20:私のほうが百倍可愛いでしょ

 どんな情熱的な愛の告白さえ霞んでしまうほどの言葉を、たった今、恋する相手から言われた気がする。


 アドルバードの頭の中は歓喜で埋め尽くされて、まったく使い物にならなくなった。

(いや、だって、今の)

 くらりと眩暈がするほどに、身体中の熱が頭に登ってくる。頬がほてり、息が苦しい。

(……今の、空耳じゃないなら)

 それなら、レイは――


「ちょっとぉ、いつまでも惚けてないでちゃっちゃと動いてくれる?」


 熱に浮かされたアドルバードに冷や水を浴びせるような声が投げつけられる。聞き間違えようもない、双子の妹リノルアースの声だった。

(なんで! 今! このタイミングで!?)

「あのなぁリノル! 少しは空気読んで……って……あれ? おかしいなこんなとこに鏡はなかったはず――」

 怒鳴りつけようと振り返ると、そこには自分がいた。いや、正確には着ている服が違う。

 癖のある金の髪も、白い肌も、青玉の瞳も、全部同じだ。白い上着ではなく深い緑色の華やかな夜会の衣装を着ている。

「――鏡? 馬鹿言わないで。似ているけど私のほうが百倍可愛いでしょ。滲み出るこの愛らしさがわからないの?」

 そっくりな自分の口からそんな言葉が吐き出され、アドルバードの頭はすっかり冷えた。

「……少なくとも俺の中ではそんなことを言う子に愛らしさは感じない」

 こんなふてぶてしい子を可愛いとか思えない。身内の欲目とか無理。

「リノル様、準備はもういいんですか?」

 先ほどまでまっすぐにアドルバードを見つめていたレイの目がリノルアースへと移る。え、ちょっと、とアドルバードが名残惜しげにレイへ視線を投げかけても何ひとつ反応はない。

(今のどう考えてもいい雰囲気だったのに! だったのに……!)

 ここ数年ではかなりの大進展だったはずだ。アドルバードが夢を見ていたのでなければ。

「私は見てのとおりばっちりよ」

「では、私は行きますから、アドル様をお願いしますね」

「そうね、いってらっしゃい」

「えっちょ、レイ!?」

 別室へ向かうために扉を開けようとしたレイを、アドルバードは慌てて呼び止める。

「はい?」

「……行くって、なんで?」

 今さっき、本当にたった今、傍にいるとかいないとかいなければとか――言っていたはずではないのか。それなのにレイはアドルバードの傍を離れようとしている。早くないか。もうちょっと余韻を楽しませてくれてもよくないか。

「正直面倒なんですが、私にも準備がありますので。のちほど夜会の会場で」

(え? あれ? なんかもう、もしかしてさっきのは空耳だったのか……?)

 困惑するアドルバードを尻目にレイはあっさりと部屋から出て行った。伸ばしかけたアドルバードの手が虚しく行き場を失う。


「……やっぱりアドルにレイはもったいないかしら?」

「我が姉ながら惚れ惚れする潔さですねぇ、俺たち聞いてるのに気づいてましたよね」


 悲しい現実に引き戻すリノルアースとルイの声にアドルバードは肩を震わせた。

「おまえら聞いてたんじゃないか! よかった夢じゃなかった! っていうかおまえらが邪魔しなければもうちょっといい感じになったかもしれないのに!」

 あとせめて十分くらいはそっとしておいて欲しかった。具体的にはアドルバードが「それってつまりそういうことかな……?」とレイの言葉の意味を確認して、自分の思いの丈を伝えることができるまでは二人の世界を壊さずにいたかった。

「人のせいにしないでよ。しかたないでしょ、夜会まで時間もないんだから」

 涙目で訴えてくる兄をあしらいながらリノルアースは侍女を呼ぶ。運ばれてきた豪奢なドレスに、アドルバードは目が点になった。違和感がようやく仕事をした。

「……あれ? そういえばなんでおまえ俺の格好してんの?」

 ついつい当たり前のように会話していたが、傍目からすると普通のアドルバードと、女っぽい言葉を使っているアドルバードが話をしてる奇妙な状況だ。リノルアース姫役がいない。

