12:とっておきの人がいますよ
リノルアース姫の不在はすぐにカルヴァのもとに伝えられた。
「陛下、アドル様は――!」
カルヴァに呼ばれたレイは部屋に駆け込むなり声を荒げた。カルヴァは悠然と座ったまま考え込むように目を伏せていた。
「落ち着きたまえ、騎士殿。既に捜索ははじめている。近頃、貴族連中のなかで怪しい動きがあったので警戒させていたのだが……彼には君がいたので油断していた」
主人が行方知れずなのだ、落ち着けと言われて落ち着いていられるはずがない。レイは苛立ちを隠すことなく小さく舌打ちをした。
「そのような動きがあったなら、一言こちらに何かあってしかるべきでは? このまま主人の身になにかあればただではすみませんよ」
「脅しかね?」
カルヴァが微笑みながら低い声で答える。笑みを浮かべた口元とは違い、その目は笑っていなかった。
「そう聞こえるのであれば」
しかしレイが臆することはなく、まっすぐにカルヴァを睨み返した。
「一国の王に随分な口を……まぁいい。安心したまえ、犯人の目星はついている」
「それなら一刻も早く――」
焦れたようにレイが口を挟むと、身振りでカルヴァは無理だと告げる。
「面倒な相手で、すぐにどうこうできるわけではない。……騎士殿はハウゼンランドの侍女たちのなかから替え玉を用意してほしい」
どこまでが味方で敵か把握できないアルシザスの人間にリノルアース姫の不在を悟られるわけにはいかないし、なにより肌の色が違う。
リノルアース姫が王宮から消えたと噂にでもなれば犯人の思うツボだ。それは絶対に避けなければならない。レイがふと、表情を変えた。張りつめていた糸がわずかに緩むように、かすかに微笑む。
「……それならば陛下、とっておきの人がいますよ」
「ほぉ?」
カルヴァの相槌を聞く要理も早く、レイは音もなく扉に歩み寄り、そして躊躇なく扉を開けた。
「きゃああああ!?」
おそらく扉に張り付いて室内の会話に耳をすませていたのだろう。一人のハウゼンランドの侍女が盛大に転んだ。その隣には、申し訳なさそうな顔をした浅黒い肌の騎士がいる。
「――盗み聞きとははしたないですよ、リノルアース様」
「……バレていたのね」
転がった侍女はむすっと頬を膨らませていた。その姿はいつものリノルアースとは異なる。髪はハウゼンランドではごく一般的な亜麻色で、顔を隠すように前髪は眺めだ。口元にほくろまでつけている。
「気づかないわけがないでしょう。それほど鈍感なのはアドル様くらいです」
何人もいる侍女のなかに紛れたリノルアースの存在に、レイはハウゼンランドを発ってすぐに気がついた。もちろん侍女たちも外交官たちも知っていただろう。リノルアースに扮して外交、という普段にはない緊張を強いられたアドルバードだけがまったく気づいていなかった。
「ルイ。おまえがついていながらどうしてこうなった」
レイは声を低くしてリノルアースに手を差し出す男を睨みつけた。下男のような姿をした、黒髪に浅黒い肌の青年はレイの弟である。
「俺がリノル様を止められると思います……?」
姉さんとは違うんですよ、と弟は――ルイは肩をすくめていた。
「止められるかどうかの話じゃない。おまえは帰ったら父上にでも鍛え直してもらったほうがいいな」
う、と顔を歪める弟に一切の情けもなくレイはカルヴァを振り返った。レイとルイの父の稽古は騎士団の若手が一度は地獄を見ることでハウゼンランドでは有名である。
「替え玉としてはこれ以上ない人材だと思いますが?」
「……あー……本物の、リノルアース姫で合っているかね」
いくら聡明な王であっても、これは予想していなかっただろう。カルヴァは動揺を隠さず苦笑した。
「お初にお目にかかります。……兄が随分とお世話になったみたいですわね? アルシザス王」
にっこりと微笑みを浮かべるリノルアースは間違いなく北の姫に相応しく、ドレスなど必要としない大輪の花のようなうつくしさだった。
予想だにしないリノルアースの登場の驚きも飲み込んで、カルヴァは頭の痛い話をはじめた。腰かけていたカルヴァの正面にリノルアースが座り、その隣にレイが立っている。
「――おそらく首謀者はバーグラス卿だ」
カルヴァが細く息を吐き出しながらそう呟いた。
「奴は私が心底気に食わないようでな。金魚の糞も多い。王都のバーグラス卿の屋敷には既に人をやったが、そこを使うほど馬鹿でもなかろう」
王都周辺の地図を広げながらカルヴァが説明する。リノルアースはその傍らで鬘を外して化粧をとっていた。服は依然として質素な侍女の服のままなのに、それだけで完璧なリノルアース姫になるのだから驚きだ。
「陛下……あなたは初めからこれを狙っていたのではないですか?」
レイが低い声でカルヴァの話を遮った。
「あなたがリノルアース姫に執心していたのはここ数日の動きを見ていれば誰もが思います。国内で怪しい動きがあったことにも気づいていて、それを我々には伝えなかった。あなたはリノルアース姫を利用して国内の不穏分子を炙り出そうと考えた。違いますか?」
カルヴァは意味ありげな笑みを浮かべ、椅子に深く腰掛けた。
「なんのことかな、ととぼけたほうがいいかな?」
