閑話休題
超最強姫君と秘密の手紙
北国のハウゼンランドの秋は、すでに手足が冷たくなるほどに寒い。室内は早くも暖炉の火で快適に過ごせるように暖められるようになった。
その温かな室内で、リノルアースは束になって机の上に堂々と居座っているそれを見て、綺麗な形の眉を歪めた。
「暖炉の火にくべておしまい」
そう言って無造作に持ち上げた手紙の束を侍女に手渡す。侍女は律儀に一礼して受け取った手紙を迷うことなく暖炉に放り込んだ。手紙は瞬く間に燃えていく。
「リ、リノル様! それはあんまりじゃ……」
ルイがあわてて止めようとするが、北国ハウゼンランド最強ともいえるこの姫を止めることができるのは片手ほどの人数しかいない。そしてルイはそのなかに入っていない。
十五歳になったリノルアースにはたくさんの求婚がきていた。
その美しさは大陸に知れ渡るほどで、北の姫とあちこちで噂になっている。緩く波打つ金の髪は少し赤みがかっていて、肌は新雪のように白い。
「あんまり? あんまりなのはこの手紙を送りつけてきた男どもじゃないの? 人となりも知らないくせに顔だけで人を評価して求婚なんかしてきやがって」
「……リノル様、言葉遣いを直してください」
丁重に忠告したルイに「あら失礼」とさほど悪くも思っていないように謝る。
「それでも、一応は心を込められた手紙なんですから……読みもせずに焼いてしまうのは相手に失礼です」
「どうせ皆、内容は似たり寄ったりよ」
ふんっとそっぽを向く仕草はこの上なく可愛らしい。
「でも、その、一応は求婚の手紙なんですよ? あの手この手でリノル様の気を引こうとしている人からの愛のこもった手紙なんですよ? 読みもせずに燃やすのはあんまりじゃあ……」
「じゃあなに。その一通一通丹念に読めと? ルイはそう言いたいわけ? 私は申し訳ないけどそんなに暇じゃないわ。大体、愛っていうより怨念が込められてるって言った方が正しいと思うけど?」
第一、私が大事そうに手紙を読んであんたは平気なわけ? というリノルアースの呟きはルイには届かない。当然計算した上での声量で呟いたのだ。わざわざ喜ばせるようなことを聞かせるまでもない。……聞こえていたとしてもその真意に気づかない可能性の方が高いが。
「そこまで言いますか……手紙を見ずに返事の手紙が書けるんですか?」
「あったりまえでしょ! 私を誰だと思ってるの? 誤魔化しながらも皆様のイメージを崩さずに丁重にお断りして差し上げます」
どこの誰から手紙が届いているかは別紙にまとめられている。直接的な求婚から、遠回しなお誘いまで内容は様々だが、リノルアースの返事はいつも決まっている。
「誤魔化すってあたりが問題なんですけど」
「あら、これでも少しは感謝してるわ。手紙がくればくるだけ、使う薪の量が減るもの」
にっこりと微笑む姿はおそらくどんな男でも一度は目を奪われるだろう――しかし言っていることはかなり毒々しい。
「……それはつまりきたらきた分だけ暖炉に放り込むってことですよね」
「放り込んでるのは私じゃないし?」
「命じてるのはあなたなんですけど」
言っても無駄なんですよね、とルイがため息を零す。
「――何よ。ルイは私がとっとと結婚すればいいって思ってるわけ?」
「い、いえ!! そ、そんなことないです! そんなわけないです! っていうか結婚するんですかリノルアース様!!」
そしたら自分はどうすればいいのか!? まさか嫁ぎ先まで着いていくのか!? 生き地獄だろうそれは!!
心臓が今にも破裂しそうな勢いで跳ね上がり、上手く話せなくて舌を噛んだ。
「しないわよ。するわけないじゃない。相手がいないんだから。ルイが何だか手紙のことになると口うるさいから」
いつもは説教はするけど、したとしても一度だけでしょう?
