06:俺だって、おまえを守れるんだからな


 ――二年前。

 アドルバードはまだ十三歳で、レイは十五歳になったばかりの頃だった。その頃彼女は騎士見習いとして訓練に参加したり、アドルバードたちの護衛を務めたりしていた。もともと、物心ついた頃から世話役として双子と一緒に過ごすことが多かった彼女は当然のようにアドルバードを守る側にまわった。

 けれど、それでも彼女は子爵家の令嬢だ。

 うつくしい銀髪は今のように短くなく、背中を覆い隠すほど長かった。あの頃は彼女を男だなんて見間違える者はいなかった。

 当然、うつくしい彼女にはたくさんの求婚が舞い込んできた。

 子爵家とはいえ彼女の父は国王に才能を買われて王妃の騎士を務め、王国騎士団長も兼任している――ハウゼンランドの剣聖けんせい、なんて呼ばれる国内外で有名な騎士だ。国王夫妻の信頼の厚い騎士の娘、かつ次代の王であるアドルバードにも慕われている。国内の貴族としては実に魅力的な物件だった。

 数多の縁談は断り続けるのも難しく、しかしレイにとってごく普通の令嬢として生きることは苦痛だった。幼い頃から父の背を見て剣を握っていた彼女からすれば、剣を奪われる人生などありえない。

 レイ・バウアーにとって剣を握ることは息をすることと同義で、それを奪われてしまえば彼女という花はみるみるうちに枯れてしまうだろう。


「……レイ? 大丈夫か?」

 アドルバードの目にも彼女の疲労は滲んで見えた。少し痩せたようだし、目の下には隈がある。いつもは首の後ろで一つに束ねているはずの髪が、結われることなくさらりと流れていた。その様はとても綺麗でアドルバードもレイの様子が普段通りであるのなら、素直に見惚れていただろう。

 アドルバードは教師に出された課題の山と向き合いながら、ちょうど二人きりになったタイミングでレイに問いかけた。彼女はアドルバードの課題を手伝いながらこっそりと溜息を吐き出していたところだった。

「……大丈夫ですよ」

 レイは微苦笑し、その口から当然のように嘘をついた。質問の仕方を間違えた、とアドルバードは内心で舌打ちをする。大丈夫かと問いかけて大丈夫じゃないなんて言えるような人ではないのだ、この人は。

 逃げるように立ち上がろうとしたレイの腕を掴む。

「大丈夫じゃないだろ」

 きっぱりとアドルバードが言い返すと、レイは驚いたように目を丸くした。

「俺を騙せるなんて思うなよ。何年一緒にいると思ってんだ。大丈夫だって言っていても、全然大丈夫じゃないことくらいはわかるんだからな」

 レイは小さくアドル様、と呟いた。心細げでどこか甘やかな響きの声にアドルバードが息を呑む。思わず掴んでいたレイの腕を離してしまった。

 十三歳と、十五歳。二人ともまだ子どもだった。その響きの持つ破壊力の意味を知らないまま、アドルバードはレイから目が離せなくなった。

 一拍のち。

 レイは表情を一変させた。獲物を狩る獣のように鋭く、罪人の首を切り落とす処刑人のように険しい顔で、腰から下げている剣を抜いた。

 アドルバードが止める暇もないほど素早く、彼女は背中を覆ううつくしい銀髪を一掴みにして、そして残酷なほど迷いなく、長い髪は切り捨てられた。

 はらりはらりと、流星のようにレイの銀髪が散っていく。そのうつくしさにアドルバードが言葉を紡ぐ暇もなく、レイはアドルバードの足元に跪いていた。

「この身の全てをかけて、あなたをお守りいたします。様」

 レイの、肩にも届かないほど短くなった髪が揺れていた。物語の騎士のように跪き剣を掲げる彼女を見て、アドルバードは何が起きているのかわからなかった。

 ただ一つ、わかるのは、彼女がアドルバードを愛称ではなく呼ぶのは本気で怒っているときか、真剣なときだけだということで。

(……ああ、そうか)


 ――彼女は、本気なのか。


 ぐっと唇を噛み締め、アドルバードは掲げられたレイの剣を受け取った。

「……守られてばかりだと思うなよ」

 剣の重みを確かに感じながらアドルバードはレイを見下ろす。レイの青い瞳がアドルバードを見上げていた。ほっと安堵したような色が宿っていることに気づいて、彼女も緊張していたのだとわかる。

「俺だって、おまえを守れるんだからな」



 ひやりと冷たい気配が額や頬を撫でていくのが心地いい。

 ふ、とアドルバードが目を覚ますと、心配そうにこちらを覗き込むレイと目があった。その手には濡れた手巾ハンカチがあり、先程から感じていた冷たさはそれだろうと気づく。

「……あれ?」

 横に寝かせられているアドルバードの目に映るのは天井だ。おかしい。中庭を散歩していたはずなのに、とアドルバードは何度か瞬きをした。

「目が覚めましたか? 吐き気や眩暈は?」

 起き上がろうとするアドルバードを支えるように背中に手を添えて、レイは矢継ぎ早に問いかけてくる。アドルバードは「いや」と答えながら見知らぬ部屋のベッドで寝かせられていたらしい、と理解した。

(ああ、俺もしかして倒れたのか……)

 健康が取り柄だったのに、気候の違いでこうも体調を崩すものなのかとアドルバードは首を傾げた。

「おそらく熱中症でしょうね」

 飲めますか、とレイに差し出された水を受け取りながら喉を潤す。冷たいそれは身体の内側から冷やしていくようだった。すぐにコップの水を飲みほして、アドルバードはほぅ、と息を吐き出す。なるほど、熱中症なんてハウゼンランドでは縁のない話だ。

「……具合は大丈夫かね、

「ええ、はい大丈夫です……ってえええ!?」

 本来の名前を呼ばれてつい素で返事をしてしまった。驚いて顔を向けた先には、カルヴァが無表情で腕を組み立っている。

(え、いや、でもなんで!? かつらがとれた!? とれてない!)

