24:御機嫌よう、誘拐犯の皆様


 アドルバードが会場に向かって少し経った頃、ガチャリと扉が開いた。

 現れたのはもちろんリノルアースだ。その姿は言うまでもなく、先ほどまでアドルバードが着ていたものと同じドレス、同じ装飾品だ。けれどルイの目にはまったくの別人に見えた。

 金の髪はより艶やかで、白い肌は触れたくなるほど透き通っている。意志の強そうな瞳はまっすぐにルイを見上げてきていた。

「何ぼーっとしてんの? 行くわよ」

「はい」

 まるで人形が命を宿したかのようにも見えた一瞬ののち、いつもどおりのリノルアースにルイはほっと微笑み返した。アドルバードに代わってルイが差し出した手をリノルアースは当然のように重ねた。細く白い指先にどきっと心臓が鳴る。

 しかし、そんな昂揚感もすぐに消え去る。


「――リノルアース様」


 ルイが警戒するように名を呼ぶと、リノルアースは分かっていたかのように「そうね」と呟いた。その存在にリノルアース自身もとっくに気づいていたのだ。

「とっとと片づけてしまいなさい、ルイ。無粋な男は嫌いよ」

 凛とした声にルイは笑った。ルイが腰の剣に触れると同時に曲がり角からアルシザスの貴族の男が一人、現れた。

「――?」

「ええ、覚えた顔と同じですね」

 言うが早いか、ルイは剣を抜いた。その切っ先が男の喉元をとらえていた。男も剣を抜くつもりだったのだろう、柄に触れる寸前の手が震えている。


「さて、私になんの御用かしら?」


 艶然と微笑むリノルアースに、男は唇を震わせた。

「……どうしておまえがここにいる。姫は、姫は王宮にいないはずだ」

「面白い話ね。私は一歩も王宮の外には出ていないわよ?」

 嘘はひとつもついていない。リノルアースは王宮の外に出ていないのだから。

「替え玉か、小賢しい真似をしてくれる」

「その小賢しい真似に引っかかったのはそっちでしょ」

「どうせ――どうせあの王はもう終わりだ。そろそろ向こうで仲間たちがあの国王を玉座から引きずり下ろすだろう」

 男の発言に、リノルアースは眉を顰めた。

「……馬鹿もここまでくると愚かね。それはもう、小さな騒ぎじゃすまされない。立派な反逆よ」

 小国の姫を私欲のために誘拐した、それだけでも表沙汰になれば外交問題となる。だが王の命を狙うともなればそんなこととは比べものにもならない。

「それがどうした。北国の小国の姫にはわかるまい。南の国々は血で血を洗い、身内同士で牙をむきこの広大な国土を守り続けてきた。あの王もそうだ。叔父を殺し玉座に座っている」

 リノルアースとてカルヴァの即位の経緯を知らないわけではない。アルシザスを訪ねる以上、その国については勉強してきている。

 そうでなくとも、中央砂漠以南の国々では内乱が多いこということも、知っている。北方は小さな国々が散らばっているばかりだが、南はハウゼンランドの国土の何倍もあるような大国が並んでいる。それらの国の歴史は古いものから新しいものまで数多いが、穏便に玉座が禅譲されることは珍しい。

 父が子を殺し、子が父を殺し、兄と弟でたった一つの玉座を奪い合う。

「そうね、私には理解できないわ」

リノルアースはきっぱりと言い切った。

「小物が群がって王を引きずり下ろしたところで、誰がその代わりになれるっていうの? 小物は小物らしくしていればいいのよ」

「この小娘っ……!」

 男が突きつけられた剣を物ともせずリノルアースに食いかかろうとするが、その前にルイが男の腹に蹴りを入れた。崩れる男の足を容赦なく折る。人の骨が折れる音を、リノルアースは初めて聞いた。

「行きましょ、ルイ。もうが始まってるかもしれない」

「……大丈夫ですか?」

「何が?」

 平静を装うつもりの声が震えていることに、ルイですら気づいてしまう。けれどリノルアースは、それを気遣われることをよしとしないのだろう。

「……俺から離れないでくださいね」

 そう告げると、リノルアースの手を握った。子どものように、その小さな掌を握りしめて歩くのはエスコートと呼べるものではないが、リノルアースは何も言わなかった。



 悲鳴が聞こえた瞬間、レイは素早く青いドレスの裾を捲り上げた。白く長い脚が見えてアドルバードは動転し「は!?」と声をあげる。

 レイはそんな主人の反応はあっさりと無視して、ドレスの下に隠していた剣を抜く。一瞬だけ見えたすらりとした脚はすぐにまた隠されてしまった。

(……あ、ああ、剣か……)