――それは何度やろうと無駄だから一回だけ念を押しておくんでしょうが。というか一度でも俺の言ったことを素直に聞いたことがありますか貴女は。
思わず口うるさくなるのはたぶん――相手があまりにも哀れだからだろう。
もちろん手紙の多くは噂だけで求婚してきた男なのだろうけど。その中の少数には物凄くリノルアースに思いを寄せている人もいるはずなのだ。この姫はそれだけ人を惹きつけてやまないのだから。本気じゃなかった男でさえも、一度この姫に出会って微笑まれたら最後だ。
自分の思いを一文字一文字に込めた手紙を、ものの数秒で灰に変えられてしまうのだ。哀れに思わずにはいられない。それがたとえ恋敵なのだとしてもだ。
「……どうせ口うるさく言っても無駄でしょう」
「分かってるじゃない」
そう言って太陽のように眩しい笑顔を見せる。
まったく、本当に。
この人には絶対に勝てそうにない。先に惚れた方が負けって昔から言うんだけど。
「リノル様、例の方から手紙が届きましたよ」
侍女がそう言いながら一通の手紙をリノルアースに届ける。白い上質の封筒と共に薄紅の薔薇の造花が添えられていた。
「あら、もう? 相変わらず芸の細かいこと」
手紙を受け取り、リノルアースはよくできた造花を眺めて微笑んでいる。
「……例の方?」
何も知らないルイは怪訝そうに呟く。
自分が知らない間にいったいどこでそんなやり取りが――しかも様子からしてかなり長く続いているらしい。
そもそも自分宛ての手紙はほとんど問答無用で焼き捨てるリノルアースが何故そんな嬉しそうな顔で受け取るのか。
「誰からの手紙かお聞きしても?」
「駄目よ。プライベートなことだもの。ルイでも教えられないわ」
きっぱりと即答されて、思わずむっとする。
蔑ろにされることは多いが、秘密という秘密はほとんどなかったというのに。
しかも手紙は用心深いことに封筒には一文字も書かれていない。侍女が直接受け取ってきたということだろう。文字から誰か判別することは出来ない。
待ちきれない内容なのか、リノルアースはすぐに封を破り、手紙を読み始めた。横から覗けば筆跡くらいは見えるが――そんなことをすれば鉄拳が飛んでくる。
嫌というほどに分かったのは。
その手紙がどれだけリノルアースが待ち望んでいたもので、そして読んだだけでルイですらそう見たことのない楽しげで純粋な笑顔が見れるということだ。
――もともと叶うことのない恋だとは思っていたけど。
こうも決定的なものを見せ付けられると、やはり胸がどうしようもなく痛い。
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「なんか、随分と景気の悪い面してるな」
リノルアースの双子の兄であるアドルバードは、ルイの顔を見るなりそう言った。
「……放っておいてください」
捨てられた子犬のようにしょぼくれたルイはアドルバードに哀愁漂う背中を向けてそう呟いた。
「どうした? リノルと喧嘩でもしたのか?」
「……喧嘩程度ならいいですよ。こっちは失恋決定なんです。人の姉といちゃいちゃしていた人が近づかないでください」
「い、いちゃついてなんかない! あいつがそう隙を見せると思うのか!?」
動揺しているあたり、何かしらはあったと推測できる。
なんだかんだでアドルバードと――ルイの姉であり、アドルバード専属の騎士であるレイは相思相愛だ。誰から見てもそうだと断言できる。
「……って、失恋決定? なんだあいつ婚約でもするのか!? そんなこと俺も聞いてないぞ!」
「婚約はしてませんけど……その」
「じれったい! はっきりしろ!!」
ぎゃあぎゃあとうるさいアドルバードに反抗する気にもなれず、ルイはうな垂れた。
「手紙が……」
「手紙?」
「今まで、全部焼き払ってたのに……」
「焼き払っていた!?」
結局会話らしい会話はなされないまま、アドルバードは何となく内容を理解しただけで終わってしまった。
「リノル様、また届きましたよ」
にこにこと嬉しそうに侍女が例の手紙を持ってきた。ルイが衝撃の現場を目撃してから数日後のことである。
「本当? 早く持ってきて」
「今日も造花が添えられてますよ。本当に品のある方ですよね」
リノルアースは嬉しそうに受け取り、まだ枯れないまま美しさを保った先日の一本に仲間が加わる。