 自分の頭を触って鬘の存在を確認したり、ドレスが乱れていないか見てみるが異変はない。自分が意識を失っている間に何が起きたのかわかるはずもなく、アドルバードは目を白黒させていた。

「バレてしまいました、アドルバード様」

「なんで!?」

 あっさりとカルヴァに正体が知られたことを報告するレイにアドルバードは食いつく。絶対にバレないと断言したのはレイだ。

「男か女かくらい触ればわかるだろう」

 何を馬鹿なことを言っているんだ、と言いたげなカルヴァにアドルバードは身を守るようにシーツを引っ張り上げて叫ぶ。

「どこ触りやがった!」

「変態を見るような目でこちらを見ないでほしいな。男女で骨格は違うのだからわかって当然だろう? 君が倒れたところを抱きとめたがすぐに騎士殿がきたよ」

 いやいや骨格でそんなにはっきりわかるわけないと思う、とアドルバードは顔をひきつらせる。レイがすぐに駆けつけてきたらしいということは意識を失う直前の記憶からもわかるのでカルヴァの言っていることも間違いではないのだろう。

(よかった! このクズ野郎に部屋に連れ込まれたとかじゃなくて! 本当によかった!)

 妹の貞操の危機とあって一肌脱いだものの、自分が男に襲われたなんて笑い話にもならない。

「あとは、そうだな。、かな」

「へ?」

「ハウゼンランドの王子に剣の誓いをたてた騎士がいる、と聞いたことがあるが姫だとは聞いていない。まして、ここ数十年どこかの王族へ誓いを立てた騎士は他にいないだろう」

(し、しまったあああああ!)

 ハウゼンランドのことなどアルシザスまで届いていないだろうと完全に油断していた。

「アドル様……」

 呆れたようなレイの声にいやだって、と言い訳したいところだが、どう考えてもアドルバードのミスだ。

「いやしかし見た目だけは完璧だな。すっかり騙されるところだった」

「それ、あんまり嬉しくないんですけどね……」

 たいそう感心した様子のカルヴァにアドルバードは肩を落としながらため息を吐き出した。

「まずは、謝罪を。申し訳ありませんでした、国王陛下」

 ベッドからおりてきちんと頭を下げようとするアドルバードを、カルヴァが片手で制する。

「かまわん。男だろうが目の保養になったことに変わりないしな!」

(馬鹿なのか大物なのかわからない人だなこいつ……)

 言葉に甘えベッドの上で居住まいを正しながらアドルバードはカルヴァを見る。

「改めまして、ハウゼンランドより参りました。リノルアースの兄、アドルバードと申します。妹に代わりこうしてアルシザスへやって参りました」

「それで、なぜ王子の君がやって来たのかな。招待したのは姫だったはずだが」

 ここでリノルアースは体調を崩して――なんて咄嗟に言い訳でもすればよかったのかもしれない。けれどもこれ以上嘘を重ねるのは良心的な人間であるアドルバードには無理な話だった。

「一言で申し上げれば妹のわがままとしか……いや、策略? 嫌がらせ?」

 馬鹿正直に理由と説明しようとして、アドルバード自身もどうしてこんなことになっているのかわからなくなってきた。頭をひねるアドルバードを見てカルヴァも同情の目を向けてくる。

「……君は妹君にどれだけ嫌われているんだね」

 一般的に実の兄に女装なんてさせて自分の身代わりとして利用し尽くす――というのは嫌われているということになるんだろうか。アドルバードもそんなことを他人がやっていればそう判断するかもしれない。

「嫌われてはいないと……思うんですけど……あれ? 俺って嫌われているのかな?」

「リノル様のあれは歪んだ愛情表現だと思いますよ」

「だよな……」

 迷走し始めたところでレイがうまく軌道修正してくれる。捻くれ者の妹の考えていることはアドルバードですらわかりにくいが、嫌がらせだとすればもっと徹底的に踏み潰されるはずだ。

「妹も、今までほとんど交流のなかったアルシザスからの、遠回しの求婚ともとれる招待に困ったんだと思います。まぁ、あんなのでもリノルはまだ十五歳の女の子なので」

 そんなにか弱い性格はしていないけど――という本音は飲み込んで、アドルバードは自分なりに解釈した理由を告げる。カルヴァは「ふむ」と頷きながら納得した顔をしていた。

「こちらとしては噂の姫君を見てみたかったのだが、まさか本当に招待に応じるとは思わなかったよ。随分肝の座ったお嬢さんだと思っていたら……なるほどな」

「すみません中身が男で」

 噂の姫君と同じ顔ではあるんですけど、とアドルバードが苦笑する。

「脳が混乱してくるくらいに女にしか見えないが……ひとまず君にはこのままリノルアース姫として滞在してもらおう。俄然ハウゼンランドに興味が湧いてきたよ。君のような愉快な王子に、一癖ある姫君。しかも皆うつくしいときた。うつくしい人間は人類の宝だからな!」

 胸を張って言い切るカルヴァにアドルバードはにっこりと微笑みながら結論付けた。

(わかった、こいつアホだ)



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