03:奴は女好きで間違いない

 かくしてアドルバードには専用のドレスと靴とコルセットを作られた。アルシザスへ訪問するまでのわずか二ヶ月でリノルアースから徹底的に淑女とはなんたるかを叩き込まれた。本人が淑女の皮を被ったとんでもないお転婆のくせに、だ。リノルアースの張り切りようはすごかった。自分は関係ないからと存分に双子の兄を着せ替え人形にして楽しみたいらしい。

 拷問具のようなコルセットも華奢な造りの靴も重たくて仕方ない鬘にもどうにか慣れた。

 こうしてアルシザスへやってきて、国王に挨拶してもリノルアースだと微塵も疑われないほどには姫君らしく振舞えているようだ。


「……で、どう思う?」


 無事に謁見を終えて部屋に戻り、一息つく。行儀悪く足を組みながらアドルバードはレイに問いかけた。レイは先ほどアドルバードが放り投げた鬘を拾い上げて手入れしている。

「どう、とは?」

「アルシザス王だよ。どう思った?」

 無類の女好き、という噂はただ一度顔を合わせただけでは判断しようがない。クズかどうかも公式の場でそう思わせることをするほどのクズではない、ということだけはわかった。

「あの短時間では判断しようがありませんよ」

 苦笑するレイに、アドルバードはいじけるように頬を膨らませた。

「そりゃそうだけど……なんかこう、印象とかさ。見た目だけはいい男だったとは思うけど」

 情熱的な雰囲気はハウゼンランドにはあまりいないタイプの男ではあった。ああいう男が好きだという女性も少なくはないだろう。

「顔立ちの整った方ではありますけど、リノル様の好みではないかと思いますよ」

 手入れの終えた鬘を化粧台の上にそっと置いて、レイは答えた。そのまま休むことなくレイは水差しからコップに水を注ぎアドルバードに差し出す。暑い南国で水分補給はこまめにしろと口うるさいのだ。

「なんでおまえがリノルの好みを知ってんの……」

「長い付き合いですから」

(それはつまり俺の好みまで把握されているんだろうか……)

 遠い目をしながらアドルバードがコップの水を飲み干す。

「あの……姫さま」

 扉の向こうで控えめに呼びかける声がした。ハウゼンランドから連れてきた侍女だ。

 今回の訪問において、文官や外交官、護衛の騎士や侍女はかなり慎重に選出された。彼らはもちろん本物のリノルアースではないと知っている。そもそもレイを連れている時点でアドルバードだと言っているようなものだ。レイはアドルバード専属の騎士であるから。

「どうした?」

「アルシザス王より、こちらが……」

 侍女が持ってきたのは花束だった。先ほど摘み取ったばかりなのだろうというほどに瑞々しいその花にカードが添えられている。

 麗しい姫君へ、と書かれたそれには、短い一文があるのみだ。


 貴女と出会えた幸運に感謝を、とそれだけ書いてある。


 ひくり、とアドルバードは頬を引きつらせた。行動が早い。びっくりするほど早い。先ほど謁見を終えたばかりだというのに、早速口説いてくるこの素早さはもはや呆れを通り越して賞賛に値する。

「奴は女好きで間違いない」

「そのようですね」

 これは相当女に慣れてなければできない芸当だ。百歩譲って国王としてリノルアースの訪問を喜んでいるのなら、この意味深で甘ったるいメッセージは送らないだろう。

「……こちらの出方を伺っているようにも思えますけど、ね」

 カードに目を落としながらレイは極めて冷静に分析している。

「花と甘い言葉に喜んでほいほい誘いにのるお馬鹿なお姫様かそうじゃないかって? 本物のリノルだったらふざけんなって横っ面引っ叩かれているぞ」

 リノルアースは馬鹿ではない。頭の回転はアドルバードより早いくらいだ。舐めてんのかと怒りに任せてアルシザス王を平手打ちする姿が容易に目に浮かぶ。

「この場にいるリノルアース様があなたで良かったですね。外交問題を作らずに済みます」

「……ソウデスネ」

 自分で言ってからそんなことが現実に起きていたら大問題になっていた、とアドルバードは青ざめた。あの苛烈な妹ならやりかねない。いや、絶対やる。外交問題を作って分が悪いのはこちらのほうだ。

「向こうは駆け引きを楽しんでいるつもりなんでしょう。ありがとうございますとだけ伝えておいてください」

 向こうの機嫌を損ねるのはまずい。何しろアルシザスに到着したばかりで、滞在期間はまだたっぷり残っているのだ。レイの指示を受けた侍女は「ではそのように」と安心した顔で下がる。その表情からは絶大な信頼が汲み取れた。