ルイが気づいていなかっただけで、その相手とのやり取りは何回も続けられていたらしく、手紙は何通か溜まっていて、リノルアースは時々それを嬉しそうに読み返していた。
「――リノルアース様、今日も縁談の手紙が」
「焼き払いなさい。薪を足そうと思っていたところだったの、ちょうど良かったわ」
束になって運ばれてきた手紙を一瞥もせずにリノルアースは冷たく言い放つ。
侍女はその答えを当然知っていたかのように手紙を迷うことなく暖炉の火の中へ放り込む。
ああ、哀れな手紙たち。
それよりも哀れなこの自分。
はぁぁ、と重いため息を吐き出したルイに気がついたリノルアースは首を傾げてじっと見つめる。
「どうしたのルイ、最近何も言わないじゃない?」
「……言っても無駄ですから。俺の言うことを聞いてくださるような人ではありませんし」
「分かってるわね、と言いたいところだけど……具合でも悪いの? 何か変だわ」
気遣ってくれているということが少し嬉しいが――落ち込んだ気持ちはそれでも浮上しない。
「変なのはいつもですから」
「その言い方がいつもじゃないっていうの。ルイ、また何か拾い食いでもしたの?」
「またって何ですか。拾い食いなんてしてませんよ」
小さな頃を除いて、ではあるが。好奇心旺盛な子供の頃は何か拾って食べてひどい腹痛に悩まされたりもした――なんて過去は、少なくともリノルアースは知らない。
「そうね、まさかね」
くすくすと笑うリノルアースは可愛らしく、荒んだ心が少し和んだ。
こうして他の誰も知らないような素顔を見ることができるほど側にいられるのは、誇らしい。おそらく手紙の主すら知らないような部分も、知っていると断言できる。
「リノル様――」
和んだついでに何か話しかけようと口を開くと、部屋の明かりが一瞬にして消え去った。
「っ!」
夕食も終わり、後は就寝のみとなった時間とはいえ――突然明かりが消えるなど、ありえない。何しろリノルアースはまだ入浴も終えていないから眠るのには早すぎる。
「……ルイ、どこ?」
驚いたような、怯えたような、様々な感情が織り交じったような声が聞こえた。
明るかった時の距離からしてそう遠くない。近くに感じた息遣いに耳を澄ませ、手を伸ばす。
「ここです。リノル様、離れないでください」
伸ばした手にリノルアースの柔らかな手が触れる。
ほっと安堵した次の瞬間、月光に反射された銀の輝きを見た。
迷うことなく腰に下げられている剣を抜き、暗闇の中相手の剣を受け止める。金属と金属がぶつかり合う音が響き、リノルアースがかすかに震えたのが繋いだ手を通して感じ取れた。いくら強気でわがままで最強なお姫様でも、荒事には慣れていない。
「何者だ!? ここがハウゼンランド城、リノルアース姫の私室と分かっての行動か!?」
暗闇の中、見えぬ相手に片手で挑むのはかなり厳しい。しかしリノルアースと繋いだ手は出来れば離したくなかった。
「そちらの姫が悪いのだ!! 我が国王陛下のどこが気に食わんと言うのだ!!」
「……あらぁ」
「……だから誠心誠意、返事をしろって言ったじゃないですか」
相手はどう考えてもリノルアースに求婚してきたどこかの国の王様からの刺客だ。簡単に言えば腹いせというか八つ当たりというか――こちらには非がないようにも感じるが、読まれずに焼き払われ、灰になっていた手紙を思うと心苦しい。
「何よ。器の小さい男ね。そんな男こっちから願い下げ、男は顔や地位や金よりも器よ、器。心が広くなくちゃ」
「リノル様、少しは反省しましょうよ……」
緊張感のないリノルアースのセリフに力が抜けそうになる。
「覚悟!!」
刺客の男が親切にもそう叫ぶ。きら、と月光に反射する剣を確認し、瞬時に切り結ぶ。――暗いせいで反応がどうしても遅れがちになってしまう。
チッ、と舌打ちして下がる。リノルアースと距離を置くわけにもいかず、ルイは防戦一方だ。
「……やりにくそうね。明かりをつけましょうか?」
暢気なリノルアースの声に肩ががくりと下がる。
「どうやって明かりを点けるんです!? 動き回ってたら危ないんだからじっとしててください!!」
「いやぁねぇ、そこまで馬鹿じゃないわ」
顔が見れればおそらく壮絶に美しい微笑みを浮かべていただろうリノルアースがそう言った瞬間、ぱっと明るくなった。
リノルアースの机の上――小さな皿の上で白い紙が燃えていた。会話の中でリノルアースは火を点ける術を探していたのだろう。そのしたたかさはさすがとしか言いようがない。
