30:もう勘弁してくれええええ!

「最近エネロアがつれないんだがどうすればいいと思う?」

「真面目に仕事するのが一番だろうな」

 外交官たちが真剣に意見交換しているなかで、カルヴァがずずいと顔を近づけてまるで少女の内緒話のように話しかけてくる。散々聞かされ続けてきたが、どう考えてもカルヴァのアプローチの仕方がおかしい。エネロアのような女性の場合、真面目に誠実にやるのが一番だろう。

「それでは彼女にかまってもらえないではないか!」

「子どもか! 好きな子の気を引きたいからってふざけるな!」

 むむ、と大人しくカルヴァは話し合いに戻るが、十分もしないうちに今度はでれでれと独り言のような話をアドルバードに聞かせてくる。

「エネロアはな、こぼれ落ちた髪を耳にかけるときの仕草が実に色っぽい。それにたまに笑うと可愛らしいんだぞ、彼女はあれでもまだ二十歳で――」

「惚気聞きにきてるんじゃないんだよ! これは!?」

 行き詰り始めた内容をカルヴァに突きつけて無理やり軌道修正する。

「それに関してはこっちに資料をまとめてある。どうした? いつになく真面目だな?」

「俺はいつでも真面目だよあんたと違って」

「何かあったな? 何があった?」

 目をきらきらと輝かせて今度はアドルバードの話を掘り返そうとしてくるカルヴァにアドルバードの苛立ちはいつだって最高点を更新し続けた。


「だあああああ! うるさい脱線するなああああ!」




 外交官の手を借りつつもアドルバードは脱線するカルヴァの手綱をうまく操り、同盟の件をほぼほぼまとめ上げて帰国の日を迎えた。アルシザスの文官からはカルヴァの扱いについてお墨付きをもらえるくらいにはうまくなったらしい。有難くも嬉しくもない話だ。

「またいつでも来たまえ! うつくしい人類は歓迎するぞ!」

「しばらくはごめんだ」

 両手を広げて宣言するカルヴァに、アドルバードは心底嫌そうな顔をした。そんなアドルバードにカルヴァは鷹揚に笑う。

「だが君もうちで得たものは多いだろう? うちに来る前と今とでは一回りもふた回りも変わったと思うがね?」

 ――否定できないのがなかなか悔しい。確かに今回のことは良い経験になった。だがそれはどれもが予定外のことで、仕組んだのはこの男と妹である。

「……あんたが厄介ごとに巻き込んだからだろうが」

「君はそういう星のもとに生まれたんだろう。だがそうだな、私は君に期待しているよ、アドルバード」

「は?」

 どこか穏やかに笑うカルヴァに、アドルバードは眉を寄せた。期待されるような働きをしたということだろうか? 女装ばかりがアドルバードの記憶に残っているのだが。


「王に必要な素質はなんだと思う?」


 突然の真面目な問いかけに、アドルバードはしばし考えた。

 ――王。

 国土を、国民を、守らなければならない。生半可な気持ちでできることではないと思っているし、王となるには必要なものはたくさんある。

「……統率力とか?」

「いいや」

 きっぱりと答えを否定されてアドルバードは首を傾げる。

「知力も武力も、それらを操るための能力も、なくても王にはなれるものだ。本当に必要なのは、人々に愛される才能だよ、アドルバード」

「――はぁ?」

 予想よりも随分とロマンチストな回答にアドルバードは釈然としない顔でカルヴァを見上げた。そんなアドルバードに、カルヴァはくすくすと笑う。

「極論で言えば馬鹿でも王はできる。足りないところを補う優秀な人材に愛され支えられれば、国はなんの問題なくまわっていく。もちろん、賢く強ければそれに越したことはないがね。その点で言えば君は最高に王の資質がある」

