19:ちゃんと、傍にいてもらわないと
夜会の日は昼間のうちから王宮内は騒々しい。人の出入りも激しくなるのが当然で、そのなかに紛れるようにハウゼンランド王国の王子はやってきた。姫君のときに比べれば幾分か質素な行列だが、滞在期間や性別を考えればそれも頷けた。女性のドレスや装飾品はどれもかさばるのだ。
馬車の窓からちらりと見えた横顔はやはり双子だからだろう。リノルアース姫とそっくりだったと門番は語っていた。
白い上着には金糸で模様が刺繍されている。少し癖のある金の髪は毛先が跳ねていて、それが少年らしさを残していた。王子の背後には黒髪の騎士がひとり、ひっそりと影のように控えている。
リノルアースのときよりも人が多いのは、夜会直前で人が集まってきているからだろうか。このなかにあの首謀者もいるかもしれない、と思うとアドルバードはおかしかった。囚われの姫君に逃げられた感想を聞いてみたいものだ。
凛とした
「お初にお目にかかります、アルシザス王。北方ハウゼンランド王国より参りましたアドルバードと申します」
カルヴァは悠然と微笑み、初対面の王子に気さくに声をかけた。
「こうして会えたことを嬉しく思うよ、アドルバード王子。妹君には会われたかな?」
「いえ、先に陛下にご挨拶をと思いまして。妹はご迷惑をおかけしておりませんか?」
にこやかに微笑み合いながら言葉を交わす二人はまるで旧知の仲のようだった。
「なに、姫君のわがままなどは可愛らしいものだ。気にすることはない」
「陛下の寛大な心に感謝します」
アドルバードは吹き出しそうになるのを堪えながら、理想の王子の顔で微笑み返したが、そろそろ限界だ。カルヴァはそんなアドルバードに気づいたらしく、退出を促す。
「長旅で疲れただろう? 早く妹君に顔を見せてやるといい」
カルヴァの助け舟にアドルバードは素直に頷いた。
「ありがとうございます」
アドルバードとしてもリノルアースのもとに早く顔を出したい。あまり遅くなるとリノルアースの機嫌が悪くなる。
「それではまた、のちほど夜会で」
妹と一緒にご挨拶に伺います、とアドルバードが告げると、取り巻いていた周囲はざわめく。やはりリノルアース姫がいなくなったというのはただの噂か、と笑う者がほとんどだったが、ただ一人が顔色を変えていた。
――バーグラス卿だった。
もちろんそれに気づかないカルヴァではない。アドルバードの背を睨みつけるその姿をしっかりと確認して、カルヴァはそっと人知れずため息を吐き出した。
「……アドル様が笑いを堪えているのがバレないかすごくひやひやしました」
部屋まで案内されながら、ルイがアドルバードにしか聞こえないような小さな声で呟いた。
「仕方ないだろ、あれは笑うだろ」
今更カルヴァと初対面を装ってお互いお行儀よく挨拶しなければならないなんて。ついダメだと思っても笑いがこみ上げてくる。
「姉さんにしっかり報告しておきますね」
(うげ)
失敗の許されないあの場でカルヴァとお互いに初対面を装っているのがおかしくて吹き出しそうになっていました、なんてレイに知られたらお説教の嵐だ。ルイに食いかかろうにも人目があってそれもできない。そこまで計算尽くなのだろう。
(……まぁいいか、いっそお説教されるくらいのほうが)
アドルバードが誘拐されたことを自分の責任だと感じているであろうレイに謝られたりするよりは、いっそ叱られるほうがいい。
案内された部屋の前までたどり着くと、コンコンとノックをする。いくら妹とはいえ女性の部屋になんの前触れもなく入るわけにはいかない。たとえ妹は兄にそんな気遣いをしないとしても。
「はい」
応対した声は、アドルバードがずっと聞きたかったものだ。どくんと心臓が鳴るのに動揺した。聞きなれた声なのに、数日会わなかっただけでこんなにもアドルバードを落ち着かなくさせる。
「ちょっと、アドル様?」
らしくもなく緊張して無言になったアドルバードを何してんですか、とルイが肘でつついた。確かにこれでは不審者である。
「あ、えと……」
(俺だって言えばわかる? いやここはちゃんと名前を言うべき? なんでこんなことで悩まなくちゃ)
ぐるぐると悩んでいたところで、かちゃりと扉が開いた。
「……アドルバード様?」