「……レイってなんか、こういうの慣れているな」

 じとりと己の騎士を見つめながらアドルバードが小さく吐き出した声は、しっかりレイの耳に届いていたらしい。

「こういうの、ですか?」

「恋の駆け引き的な……おまえ、間違っても夜に異性と二人きりになんてなるなよ!? いやむしろ異性じゃなくてもなるべくなるなよ!?」

 腕が立つ騎士であるがゆえに、レイは自分のことに関すると途端に無頓着になる。世の中何があるかわかったもんじゃないし、ましてここは異国だ。薬でも盛られてしまえばいかに強い騎士でも抵抗はできない。アドルバードに対する過保護さをもう少し自分に反映させてほしい。

「なんでそういう話になるんですか」

「おまえが老若男女魅了して歩く美形だってことを忘れているからだよ!」

 呆れた表情のレイにアドルバードはしつこいくらいに釘を刺す。

「それはそっくりそのままお返ししますよ、アドル様。間違っても男性と二人きりにならないでくださいね。押し倒されて男とバレたら大変ですから」

「誰がなるか!」

 男に押し倒されるとか言わないでほしい。うっかり想像してしまって吐き気がした。

 騒ぎすぎてくらりと眩暈がする。部屋の中は涼しく感じられるような造りになっているものの、涼しい、の基準がそもそも北国育ちのアドルバードとは違う。

「ほら、ちゃんと休んでください。晩餐まではまだ時間がありますから」

 ううう、と唸りながら長椅子にもたれるアドルバードにレイはため息を吐きながら再び水を差し出す。さっぱりとしたそれは喉を潤していった。

 コップの水をちびちびと飲むアドルバードの傍らでレイは濡れた手巾でアドルバードの首筋を冷やした。冷たくて気持ちいい。

「……アドル様、本当に間違っても男性の前で気を抜かないでくださいね」

「しつこいな。さすがに俺だって油断しないって」

 男に襲われるのはごめんだし、妙な噂になったりしたら帰国後リノルアースに殺される。

「そうしてください。今その格好で気が抜けていると誘っているようにしか見えませんから」

「……うん?」

 苦笑しながらレイが言った言葉の最後のほうがよく聞き取れなかったので首を傾げるが、レイがもう一度言うことはなかった。



 休息をとったことでアドルバードの気力も幾分か回復した。再び重い鬘をかぶり、晩餐用のドレスに着替える。日が暮れて気温もわずかに下がったようだ。

 昼間は可憐さを強調するように咲き初めの薔薇のような薄紅のドレスだったが、晩餐用のドレスは大人びたものになる。深紅のドレスはアドルバードの髪によく映えた。

 なんだってドレスや靴やら装飾品やらがこんなに荷物の中にあるんだと男のアドルバードは首を傾げたが、リノルアース曰く綺麗に着飾ることは女の武装なのだそうだ。今のアドルバードはリノルアース姫としてここにいるのだから女として武装してやろうではないか。

「……コルセットがきつくて食事どころじゃないけどな」

様」

 ぼそりと文句を零したところで、耳ざといレイに釘を刺される。

 アドルバードはにっこりとリノルアースお得意の笑顔を浮かべて「これでいいだろこのやろう」とレイを見た。

「現状、アルシザス王がどんな人物かは把握しきれていません。穏便に、何事もなく、かつ暗に提示された求婚を断って帰るにはどのような手が有効か探る必要があります」

「すっげぇ無理難題押し付けられた気がする」

「リノル様?」

「……何でもないわレイ。それで、私はどうすればいい?」

「腹の探り合いはあなたの苦手分野ですからね」

 期待してないと言外に言われている気がする。すぐ考えていることが顔に出るアドルバードが見事にリノルアースに化けているだけでも褒めてくれていいと思うのだが。

「笑顔を絶やさず、理想の姫君を演じていていただければ十分ですよ」

 間違っても本物のリノルアースを演じろと言わないレイにアドルバードも笑った。

(理想の姫君、ねぇ……)

「ま、やるからにはしっかりやるよ」

 エスコートするように差し出されたレイの手を取り、アドルバードはレイを見上げた。リノル様、という注意が返ってこないが深呼吸ののちアドルバードはリノルアース姫の仮面をかぶる。緊張するのは仕方ない。まだ十五歳だったアドルバードに外交経験はなく、初めての他国訪問がこれだ。

 アドルバードの緊張が伝わったのか、レイが囁くように「大丈夫ですよ」と告げた。

「あなたを守るのもフォローするのも、私の仕事ですから」

 迷いなくきっぱりと言い切るレイに、アドルバードの強張った身体がほどける。ふ、と笑ってアドルバードは前を向いた。


「さて、腹の探り合いに行きますか」


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