わずかな明かりでも、相手の姿、距離を掴むには充分すぎるほどだった。
つまり――この状況で負けるほどルイは弱くはない。
あっけないほど簡単に刺客がお縄につき――リノルアースの部屋には侍女達の手によって明かりが灯された。
リノルアースは窮地を救った火を名残惜しそうに消し去る。その残骸を見てルイは顔面蒼白になった。
「リ、リノル様! それっ」
半分以上灰となったそれを指差しルイは叫ぶ。
「これ? ここ最近届いてたとある人からの手紙よ」
「え、だって、それっ……大事なものじゃあ……」
「うーん、まぁね。でも燃やせるものこれくらいしかなかったんだもの。情報は全部頭の中に入ってるしね?」
情報? とルイが首を傾げてさらに問おうとすると――。
「リノル!!」
リノルアースの私室に断りもなく堂々と駆け込んでこれるのはハウゼンランドでも数少ない――顔だけ見れば少女にも見える、リノルアースの兄、アドルバードだ。
「無事か!? 怪我は!?」
自他共に認める
「平気よ、何の為にルイがいると思ってるのよ。へタレで押しが弱くていざって時にしか頼りにならないけど、あれでも一応騎士なのよ?」
「……貶すのか褒めるのかどっちかにしてもらえませんか」
ルイはうな垂れながら呟くが、それを素直に聞くようなリノルアースではない。
「これは……」
机の上の手紙の残骸を見つけたレイが呟く。
「ああ、ごめんなさい。レイ。窮地を脱するのに必要だったから燃やしちゃったの。内容は全部覚えてるから問題ないんだけど」
「お役に立ったならかまいませんよ」
「とっても役立ったわ。でもあれを読み返して笑うのが最近の楽しみだったのに」
――これはもしかしてもしかすると、
「……手紙の相手は姉さんですか?」
おそるおそる問いかけるルイに、リノルアースはにっこりと微笑んで答えた。
「ええ、そうよ?」
がっくりと力が抜け、ルイはその場に崩れる。
「じゃ、じゃあどうしてあんなに喜んでたんです?」
「嫌だ、プライベートだって言ってるじゃない。秘密よ、秘密。特にルイには教えません」
「なっなんでですか!!」
ルイの反応を楽しみながらリノルアースとレイが顔を見合わせる。
「何でもよ。さ、早くお父様に報告にいってらっしゃいな」
「ご、護衛は!」
「レイもアドルもいるじゃない」
手紙について問い詰めるために側にいようと食い下がったがあっさり却下された。ここでチャンスを逃せばもう二度と聞き出せない。
「早く行きなさい。職を失いたくはないでしょ?」
それはつまり今すぐ出て行かなければクビってことですか!?
リノルアースもここで逃れられれば後はどうとでもシラを切れるという自信があるのだ。だから実力行使に出ているのだが――クビは困る。
「報告に行ってきます!! ああっもう!!」
負け犬の遠吠えはおそらくこんな感じだろうな、とアドルバードはルイの哀れな後姿を見送る。
してやったりのリノルアースはご満悦のようで、機嫌がすこぶる良い。
「……で? その問題の手紙はどんな内容なんだ?」
ルイには言わないと断言していたが、自分は例外なのだろうという確信があるアドルバードはリノルアースに問いかける。
「ルイの小さい頃の話」
にっこりとリノルアースは可愛らしい顔で答える。こういう顔をいつもしてたらもっと可愛いんだけどな、と兄馬鹿を発揮しつつ、無理だろうなと諦める。
「なんでまた?」
「だって、ルイは私達の小さい頃のことよく知ってるじゃない。レイが昔、ルイに話していたせいで。なのに私がルイの小さい頃のこと知らないのは不公平じゃない? だからレイに頼んで内密に教えてもらってたの」
――それでルイには絶対秘密の手紙というわけか。
その手紙でリノルアースが喜んでいた様を知っているルイは真実を聞いたら喜ぶんだろう。
「おまえもリノルのわがままに付き合うことないだろ」
小さな頃から双子を諭すのはレイの仕事だ。こんな些細なことに何日も付き合うなんてレイらしくない。
しかしレイは苦笑して、リノルアースを見る。
「リノル様には、誰も勝てませんから」
その一言にアドルバードも素直に頷くしかない。
二人の会話を聞きながら、リノルアースは悠然と勝者の微笑みを浮かべるのだった。
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