彼女の口から自分の名前が零れた途端に、ああ戻ってきたのかと実感が湧いてくる。現れた銀髪の騎士はアドルバードとルイを見るなり「やっぱり」と呟いた。
「早く入ってください、いつまでそんなところにいるおつもりですか?」
苦笑しながら部屋に招き入れるレイに見惚れて動けないアドルバードの背中をルイが無理やり押してともに部屋に入る。
「……リノル様は?」
「隣の部屋で夜会の支度をしている。着替えは終わっているから挨拶してこい」
ルイの問いかけにレイはわかっていたかのように淀みなく答え、アドルバードのために飲み物を用意していた。無駄のない動きは相変わらずだ。相変わらず、なんていうほど長い時間離れていたわけではないのに、アドルバードは数年ぶりに会うかのような気持ちでレイを見つめた。
改めてレイは綺麗だ、と思う。月光を集めたかのような、濁りのない澄んだ水を凍らせたような、そんな清涼感のあるうつくしさだ。
「……アドル様? 具合でも悪いんですか?」
部屋に入ったまま一歩も動かずにいるアドルバードを見てレイが心配そうに眉を寄せる。
「え、あ、いや大丈夫。ただなんか……戻ってきたんだなぁって思って」
答えながら長椅子に移動して腰掛けた。身を沈めてふぅ、と息を吐く。
「……出かけるなんて、一言も聞いていませんでしたけどね。ご無事でなによりです」
レイは苦笑して、檸檬水を差し出した。その瞳の奥に安堵の色が滲んでいるのを、アドルバードは気づいている。
「ごめん、心配かけて」
「まったくですよ。おかげで寿命が縮まりました」
それは困る、と呟いてアドルバードは笑った。
「俺はほんと、レイがいないとダメだな。……ちゃんと、傍にいてもらわないと」
「今回のことは、お互いさまですよ。私も、護衛としての自覚が足りませんでした」
悔いるようにそう零したレイに、アドルバードは首を振った。
「そんなことない」
きっぱりと否定するアドルバードを見て、レイは苦笑する。子どもをなだめる大人のような顔をしていた。
「……アドル様はきっと、わかっていないんですよ」
「……なにを?」
「私という人間を」
――まさか、と思った。
自慢ではないが、レイと過ごしている時間は彼女の家族よりも長い。すべてを理解しているとは言わないが、それでも彼女のことは誰よりも知っていると思う。
それでもレイは繰り返す、わかっていないんですよ、と。
「……どこが?」
少し腹が立った。だってそうだろう、アドルバードとレイの付き合いはそんなに浅いものじゃない。本心の奥まで見透かすことはできなくても、人となりは理解している。
「私は、けっこう嫉妬深いんですよ?」
しかしレイの口から発せられた予想外の言葉に、アドルバードの積み上げてきた自信が揺らいだ。
(――嫉妬深い? レイが?)
アドルバードの知るレイはいつだって強くて、すごく冷静で、少し先のことまで見えているかのようで。けれど年相応に脆くて、それを隠すのが上手な人だ。嫉妬という醜い感情とは無縁にも思える。
「アドル様がすぐに陛下と打ち解けて仲良くなさっているし、私は同席させてもらえないし、捻くれていたんですよ。拗ねていたんです。いつだって、私が一番あなたの傍にいたのに」
レイの中のなけなしの理性がそんなことまで言わなくていい、と頭の中で叱りつけてくる。けれどもういいんじゃないか、なんて珍しく甘やかす自分もいた。
あのリノルアースに逃さないと宣言をされて。それならもう、きっと逃げ道はそう多くないとレイは苦笑する。あの姫君は、手に入れると決めたものはどんな手を使ってでも手に入れる。
だったらこれくらい言ってもいいだろう。この独占欲を、少しくらい、吐き出しても。
「……あなたに私が必要なんじゃない、私にあなたが必要なんです。私が私という――レイ・バウアーという人間であるために、あなたがいてくれなくては、困るんです」
青い目をまあるくしていたアドルバードが、その言葉を咀嚼するとみるみるうちに赤くなっていく。はく、と唇を震わせて、けれど声にはならない。
そんな様子の可愛らしい主人に、レイは意地悪にも心が満たされていくような気がした。
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