16:いい教訓になったな?

 夜空には星々が瞬いていて、月がやわらかく光を地上へと落としている。夜もすっかり更けていて、今からではとても街には入れないし、宿屋に泊まることもできない。男から説明されるまでもなく理解していたアドルバードは、あれからもう一時間ほど馬を走らせて休むことにした。

 ろくな準備もないアドルバードは男に頼るしかないのだが、やはりというべきか男は野宿に手慣れた様子で火をおこしていた。

「んで、

「……クロ、とは?」

 明らかに男のほうを見てアドルバードが言った呼び名らしき言葉に、男はわずかに眉をあげた。

「あんたの呼び名。嫌なら名前を教えろ」

 黒い服装だからクロ、というのはなんとも安直だが、おまえだのあんただのとしか呼べないのは不便だ。少なくとも王都まではこいつと一緒なのである。なのでアドルバードは勝手にクロと名付けた。

「……セルウスです」

 しばしの葛藤のあとで、男の口から絞り出すように名前が吐き出された。アドルバードは満足げに笑って「セルウス」と繰り返した。

「ようやく白状したな。短い間だろうけどよろしく、セルウス」

「……はぁ」

 男は諦めたように溜息を吐き出して携帯食を取り出すと、半分に割ってアドルバードに差し出す。

 アドルバードが口にするより先にセルウスは一口食べていて、おそらく彼なりに毒は入っていないという主張なのだろうと思う。

(そんなことしなくても、別に毒入りかなんて疑わないけど)

 これでも人を見る目はある――と思いたい。野宿に慣れていないアドルバードのために落ち葉をかき集め、手伝う暇も与えずに火を熾して、その上食料まで与えられているのに悪人だなんて思えるだろうか。

(まぁだからお人よしって言われるんだろうけどさ……)

 もごもごと味気のない携帯食を食べながらアドルバードは心の内で零した。

 ――アドルは少し簡単に信用しすぎるんじゃないの? 未来の王様がそれじゃあちょっと困るわよ。――と言っていたのはリノルアースである。アドルバードとしては本当に信用ならない人間は警戒しているし、極悪人は必ず更生するなんて楽観視しているわけではない。けれどこうして実の妹に使われて、その上でカルヴァに利用されても心の底から怒る気になれないのだからお人よしなのかもしれない。


 かさりと風が葉を揺らす。

 アドルバードはそっとナイフに手を伸ばしながらセルウスを見た。


「武器はそれと短剣だけですか?」

「さすがに長剣をドレスのなかに隠せないだろ」

 短時間なら可能かもしれないが、アドルバードの場合はリノルアース姫になりきることが目的だったので動きが不自然になるようなものは隠し持つわけにいかなかった。これでもナイフが二本に短剣が一本、それなりに装備していたと褒めてほしい。

「無理そうなら隠れていてくださってもかまいませんが」

 アドルバードは第三者の気配に聡い。その存在感を意図して消している者の気配にさえ気づくのだから、そうでない者ならばなおさらである。――ようやく追いついた追手の気配に気づかないはずがないのだ。

「甘く見るなよ」

 ふん、と鼻で笑ってアドルバードは短剣を構えた。

 アドルバードとセルウスを囲む男は五人。うち一人はアドルバードが部屋でぐるぐる巻きにしてきた男だった。

「まさかリノルアース姫が偽者だったとは……計画があの王に知られていたということか……?」

 髪の短くなった元リノルアース姫を見て男が苦々しく呟いた。どうやらありがたいことに男たちは攫ってきたお姫様がはじめから替え玉だったのではなく、自分たちの思惑を悟られて用意された偽者だったと思っているらしい。

(いや、もともとリノルアース姫は俺だったんだけどさ)

「本物は今頃優雅にお茶でも飲んでるんじゃないかな」

 皮肉にも現状は、しっかりちゃっかり本物が王宮にいるわけなので男たちの勘違いも勘違いと言えなくなっている。

「偽者だけ捕まえろ、利用価値はあるだろう」

 ぐるぐる巻きにされた男が血走った目でアドルバードを見ていた。

「顎にくらった一撃は平気だったか?」

 挑発するようにアドルバードが笑うと、男が剣を振り上げて襲い掛かってくる。アドルバードは小さな身体をかがめで男の懐に飛び込むと、手に握っている短剣はそのまま肘で無防備になっている鳩尾を殴る。ぐ、と男が呻いたところでアドルバードは男の長剣を短剣で弾き飛ばした。

 そのまま転がるようにして男から距離を取ると、弾き飛ばした剣を拾い上げる。


「女顔だからって弱いとは限らないんだよ。いい教訓になったな?」


 ニッと笑ってアドルバードは切りかかってくる男たちの剣を受け止めた。ちょうどそのときセルウスが一人を切り倒したところだった。男たちは小柄なアドルバードに集まる。見た目からいっても実力からいってもアドルバードのほうが弱いと思われているんだろう。

(俺のほうが弱いのはあたっているけどさ! くっそむかつく!)

 慣れない剣はアドルバードには少し重く、わずかに切っ先を狂わせる。男の剣先がアドルバードの肩をかすめるが、シャツをわずかに切る程度だった。

(ちょっときついな――どうする?)

 アドルバードの額から嫌な汗が流れ落ちる。緊迫したこの状況を打破する鍵を探しながら、また振りかざされた剣を受け止めた時だった。


「アドルバード様!」


 アドルバードの目の前の男が一人、倒れる。

 馬に乗ったその人はおそらく何時間も駆けてきたのだろう、息を切らしながらも的確に剣を振るう。セルウスがまた一人を地に伏せさせたところであたりは沈黙した。追いかけてきた五人の男たちは多少怪我をしているものの、死んではいないだろう。


「――ルイ」


 馬からおりた騎士を見て、アドルバードは驚きも含ませながらその名を呼んだ。

(リノルが来ているってことは、そりゃルイもいるか……)

 気づけばもう一人、セルウスと似た服装の男がいる。ルイを案内してきた男だろうなと納得する。何度も体格の違う男の剣を受け止め続けたせいか、アドルバードの手はわずかに痺れていた。

「お怪我は?」

「ない。助かった」

 状況を飲み込みながらアドルバードは短く答えた。肺にたまっていた緊張した息が吐き出されて、強張っていた身体から力が抜ける。異国で見知らぬ人間しかいない状況というのは、思っていたよりもアドルバードの負担になっていたのかもしれない。

「すみません、姉さんじゃなくて」

「……うるさい、なにも言ってないだろうが」

 アドルバードが唇を尖らせて言い返したが、否定はできなかった。

 助けが来たと思った瞬間、アドルバードが呼ぼうとしたのは自分の騎士の名前で、しかし目にした現実と想像していたものが違うと認識した途端に頭が真っ白になったのは事実である。

(会いたかったんだよ、そりゃ、会いたかったんだ)

 しかたないじゃないか、とアドルバードは言い訳するように繰り返して髪を掻いた。

(こんなにずっとレイに会えないなんて、今までなかったんだから。会いたくなるのは、当たり前じゃないか)


『……そんなに……いえ、なんでもありません』


 最後に会ったレイの顔を思い出すたびに、胸は痛む。どうしてまたこんなタイミングで誘拐されるんだよ、と恨みがましく思ったものだ。本当なら今頃、ちゃんと彼女に謝れているはずだったのに。

 城にリノルアース姫がいる以上、レイがその場を離れるわけにはいかない。頭ではルイがやってきた理由は理解している。


 それでも彼女の顔を見て安心したかった。

 安心させてやりたかった。

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