鬘の下に押し込めていた髪をルイに梳かせながらリノルアースは微笑んだ。櫛を持つルイにはその顔が見えないのだが、ぞくりと背筋が凍るような気配は感じる。
「やめておいたほうが懸命ですよ、陛下。今はレイを止められる人間はいないので」
……俺なんでこんなところにいるんだろう、と泣きたくなりながらルイはリノルアースの怒りの矛先がこちらに向かないように存在感を消しながら丁寧に丁寧に梳かす。
「癪ですがここは陛下の計画にのりましょう。ここでアルシザスに借りを作ればアドルバード様にとっても利益のある話でしょうし。男だとバレないうちは扱いも丁重でしょう」
納得はできていないのだろう、レイの表情は苦いままだ。リノルアースも不機嫌を隠さず、いつもかぶっているはずの猫はどこかに消え失せている。
「バレないでしょ、アドルが馬鹿なことしなければ。陛下にバレたのだって驚きなのに」
ここがハウゼンランドでなくてよかった、とルイは心中でこっそりと零した。レイとリノルアースの静かな怒りは体感的に室温を下げている。これがハウゼンランドだったら凍死していたかもしれない。
「もちろん、彼になにかあれば責任はとるつもりだよ」
「なにもないことが大前提での協力です。そもそも、本物のリノルアース姫だったら喜んで責任を、とったんでしょう?」
「はっはっはっそれはもちろん、本物の姫君なら喜んで後宮に迎え入れたがね?」
笑ってない。声は朗らかなのに、カルヴァの顔はまったく笑っていなかった。
リノルアースはその愛らしい顔を歪めて、『誰がおまえの後宮になんか入るか』と言葉にするよりも遥かに雄弁に表情が物語っている。カルヴァはそんなリノルアースの顔を気にもとめずに計画を口にした。
「夜会までリノルアース姫には体調を崩している、と部屋に籠ってもらうとして――奴らはリノルアース姫がいないからそういうことにしていると思うだろうな。だが、夜会で主役ともいえるリノルアース姫が姿を見せたら?」
悪戯に成功した子どものように笑うカルヴァに、レイが険しい顔で食いかかる。
「そんなことをしたらアドルバード様の身に危険が――」
「その場で動揺を見せたもの、姫が逃げ出していないか確認しに行くもの、まぁ関係者は無反応ではいられないだろう。そこを全員捕らえればいい」
囚われの身であるはずのリノルアースが夜会に姿を現せば、もちろん現れるはずがないと思っている人間は驚くだろう。向こうの意表をつくことでその人間たちを炙り出すことは容易くなるはずだ。
「だから――!」
けれどそれは同時に、アドルバードの身に危険が及ぶ。
苛立つレイを尻目にカルヴァは微笑む。
「君たちにはむしろ感謝しなければな。本物の姫でなかったおかげで、楽に計画が進みそうだ。可憐な容姿をしていても男なのだから、自分の身くらい自分で守れるだろう?」
「レイ!」
リノルアースの制止の声が部屋に響いた。
レイが腰の剣を抜き、カルヴァの喉元に突きつけている。その目に迷いはなく、荒事に疎いリノルアースにすら殺気を感じ取るとこができた。カルヴァは剣を向けられてもなお、笑みを浮かべる余裕がある。
「私に貸しを作るのではなかったかな?」
「あなたの計画にのるよりも、あなたに反する者たちに協力しましょうか。愚かな王など民には害悪にしかならない」
「国王を殺して君はどうなると思う? 君の主人は?」
「殺されて民に惜しまれるほどの賢君であった自信がおありですか」
少なくとも貴族の一派に玉座を狙われているのは間違いない。レイの皮肉にカルヴァは笑った。
「いくら小国とはいえこちらの王子を巻き込んでいる自覚はおあり? あなたも一国の王ならばもっとこちらをうまく使ってみせていただかないと」
まだたった十五歳の少女の氷のような微笑は、十歳以上年上であるカルヴァを圧倒している。
「これほどの大国の王であるなら、もっとまともな提案をしてくださいません? あなたの頭は飾りじゃないんでしょう?」
「り、リノルアースさま!?」
さすがに国王相手にそれは、とルイが声を上げると、リノルアースは不満げにルイを見上げた。
「なによ。 ちゃんと言葉は選んでいるでしょ? 誰も馬鹿ともろくでなしともクズとも言ってないじゃない」
「言っていませんでしたけど今まさに言っていますから!」
ルイが青ざめながらリノルアースに指摘しているが、馬鹿だのクズだの言った本人はけろりとしている。カルヴァは腹をたてるような様子もなく、騒がしい光景に苦笑いを零していた。
「……今のままで問題はない。そろそろ私の手の内の者が王子を見つけるだろう。発見次第そのまま護衛についてもらう」
「アドル様の居場所を突き止めたならすぐにでも救出すれば……」
「それではすべての膿を出すまではできないだろう? 徹底的にやらなければな」
「――口を出すなとおっしゃりたいのですか?」
「わかっているのなら不毛な会話はそろそろやめないかね?」
ちりちりと肌を焼くようなレイとカルヴァの殺伐とした雰囲気にルイはそろそろ泣きたくなった。
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