認してから使用人の勝手口らしき場所から外へ出る。きょろりと周囲を見回して厩を見つけた。運がいい。

「なっ……」

 突然現れた姫の姿に厩番が驚き叫ぼうとするが、その前にアドルバードが拝借した服をまとめた荷物をぶん投げる。見事に顔に直撃し、その隙にアドルバードは距離を詰めた。

 誘拐犯に情けはいらない。アドルバードは厩番の股間めがけて足を振り上げた。確かな手応えのあとで、厩番は悶絶して蹲っている。

「悪いな」

 駄目押しでアドルバードは無防備な首を短剣の柄で殴ると、厩番はそのまま気絶した。

 静かになったところで、遠慮なく一頭拝借する。ドレスで駆け抜ける姿は、さぞ目立つだろう。彼らはそれを目印にするに違いない。

(ま、それが狙いなんだけど)

 アドルバードは馬に跨ると勢いよく走らせた。月明かりを頼りに、進む方角は先ほど馬車が走り去った方だ。




 鬱蒼とした林が見えて、アドルバードはその中へと進んでいく。追っ手の気配は今のところなく、アドルバードは馬から降りるとドレスを脱いで拝借してきたシャツへ着替えた。邪魔なコルセットは容赦なくナイフで裂く。

 鬘を外し、今度は脱いだドレスやコルセットの残骸と一緒にシーツへ包んで丸める。この場に残して痕跡を辿られるようなことがあってはいけない。

「これでどこからどう見てもお姫様ではないだろ」

 奴らが探すのは逃げ出したリノルアース姫だ。このとおり本来の少年の姿になってしまえば追っ手の目も誤魔化せる。

 ただでさえアルシザスでは北方の人間も女性の一人歩きは目立つ。白い肌も金髪も誤魔化しようがないが性別はもとに戻れば問題ない。あとは王都を――王宮を目指すだけ、である。だがこの先に王都があるかどうかも定かではないし、何より王宮内がどういった状況なのかもアドルバードにはわからない。連絡を取る手段すらない現状、アドルバードはどうやって王宮にリノルアースとして戻ればよいのか手がない。

 どうするべきか、と考えながら使わずに済んだ短剣を確認して、鞘に戻す。次にナイフを触りながらアドルバードはぶつぶつと呟いた。

「王都からそれほど距離は離れてないんだろうけど、身分を証明する術がなけりゃ王宮には入れないよな。リノルアース姫がどうしていることになっているのかもわからないし――あー……予定とかレイにまかせっきりにするんじゃなかったなぁ」

 リノルアース姫や外交官が外出する予定を覚えていれば、少なくともハウゼンランドの人間には接触できただろう。しかしアドルバードの頭の中にある予定表は随分とあやふやだ。それにリノルアース姫の失踪で予定は崩れていると考えたほうがいいだろう。

「だとすれば、やっぱり王宮まで案内してくれる奴がほしいよな」

 手持無沙汰にナイフをいじりながらアドルバードは小さく零した。

 王都までの案内と、王宮への連絡役。まさにうってつけである存在に、。手の中で遊んでいたナイフを構えると、アドルバードは視線を少しも動かさずに背後に向かって投げた。

 小さなナイフは太い木の幹に刺さる。アドルバードが振り返ると、衝撃でぱらぱらと何枚かの葉が舞い落ちていた。


 ナイフの刺さったすぐ横、大きな枝の上で身を潜める黒衣の男が一人。予想外のことに驚き、声も出せないようだった。


 囚われていた屋敷を出てすぐ、アドルバードについてくる気配があった。最初はおそらくふたつ。しかしそれも、この林のなかに入るまえに二つに割れた。すぐに襲い掛かってくるような気配もなく、むしろ見守るようなその動きからして――アドルバードは彼らがカルヴァの手駒かなにかだろう、と結論付けた。おそらく二手に分かれたのは、アドルバードが逃げ出したことをカルヴァに報告するためだろう。

 まさにうってつけの人間ではないか。


「――案内してくれよ。簡単だろ?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る