 にやりとカルヴァは笑った。


「君の成長が楽しみだよ」



 長い旅も終わりに近づいて、馬車の窓から見える景色は慣れ親しんだものになった。遠くに針葉樹の森や、白い雪化粧を施したままの山脈が見えた。

「そろそろ王都につくかな。なんか懐かしい」

「そうですね」

 南国の空と北国の空の色はどことなく違う。空気も土の匂いも違うはずだ。これだけ長い期間国を出たことのなかったアドルバードからすれば感慨深いものでもある。

 散々なことも多かったが、今となっては楽しかった――と思えなくもない。


「……ところでレイ」

「なんですか」


 神妙な面持ちでアドルバードは向かいに座るレイを見た。

「まだもらってないぞ」

「……なんの話ですか?」

「おっ……おまえ、誤魔化すつもりだな!? はじめからそのつもりだったか!? 青少年の純情を弄びやがって!」

 とぼけるようなレイにアドルバードは天を仰いだ。すぐそこが馬車の天井である。暴れたら頭をぶつけてしまいそうだが、アドルバードとしては暴れたいくらいだ。

「なにを人聞きの悪いことを……」

 弄んだ覚えはないですよ、と零すレイにアドルバードは異論を唱えたい。いつだって弄ばれている。レイの自覚がないだけだ。

「あんのうっざいアホ王相手にがんばったぞ俺は!?」

 涙目で訴える主人アドルバードに、レイはため息を零す。

「それはもちろん、わかってますけど……こんなところでさせる気ですか」

(うう、可愛い……!)

 少し拗ねたようなレイの口ぶりにアドルバードは思わずときめいた。しかしここで誤魔化されてはいけない。本人に誤魔化す気がなくても、このままだと珍しく拗ねていて可愛いレイに誤魔化されてしまう。アドルバードが。

「今なら二人きりだし――」

 リノルアースとルイは後続の馬車の中だ。城に着いてしまえば報告やら何やらでまた忙しくなるし、なかなか二人きりにはなれなくなる。今なら誰かに見られる心配もない。

 レイは小さく息を吐き出してそっと目を閉じた。

(――綺麗だなぁ)

 アドルバードは、レイ以上にうつくしい人を知らない。

 絹糸のような銀の髪に、陶器のように滑らかで白い肌、弓のようにしなやかな眉と、影を落とす長い睫毛。触れたら壊れてしまうのではと思わせる繊細さのなかに、一本の芯が通っている。

 頬を撫でて唇を寄せる。それはまるで永遠の愛を誓うようだった。


(こんなご褒美があるなら、女装もそんなに悪くなかったかもしれない)





 王城に帰り着くと懐かしさがぐんと込み上げてきた。涼やかな風が気持ちいい。南の暑苦しさに慣れ始めていたものの、やはり故郷が一番だ。


「おかえり、子どもたち」


 父であるハウゼンランド王はにっこりと楽しげに笑いながら帰ってきた双子を労った。含みあるこの笑い方をいつもアドルバードは狸みたいだ、と思う。リノルアースの中身は絶対に父親寄りで真っ黒だ。

「おかえりなさい、アドル。リノル。お土産話が楽しみだわ」

 にこにこと嬉しそうに微笑みながら双子をまとめて抱きしめてくる母親を抱きしめ返す。両親の顔を見ると帰ってきたのだという実感が増した。家族団欒はアルシザスでの怒涛の日々の疲れを癒してくれる。

「レイとルイもお疲れさま。ディークに顔を見せてやるといいよ」

 国王は騎士の二人も当然のように労って話しかける。ルイには緊張が滲んでいるが、幼い頃から国王と顔を合わせているレイは「ありがとうございます」とするりと受け答えする。彼女にしてみれば国王であると同時に知り合いのおじさん程度の認識なのかもしれない。立場をわきまえているので顔にはあまり出ないが。

「父にはあとで顔を見せに行きます。さすがに帰って早々稽古させられるのは嫌なので」

 筋肉馬鹿の父親を思い出したのかレイはあっさりと国王の好意を断った。

「残念だったなレイ、帰って来たと聞いたのでこちらから来たぞ」

 許可もなく入ってきたのはレイとルイの父、ハウゼンランドの剣聖けんせいでもあるディーク・バウアーだ。レイは表情を変えなかったが、ルイは「げ」とあからさまに嫌そうな顔をした。

