お忍び探検隊(1)

 アルシザスから帰国してしばらく経った頃。


「ルイ、あんたちょっと明日私に付き合いなさい」

「……えっと……明日は非番なんですけど……?」


 帰り際にルイはリノルアースからそう告げられて顔を引きつらせた。ただでさえ日頃からリノルアース専属の騎士のように扱われているルイに休みはない。明日はアルシザスから帰国して久々の丸一日の休みなのだ。

 重ねて言おう。久々の、本当に久々の、休みなのだ。

「だから言っているんでしょ。あんた、忘れたとは言わせないわよ?」

 じろりと睨みつけられて、ルイは思わず後退りする。

「……な、なんの話ですか?」

 まさか何か重要なことを忘れているのだろうか、と冷や汗を流しながらルイが問い返すと、リノルアースは眉を釣り上げてますます声を荒げた。


「なんでもひとつ私の言うこときくって言ったじゃない!」


 ぽかんと口を開けて、ルイはようやく思い出した。アルシザスでの慌ただしさと帰国後の後処理ですっかり忘れていたのだ。

「ああ、そういえば……」

「だから、明日一日私に付き合いなさい!」

 わざわざ休みの日を奪うこともなかろうに、とルイは休日返上かぁ、と心の中でため息を零しつつ頷いた。だがまだ油断はできない。あのリノルアースだ、何をお願いされるか警戒するに決まっている。

「そういうことならかまいませんけど……何するんですか?」

「明日まで秘密」

「えぇ……」

 きっぱりと言い切られてルイは眉を下げる。

「とにかく、明日は普段着でここに来なさい、いいわね?」

「……わかりました」

 しぶしぶ頷いて、ルイは騎士団の寮へと帰ったのだった。




 レイとルイの生まれ育った屋敷はハウゼンランドの王都の端のほうにある。バウアー家は今でこそ王家の覚えめでたい一族ではあるが、所詮は子爵家。屋敷もこじんまりとしていて、ここから王城への勤めに出るのは何かと不便だ。結果的に屋敷はほとんど使われることなく、ルイは騎士団の寮で生活しているしレイはアドルバードの私室のある宮でほぼ生活している。


「普段着でって……なんでだろうなぁ」


 翌日、言われたとおりに普段着でリノルアースの部屋へと向かう。時刻としては昼前だ。


「……予想以上に地味ね」


 ルイの姿を見たリノルアースの辛口の評価に心が崩れるほどやわでもない。人間、慣れは肝心である。

「俺に華やかな服なんて似合いませんから。それでリノル様、その格好は……」

 リノルアースはいつものようなドレスは着ていなかった。シンプルなそのドレスは、姫君が着るには質素すぎる。それどころか貴族の令嬢が着るようなものではなく、せいぜい下町のお嬢様が日常で着る類のものだ。

 髪はふたつのおさげになっていて、その艶やかさを隠すように帽子をかぶっている。化粧はほとんど施さず、むしろ変装するかのように泣きぼくろがつけられていた。


「見てわからない?」

「……なんとなく予想はできました」


 どこからどう見てもリノルアース姫には相応しくない格好だ。いや、リノルアース姫とは思えない姿だ。

 ふふん、とリノルアースは満足気に笑った。

「察しのいいのは嫌いじゃないわ。今日はお忍びで城下をぶらりと散策するのよ!」

「そんな気軽にやっていいことじゃないですよ!?」

 まさかの予想が大当たりしてルイは真っ青になった。出来れば当たって欲しくなかった。

「あんたに拒否権がある? なんでもいいこと聞くっていったじゃないの。黙って付き合いなさいよ」

 それを言われてしまうとルイも反論できない。いや、そもそもあんな約束がなくてもリノルアースはやると決めたらやるし、ルイごときで止められるはずがない。むしろ気まぐれであろうともルイを連れて行こうという気になっただけマシと思わねばなるまい。

 リノルアース一人で王城から出ていく、なんてことになったらたいへんだ。


「……わかりましたよ、ついていきます」



 城下は思いのほか賑わっていた。大通りに立ち並ぶ出店に人々は目を奪われながら流れるように進んでいく。お忍びで城下を歩くといっても、貴族街の店へ行くのだと思っていたルイは困惑していた。

 王都は、中央にその象徴たる王城をかまえ、その王城を取り囲むように貴族街がある。さらにその周囲に市民の暮らす街があり、リノルアースがルイを連れてきたのはまさにそこだった。

 身分については厳しい偏見や差別はないものの、暗黙の了解は存在する。貴族と市民が暮らす場が違うのもそのは一つだ。

「ほら、行くわよ!」

 ルイの腕を引っ張りながらリノルアースは人ごみの中をぐんぐん進んで行く。誰も彼女がこの国のお姫様だなんて思っていないだろう。印象としては貴族街のお嬢様がお忍びで遊びまわっている、といったところだ。この程度ならば市民街の人間も不審には思わない。

