25:美談になるなら悪くはないな

 男たちは衛兵によって拘束され、怯えきった招待客たちはカルヴァの秘書官が誘導して別室へと案内されていく。賑わいはあっという間に消え去り、その場にあるのは男たちを拘束する衛兵たちの声ばかりだ。華やかだったその場は、土足で踏みにじられて汚されてしまったかのように思える。

 レイたちによって切り伏せられた男たちの他に、怪我人はいない。せいぜい最初の騒動に驚いて慌てた貴婦人たちのなかで、転んで擦り傷を作った者はが数名いる程度だ。

「バーグラスをはじめ、カナルベリー、ラドーニ、サドニス、カルナド、ジュルゴーニ……まったく、嘆かわしいな。まだまだいる」

 拘束された男たちを見ながらカルヴァは残念そうにその名を呟いていた。

 バーグラス卿にしてみれば、こんな結末は予想だにしていなかっただろう。おそらくかなり前から計画をたて、十五人の仲間を連れてやってきたというのに、標的としたカルヴァには傷一つ負わせることができなかったのだ。完全な敗北と言っていい。

「なぜだ、なぜ……こんなはずでは」

 ぶつぶつと呟きながらバーグラス卿は一見大人しく衛兵に縄をかけられようとしているように見えた。思い描いていた計画は潰え、茫然としている。

 それは、あっけない顚末に思えた。

「ああああぁぁああぁぁ!」

 しかしバーグラス卿は突如大声をあげながら衛兵に体当たりする。拘束しようとしていた縄はバーグラス卿を捕らえることは能わず、無惨に床に落ちた。

 破れかぶれのバーグラス卿が向かったのは、避難を誘導していた秘書官の女性のもとだった。護衛のつくリノルアースやカルヴァを狙うことは現実的に不可能で、この会場のなかで無防備でかつ彼が容易に御すことができるのが彼女だけだったのだろう。

 しかし――


「エネロア!」


 カルヴァの焦りを含んだ声が、貫くように響き渡る。これまで平静だった彼が今日初めて表情を変えた。

 そのことにアドルバードは気づいた。その声に滲む感情に――気づいてしまった。

(もしかして、あの人が――)

 あれほど鬱陶しくカルヴァが語っていた、彼の想い人だというのだろうか。推測はすぐに確信に変わった。カルヴァの顔を見れば、一目瞭然だった。

 咄嗟にバーグラス卿を止めようと懐を探るが、投げられるようなナイフもなければ、使えそうな短剣は先ほど使ってしまったあとだった。ちっと短く舌打ちする。


「……そこまで堕ちたか、バーグラス」


 唸るような低いカルヴァの声は、まるで威嚇する獣のようだった。衛兵の手も間に合わず、バーグラス卿は秘書官の女性を――エネロアを盾にとる。エネロアの背後から腕を回し、自分の正面に立たせる。転がっていた剣の半分は回収されたあとだったのが不幸中の幸いだったと思うべきなのだろうが、自暴自棄となった男が女性の細い首を絞めるのに武器は必要ないだろう。

「ここまで私を堕としたのはあなたですよ、陛下」

 バーグラス卿の腕がエネロアの首を圧迫すると、彼女は苦しげに顔を歪ませた。

「さぁ陛下、この女の命とご自身の命――どちらを救いますか」

 エネロアがかすかな酸素を求めて喘ぐと、カルヴァは奥歯を噛み締め眉を寄せる。そしてバーグラス卿を睨みつけると決意したように口を開いた。

「……おまえが欲しいのは私の命だろう、早くその汚い手をどけろ」

(おい、まさか――)

 アドルバードは息を呑んだ。

 ただの秘書官一人の命と、国王の命。正しく国王であるのなら、天秤にかけるまでもない。けれどカルヴァは、国王である前に一人の青年だった。

「……な、にを」

 エネロアが苦しげに声を吐き出す。しかしその瞳はカルヴァを睨みつけるような強い意志を感じさせた。

「女性のために自らの命を投げ出すとは、後世まで語り継がれるでしょうね……!」

「――美談になるなら悪くはないな」

 カルヴァは微苦笑し、落ちている剣を拾い上げると袖口で刃についた血を拭った。まるで死にゆく前の儀式めいていてアドルバードは狼狽えた。アルシザスの衛兵たちにも動揺が広がっている。

