13:美人との約束は必ず守るさ

 すっかり萎縮している自分の騎士を情けなく思いながら、リノルアースはそっとため息を吐き出した。レイもすっかり頭に血が上っていていつものような働きは期待できそうにない。

 こんな絶好のチャンスを、みすみす逃すわけにはいかないのに。

「あなたの計画にのることで、私たちはそれなりの見返りを期待してもいいということでしょうか? 陛下」

 主導権を握るべく、リノルアースは一石を投じる。

 自国ハウゼンランドに関わりのない国で慈善活動ボランティアなんて馬鹿馬鹿しいし、タダ働きなんてもってのほかだ。利用されるというのなら、こちらだって利用してやる。

「リノル様……?」

 足を組みリノルアースは小首を傾げながらカルヴァに問いかける。レイはなにを言い出すのだ、とリノルアースを見下ろした。

「レイは少し黙っていなさい。今のあなたの判断は信用できないわ。ルイより使えない」

「っそれは――」

「主人の危機に動揺するのも最もだけど、もう少し冷静になりなさい、レイ・バウアー。あなたの行動の責任はすべてアドルが負うことになるんだから」

 軽率だ、と言外に指摘されレイは唇を噛み締めた。普段どおりならレイがリノルアースに言いくるめられることなどありえない。正論を振りかざし、彼女を止めることができるのは本来レイだけなのだ。

「こちらはひとまずはおとなしく利用されて差し上げます。……そうですね、今から兄も招待していた、ということにはできます?」

「もちろん?」

 カルヴァはリノルアースの意図を探るように言葉少なに答えた。見透かすような黒い瞳に、リノルアースは微笑み返す。

「ではそのように。アドルが戻ってきたときに同じ顔の人間がいたらおかしいですもの。協力する代わりに……こちらはアルシザスとの同盟を望みます。今ここで、それを確約いただけないのであれば、協力はいたしかねますわ。こちらは国の宝である王子の命がかかっているんですもの」

「……しっかりとしたお嬢さんだ」

 カルヴァにとってのそれは紛れもなく賞賛の言葉だった。北方から聞こえてくる『北の姫』の噂や、アドルバードの話など当てにならない。目の前のこの少女はただの愛らしい姫などではない。