 城を抜け出すときの手際といい、この人混みでの行動力といい、どう考えても。

「……初犯じゃないですね?」

「なんのことかしら?」

 にっこりと微笑むリノルアースの顔は、誤魔化そうとしているときの顔と同じである。彼女はその容姿が武器になることを知っているし、当然のように使いこなしている。

「いつからですか!? まさか一人で抜け出したりしてないですよね!?」

「もーごちゃごちゃうるさいわね、今はそんなことどうでもいいのよ」

 リノルアースはルイの追求をかわしながら市で慣れたように買い物をする。

「ほら」

 たった今買ったばかりの焼き串を押し付けられてルイは諦めた。どこの世界に肉を片手に食べ歩きするお姫様がいるだろうか。

「そろそろお昼時だからお腹空いたわねぇ」

「肉を食べながらいうことですかそれ……」

 今まさに食事しているだろうに、と呆れながらルイもかぷりと肉に噛み付く。

「あの店の焼き串を食べないなんて人生損してるわよ。美味しいでしょ?」

「美味しいですけど」

「そして向こうのサンドを買って、そのあとにデザートってところね」

 上品なサンドイッチとはまた違う、表面を焼いたパンの中にチキンや野菜が詰め込まれた歩きながら食べるにはもってこいのサンドである。

「今日の目的って……食べ歩きですか」

 ことごとく食べることばかりの予定にルイがくすりと笑いながら問いかけてくる。

「馬鹿言わないでよ、それだけで帰るわけないでしょ? あちこち見て回るのよ」

「あちこち、ですか」

 止めたところで無駄だとはわかっているが、ルイは苦笑しながら繰り返した。

「……別に、ルイの行きたいところがあるなら少しくらい付き合ってもいいけど?」

「俺ですか?」

 きょとん、と目を丸くするルイに、リノルアースは照れ臭そうに目をそらした。

「だってもともと休みだったんだし……買い物くらいするつもりだったんじゃないの?」

 ルイに休みはない、と言っても過言ではないほど働きづめだ。何を隠そうこの目の前の姫君が原因で。

 リノルアースはアドルバードのように剣の誓いをたてた騎士がいるわけではない。結果的に彼女の護衛は騎士団から選出されたわけだが、彼女はやってきた騎士を一日と持たずしてクビにしている。最終的に白羽の矢が立ったのがルイだった。矢を立てたのはもちろん父であり騎士団長であるディークである。

 リノルアースの護衛騎士として三日以上もったのはルイが初めてだった。そのままおまえが護衛をやっていろ、と父に丸投げされて、ルイはリノルアース付きの騎士として日々振り回されている。

「手入れ用の道具が壊れたんで買い直そうとは思っていましたけど……」

「じゃあ武具店? この通りにもあるけど、ルイの馴染みの店があるわよね」

「ああでも今日じゃなくていいんです、急ぎのものでもないので。はい、どうぞ」

 流れるようにルイはホットワインを買ってリノルアースに渡した。夏と呼べる季節は過ぎ去り、もうハウゼンランドは命の短い秋を迎えた。じきに雪が降り始めるだろう。ハウゼンランドの冬は長い。

「別に仕事じゃないんだから遠慮する必要なんてないわよ。で? どこなの?」

 これは行かないという選択のほうが面倒らしい、とルイは悟って「少し向こうです」と答えた。

「それにしても、なんで城下に?」

 出店の立ち並ぶ通りを過ぎると人混みも落ち着いてくる。隣を歩くリノルアースに注視しながらもルイは問いかけた。

「本格的に寒くなる前に様子を見に来たかったのよ。収穫の秋の様子を見ればそのあと一年はおおよそどうなるかわかるじゃない」

 遊び歩くためかと思いきや大真面目な返答で、ルイは言葉を詰まらせた。

「うちは放任主義だし、アドルもちょくちょく街の様子は見にきていると思うわよ。昔はレイも巻き込んで遊びまわったくらいだし」

「……手慣れているのはそのせいですか」

 双子の手綱を握る幼い姉の姿を思い浮かべながらルイは苦笑した。

「……まぁだから……と、来てみたかったのよね」

 小さく呟かれたリノルアースの声は、喧騒に紛れてうまく聞き取れなかった。

「今なにか言いました?」

「……別に! ほら、行くわよ」

 こっちで合ってる? と確かめながらもリノルアースはルイの手を引いて慣れた様子で人混みをかき分けていく。楽しげなリノルアースの様子に、ルイはたまにはこんな休日もいいかもしれない、と思っていた。

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