「言葉遣いが悪いわよリノルアース

 にっこりと小首を傾げてリノルアースが愛らしく笑うと、自分がそうしているようにしか見えなくて気持ち悪い。

「は!? なんで!? 本人いるんだから俺がそれを着る必要はないだろ!?」

 どうしてリノルアースがアドルバード王子のフリをして、アドルバードがリノルアース姫のフリをしなければならない。本物が横にいるのに。

「ねぇアドル? リノルアース姫がいないと思っている連中の前に、リノルアース姫が堂々と現れるわけなの。それってけっこう危ないことよね?」

「え? ……そりゃ確かに逆恨みとかあるかもしれない、けど……?」

 リノルアース姫がいないことで彼らの企ては成功する。だがそれをリノルアース姫自身が打ち破ってしまうのだから恨まれるだろう。襲われないとは言い切れない。

「あんたは可愛い妹を危険とわかっているところに放り込むわけ?」

 可愛い、のところをこれでもかというほど強調する妹にアドルバードは食いかかる。

「おまえがルイから離れなきゃいい話だろ!? なんのための護衛だよ!」

「そりゃ俺だって傍を離れるつもりはありませんよ」

「念には念をっていうじゃない」

 リノルアースとルイに同時に言い返された。二対一は卑怯ではないだろうか。

「それにルイはアドルバード王子の護衛ってことになっているんだから、リノルアース姫の傍にべったり張り付いていたらおかしいでしょ?」

 リノルアース姫の騎士は銀髪の美青年、という認識がアルシザスでは既に広まっているし、アドルバードも先ほど挨拶するときにルイを連れて行った。本来の主従が入れ替わっているわけだが、それを説明するわけにもいかない。非力なリノルアースには護衛が必須だ。何が起こるかわからないから当然である。

「って、それならレイは!?」

 リノルアースの身の安全だけが問題なら、リノルアースの護衛をレイがすれば解決する話だ。

「レイにはちょっと別件で頼んでいることがあるの。つまり護衛として使えるのはルイこれだけ」

 これ、のリノルアースはルイを指差した。だがアドルバードはそんなものちっとも見えていない。

(人の騎士を何勝手に使ってんだよ……!)

 しかしレイが拒否しなかったということは、ひいてはアドルバードのためになることなのだろう。ならばアドルバードが駄々をこねたところでレイは戻ってこない。

「女装はもう終わりだと思ったのに……!」

 がっくりとうなだれるアドルバードの肩をリノルアース慰めるようにぽんぽんと叩く。だがもともとの元凶はリノルアースであることを忘れてはいけない。慰めにならない。

「まぁまぁ、そんなアドルのためにご褒美を用意しているから頑張りなさい」

(ご褒美って子どもじゃあるまいし……)

 そんなもので簡単に騙されるほどアドルバードは安くはない。

「同盟の話ならもう聞いた」

「そんなもんがご褒美になるなんて思ってないわよ。絶対あんたが喜ぶもっといいもの」

 リノルアースがそこまではっきりと言ってくるようなもの、とご褒美の内容が気になる。双子というだけあって好みは熟知されていると思って間違いない。

 だがそれよりも――

「……おまえ、アルシザスとの同盟をそんなもんって」

 ハウゼンランドのお偉方が聞いたら倒れそうな話だというのに、リノルアースはそんなもの欠片も興味ないらしい。

「こっちも散々迷惑かけられてんだからそれくらい当然でしょ。ほら、諦めて着替えなさい」

 一向に着替え始める気配のないアドルバードに焦れたリノルアースが詰め寄ると容赦なく上着を奪い取りシャツまで脱がせようとしてくる。

「ちょ、こ、こら! 女の子が男の服を剥ぐな!」

「ちんたらしてるあんたが悪い! ルイ! あんたもさっさと着替えてきなさい!」

 時間は有限なのよ! と怒鳴られるとルイも反射的に背筋をしゃんと伸ばして駆け込むように隣の部屋へと入っていった。

「は、はい!」

 仁王立ちするリノルアースの背後にはドレスや櫛や化粧道具をかまえた侍女たちが並んでいる。


「さ、とびっきりのお姫様になってもらうわよ?」


 目を輝かせているのはリノルアースだけではなく侍女たちも同様で、その美への追求への手加減はまったく許さない女性たちを前にアドルバードは身の危険を感じた。

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