「なに、を、馬鹿なことを……!」

 わずかに緩んだ拘束の隙をつき、エネロアはかすれた声を張り上げて叫んだ。

「馬鹿とはひどいな。君を救おうとしているのに」

 まるで愛を囁くように微笑みながらカルヴァは告げるが、エネロアはそんな言葉にますます怒りを膨らませた。

「あなたの頭にはごみ屑でも詰まっているんですか。それとも砂ですか――ああ腐って全部なくなりましたか! 一国の王ともあろう方が何を情けない――っん」

「黙れ! 早くしろ! 早く死ね! それとも女を先に死なせるか!」

 バーグラス卿が血走った目を見開きながら叫んだ。太い腕がエネロアの首を絞めつける。カルヴァは表情を曇らせ、剣を握りしめた。


「――アドル様、短剣は持っていませんか」


 今にも自分の首を切り裂くだろうか、と思わせるカルヴァの動向に周囲は注視している。バーグラス卿の目はその瞬間を逃すまいとカルヴァに張り付いていた。そんななかで、レイがそっとアドルバードに話しかける。

「……さっき使った。投げられるようなナイフは仕込んでこなかったし」

 まさか会場内で遠距離での攻撃が必要になるとは思わなかったのだ。会場には多く人が集まるし、短剣一本もあれば十分だろうと。

「私のドレスの下にナイフが二本あるんですが……私の後ろに隠れながらなら取れますか?」

「は!?」

 思わずアドルバードは声を上げそうになって慌てて口を塞いだ。だがとても冷静にはなれそうにない。

(ドレスの下ってドレスの下だろ!?)

 青少年なら誰だって動揺する。まして片思いの相手ともなればなおさらである。

「……難しいですか?」

「あー……えー……隠れられる、とは、思うけど」

 レイは純粋にこの状況を打破するために、アドルバードにナイフを取れと言っている。彼女自身がドレスを捲り上げていたら当然バーグラス卿に気づかれてしまうだろうし、そうなればエネロアの命が危うい。

「右足の太腿にありますから、それを取ってください」

(なんの拷問だよ……!)

 心の中で悲鳴を上げながらアドルバードはこっそりレイの背後にまわる。ドレスの中に頭を突っ込むわけにもいかないので右手だけを差し込んだ。ちらりと覗く白い脚がなまめかしく、こんな状況だというのに心臓がばくばくと鳴っていた。

(――あった)

 指先に硬い感触が当たり、表面をなぞってナイフであることを確認する。すぐに太腿に固定している金具を外して取り出した。

「――いけますね?」

 頭上からレイの声が落ちてくる。それは問いではなく、確認だった。

 アドルバードとレイのいる位置からバーグラス卿まではそう遠くない。カルヴァと睨みあっている向こう側にリノルアースとルイがいた。

「当然だろ」

 アドルバードは幼い頃から小柄だった。もちろんこれから成長期がくると信じているけれど、同年の少年たちにくらべて背が低いのは疑いようもない事実で、体格の差は剣術においても不利になる。

 もちろん剣の稽古を怠けたことはないが、自衛の術として短剣やナイフを投げる技も磨いておくといいと助言してきたのはレイの父であった。以来アドルバードは練習を欠かしたことはない。

 ナイフを二本。それだけでもあれば十分だ。


「惚れた女のことくらい、自分の手で助け出せ!」


 アドルバードはそう叫ぶよりも早く、ナイフを一本投げる。それは真っ直ぐにバーグラス卿の肩に刺さった。アドルバードの位置から狙える範囲で、エネロアに当たる危険が最も遠い場所だった。

 ぐぁ、とバーグラス卿が痛みに顔を歪ませる。その隙にエネロアはバーグラス卿から離れた。守る盾のなくなった無防備な太腿にもう一本投げる。命中した。

 カルヴァはバーグラス卿の目の前に立っていた。

 膝をついたバーグラス卿を、冷たく見下ろしている。その顔に表情は一切なく、ハウゼンランドの雪ですら凍てついてしまいそうな静かな殺意だけがそこにあった。


「――大人しく捕らえられれば、命までは見逃してやったものを」


 それは冷酷な死刑宣告だった。


 その宣言に、ルイは咄嗟にリノルアースを抱きしめるようにその身体を――目を覆った。剣だこのある大きな手でリノルアースの耳を塞ぐ。人が斬り殺される瞬間を、見せてはならないと。その最後の断末魔を聞かせてはならないと。

 だって彼女は、まだ十五歳の少女で。

 こんなことがなければ人が本気で殺し合う場面など目にすることもなかっただろう。

「身内を殺し、古き慣習を殺し、臣下を殺す。おまえに王たる資格などない、いずれおまえはこの国を滅ぼすだろう――」

 バーグラス卿の叫びは、絶叫に変わる。


 ルイの腕の中で、リノルアースがびくりと震えた。


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