「腕は鈍ってないだろうな? 望み通り稽古つけてやろうか? ルイは相変わらず細いな、肉食っているのか」

「まだ勤務中ですので結構です」

「俺を細いっていうのは父さんくらいだと思います」

 きっぱりと断るレイと、呆れた顔をするルイにディークはつまらなさそうな顔をした。

「つれない娘と息子だ」

「父親に似たんでしょうね」

 レイとルイが同時に同じ返答をするので国王夫妻はくすくすと笑っている。

(いつ見ても似てない親子だよなぁ)

 ルイは血が繋がっていないから当然だとしても、岩か熊かと思わせる体格のディークと、細身でうつくしいレイはどこからどう見ても親子には見えない。母親に似てよかったわねぇ、とディークの主人である王妃は常々口にしているくらいだ。

「ていうか、ルイを筋肉達磨にしたら私が怒るわ」

 暑苦しいじゃない、とリノルアースがディークを睨みつける。ディークからしてみれば筋肉の塊でない男は皆細く見えるのだ。

「では殿下、久々に稽古を――」

「長旅でお疲れのアドル様に何をさせる気ですか。おとなしく騎士団の連中の相手をしてください」

「おまえらがいない間、散々鍛えてやった」

「……死者は出ていないですよね」

「何人か脱走したやつはいる」

 父上、とレイが渋い顔をしている。見た目通りに豪快な性格をしている父に困らされているレイは旅の疲れを癒す暇もなさそうだ。


 ああ、いつも通りだな、とアドルバードは笑う。

 これですべては元通り。騒がしくもいとしい祖国での日常が帰ってきた――はずだった。






「――な、な、ななななんだこれ!!」

 机の上に積み重ねられた手紙の山に、アドルバードは悲鳴にも似た声をあげた。嫌な予感しかしない。背筋を汗がたらりと流れていく。おかしいな、暑くないはずなのに。

「あらやだ、全部私宛の招待状だわー」

「いっそ清々しいくらいの棒読みはやめろ!」

 アルシザスでのリノルアース姫の評判は、ハウゼンランド周辺のみならずあちこちの国に広まったらしい。アドルバードの机の上に重ねられた招待状はどれも麗しい北の姫宛てだった。

 アドルバードが助けを求めるようにレイを見ても彼女は援護する気がないようだ。ルイにいたっては即座に目を逸らされた。

「自分でどうにかしろ!」

「妹の貞操がどうなってもいいっていうの!?」

「女の子がぽんぽん貞操なんて言うな恥じらえ!」

 じぃっと見つめてくるリノルアースから逃れるようにじりじりと後退りして距離をとる。ここで目を逸らしたら負けだ。肉食獣に対する対処と同じである。だが嘘だとわかっていてもリノルアースの目が潤んでくるのでどちらにしても負けだ。

「抵抗するだけ無駄ですよ、だってアドル様は兄馬鹿シスコンですし」

「そうですよねぇなんだかんだでリノル様を甘やかしてますしねぇ」

 兄馬鹿シスコンと断言するレイと、諦観しているルイ。アドルバードの味方はどこを見てもいなかった。


 


 にっこりと笑って小首を傾げる、一見するだけでは天使のような見た目の悪魔。

 握り締める拳が震えた。孤立無縁すぎて泣けてくる。拷問具のようなコルセットとも、重たいかつらからも、もうこれでおさらばだと思っていたのに。

(女装も悪くないなんて思ったからか!? だからか!?)

 だがそれは、今回一度きりのことだと思ったからだ。断じてそんな趣味に目覚めたわけではない。


「もう勘弁してくれええええええ!」


 アドルバードの受難の日々は、まだまだ終わりそうにない。




(南国受難編/完)

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