 突然なんだと驚いたが、剣を片手に会場の様子を伺うレイを見て頭が冷えてくる。

「アドル様は――」

「俺も行く。ここにいたって安全ってわけではないだろ」

 レイの声にかぶせるように決断を口にすれば、彼女も異論は唱えない。

 会場の中ではグラスが割れ飛び散っていた。悲鳴をあげていた貴婦人たちは壁際に集まって温め合うかのように肩を寄せ合っている。

 カルヴァは動じていなかった。ただ冷たい目で、突如剣を抜きこの会場を荒らした男たちを見ている。

(リノルは……まだか)

 到着していないのは、まだ準備をしているからか、それともここに来るまでになにかあったのか。嫌な考えが浮かんでアドルバードはそれを振り払うように首を振った。

 カルヴァの周囲に、護衛はいない。

おそらくセルウスは姿が見えないだけでいるだろう。だが彼らのような者は奥の手だ。あまり手の内を見せないほうがいい。

 夜会の参加者であっただろう男たちは、皆手に剣を持っている。その中心にはバーグラス卿がいた。

「この日を待ちわびていました、陛下。あなたが息絶える日を」

「寝言は寝ていうものだバーグラス。よくもまぁ、こんなことを考えたものだな」

 カルヴァは呆れたように男たちを見回した。その目にはいつものような軽薄な雰囲気がない。獲物を狩る前の鷹のような目をしていた。

「あなたは王に相応しくない」

 吠えるようなバーグラス卿の叫びが会場に響き渡る。


「……では、あなたならば相応しいとでもおっしゃるの? 無関係のか弱い姫を連れ去ったような方が?」


 睨み合いのなかで、凛とした声が会場に落ちる。その声がまるで一滴の水のように広がり、人々は声の主を見つめた。

「……リノル!」

 無事だったのかと安堵する反面、それならば危険な場所にのこのこやってきてほしくはなかった――というのが兄としての本音である。


「御機嫌よう、誘拐犯の皆様。つい先ほども、無粋な男を寄越してくださいましたけど、あと最低でも三人はいなくては私の騎士は倒れませんよ?」


 ドレスの裾を持ち上げてリノルアースは優雅に挨拶してみせたが、男たちの顔色は悪い。怒りに震える者もいれば、計画どおりに進まない現実に不安を滲ませている者もいる。

 夜会に参加していた無関係の人間はリノルアースの口から出た誘拐、という言葉にざわめいていた。


「――随分と口達者な姫だ」


 バーグラス卿がその目に怒りを宿してリノルアースを睨みつける。ルイがリノルアースの姿を隠すように背にかばった。

「口は災いのもとになる、まさしく、あなた方はここで死ぬことになるのだから」

 バーグラス卿の声を合図に、男たちは剣を振り上げた。カルヴァに、そしてルイの守られるリノルアースに。アドルバードは上着の内側から短剣を取り出すと素早く投げた。短剣は一人の男の肩に刺さり、その手から剣が落ちた。

「レイ」

 言うまでもなく、レイはドレスを翻し駆けていた。青いドレスが男たちの中でひらりと舞う。

 アドルバードも剣を抜くとカルヴァのもとへ向かおうとする一人の足を斬る。その間にレイは三人、男を斬り伏せていた。

 誰もが目を疑っただろう。銀の髪が踊るように揺れるなか、レイの剣は無慈悲に男たちを斬っていく。レイは的確に急所を斬り、男たちは膝をつく。

 ルイは背後にかばうリノルアースに誰一人近づけさせることはなく、剣を受け止めては弾き返す。腕を、足を、自由に動き回れないように狙いは正確だった。

「さすが、と言うべきかな、騎士殿。見事な剣さばきだ」

「――恐れ入ります」

 男たちはおよそ十五人ほど、その半分以上が血を流し床に伏していて、その光景に残りの数人は戦意を喪失している。

 バーグラス卿だけが、拳を震わせその場に立ち尽くしていた。

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