「お褒めいただき光栄ですわ」

 にっこりとリノルアースは微笑みながら付け加えた。

 よほどのことがなければ小国のハウゼンランドと大国アルシザスが同盟などありえない。国力に違いがありすぎる。

「同盟の件はすべて兄がしたこととしてください。詳細も、兄が戻ってきてから決めていただければよろしいかと」

「……いいだろう。こちらも損はしない」

 深いため息とともにカルヴァは承諾した。実際、損はしないかもしれないが、得られるものが多いわけではない。

「――ああそうだ、陛下の手の者がと先ほどおっしゃっていましたけど、当然ある程度、アドルの居る場所は絞れているのでしょう? 私の騎士を迎えにやりたいのですけど」

「はい!?」

 私の騎士、とリノルアースが示す人物はレイではない。存在感を消そうと小さくなっていたルイのことである。

「なにしろ私の大事な兄のことですから?」

 心配なんです、とリノルアースがわざとらしく微笑みとカルヴァはため息を吐いた。

「……そちらの準備がすんだあとで案内させよう」

「ありがとうございます」

 嬉しそうにリノルアースが答えていたが、ルイからしてみれば自分の意見はまったく聞かれることもなく話がまとめられてしまった。だが嫌だと言えるような状況でもない。

「――まさかあとでそんな約束はしていない、なんて男らしくないことは言いませんよね? 念書でも書きましょうか?」

「必要ない。美人との約束は必ず守るさ」

「そうであることを願っておりますわ」

 リノルアースは微笑みを崩さぬまま立ち上がる。レイがそっと上着を脱いでその肩にかけた。その優美さはまさしく姫君のそれでも、リノルアースは侍女服を着たままなのだ。

 リノルアースが扉に向かうと、ルイが先に進み扉を開ける。リノルアースを隠すようにレイが隣に並んだ。

 カルヴァとリノルアースの舌戦を目の当たりにして、少しずつレイの頭も冷えてきたようだ。

「……リノル様、かなり怒っていますね」

「あったりまえでしょ。こっちのこと馬鹿にしやがってふざけてんじゃないわよ。ふんだくれるだけふんだくってやるわ」

 すっかりリノルアース姫の仮面も外れて口調も悪くなっている。

 アドルバードのわかりやすいシスコンっぷりは有名だが、リノルアースも愛情表現が捻くれているだけでかなりのブラコンなのだ。兄ですら気づいていないかもしれないけれど。

 あの姉と、この妹姫を怒らせてしまってアルシザス王は無事ですむんだろうか――とルイは思う。



 どうにか人に出会うこともなく三人は部屋に戻る。ふぅ、と疲れたようにリノルアースは腰を下ろした。

「……わかっているとは思うけど、レイにはの護衛を続けてもらうからね」

「わかっています」

 リノルアース姫とその騎士はもはや一対の芸術品のようにアルシザスで知れている。どちらが欠けては不自然だ。

「それで、なんで俺はアドル様を探しに行かなきゃいけないんですか……?」

 今までは気づかれないように下男として紛れていたルイだが、本業はこれでも騎士である。

「あら、嫌なの? できないの?」

 嫌ですできません、とは言わせない雰囲気だった。ルイが困り果てた顔でレイに助けを求めると、レイは呆れたようにため息を吐き出した。

「……リノル様、あまり弟をいじめないでくれますか」

「だっておもしろいんだもの」

「ルイはあなたの騎士であって、おもちゃじゃありませんよ」

 いつもいつもいじられてばかりのルイもどうかと思うが。

「それ、昔もよく言われたわねぇ」

 くすくすと笑うリノルアースにレイは目を伏せて諭すように口を開いた。

「つまりリノル様は昔から成長していないということになりますね」

 さらりとレイが切り返した。

 レイは双子が生まれた時からの付き合いだが、ルイがリノルアースと出会ったのは八歳の頃である。レイに与えられた役割は遊び相手であり小さな護衛であり、世話役だった。破天荒な双子にあわせられる年頃の子どもがいなかったこともある。

 対するルイはレイとは血の繋がりがない。レイの父が赤子の頃に拾い我が子同然に育ててきたのだが、さすがにレイのように物心つく頃から城へ足を踏み入れるようなことはなかった。

「成長していないっていうのはひどいんじゃない?」

「少なくともルイは成長していますよ。強くなりましたし、自分の立場も理解している」

 リノルアースの顔が突然曇った。一瞬だけルイを見て、そしてすぐにレイに視線を戻す。その切なげな目にルイの心臓が跳ねた。

「レイの言う立場ってなんなの? 私たちは友人ではいられないの? 主従関係しか望めないの? そんなの、私もアドルも嫌だわ」

 リノルアースは真剣な顔で、静かに呟く。怒っているのかも、悲しんでいるのかもわからなかった。

「リノル様がそうおっしゃってくださるなら、私たちは友人なんでしょうね。ですが決して越えてはならない線はあります。わかるでしょう?」

「わからないわ。わかりたくもない」

 ゆるゆるとリノルアースが首を横に振る。

「そうやって少しずつ距離をとって、離れていく。それがどれだけアドルを傷つけるのかわからないの? あの子はあなたに守ってほしいなんて思ってないのに」

「それは……」

 そうだとも、違うとも、レイには断言できない。

 リノルアースの懇願は理想でしかない。王子であり王女である二人とレイやルイの間には確かな隔たりがある。世間知らずのお姫様だからこそ言える夢物語だ。

 レイがアドルバードの傍にいるためには、こんな形しかなかった。間違っても、いつか王妃になんて望めるほどレイはロマンチストになれない。アドルバードだって、王子という立場を理解しているのなら、国内の有力貴族の令嬢や、他国の姫君を妻に迎えるほうが正しいとわかるだろう。ハウゼンランドに後宮はないし、妃を複数もつこともない。

 たった一人の王の妃に、子爵家の――しかも騎士の真似事をするような女が選ばれるはずもない。そんなことになれば、アドルバードの王子としての、未来の王としての評価が下がる。

 そんなことはできない。

 だから言えないし、言わない。

 それでも傍にいたかったから。だから、女である自分を殺した。剣を握り彼を守る道を選んだ。


 彼は王となる人だ。

 妃になるのは、自分のような人間ではない。

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