21:お手をどうぞ?

 夜会のために用意されていたのは、十五歳の姫君に相応しい花びらのようなドレスだ。胸元の薄紅色は裾に向かうにつれて頬を染めるように色を濃くしていき、やわらかな生地は歩くたびにふわりふわりと揺れる。細い腰を強調するように絞られ、けれど胸元の露出はわずか、か細い鎖骨をちらりとみせる程度。耳飾りと首飾りは揃いの紅玉ルビーで、リノルアースの可憐さを邪魔しないように小ぶりなものだ。

 鏡に映るリノルアースはげっそりと顔を歪ませる。せっかくの愛らしい顔が台無しだ。


(……どこをどう見ても女にしか見えない……)


 侍女たちの手によって綺麗に結い上げられた髪にはドレスと同じ生地の幅広のリボンが赤みがかった金の髪をより華やかにする。金色の睫毛はその奥の青い瞳を見守るように陰を落とし、紅を塗られた唇は果実のように瑞々しい。

「うーん……本当はもうちょっと高さのある靴のほうが脚が綺麗なんだけど、私との身長差を考えると今のままのほうが無難ね」

「……脚ってドレスで見えないじゃん」

 ドレスは当然足元まで広がっている。見えるのはせいぜい白い靴だけで、脚が綺麗だのと悩むのは男のアドルバードとしては無駄に思えた。

「見えないところまで妥協しないのが立派な淑女レディってもんなのよ!」

(おまえが立派な淑女って言っても説得力が……)

 本当の淑女ならば兄を女装させるなんてしないし、侍女にふんして他国までついてきたりしない。

「ま、本物には敵わないけど合格点はあげるわ」

「……そりゃどうも」

 本物といっても顔は同じだろう、と思ったがせっかく上機嫌なリノルアースを怒らせるなんて馬鹿なことはしない。

 先に着替えて夜会の様子を確認してきたルイが戻ってくる。するとリノルアースはそちらを見て口を開いた。


「――ああ、おつかれルイ」

「……はい?」


 部屋に入ってすぐ、声をかけられたルイが目を丸くした。声をかけたのはアドルバード王子リノルアースである。

「それで? なんか変わったことはあった?」

「え、いや、特に今のところは妙な様子はないですけど……えーと、あれ? アドル様?」

(……リノルのやつまた遊んでいるなぁ)

 アドルバードの姿をしたリノルアースはごく自然に兄になりきっていた。ルイはリノルアースなのか本物なのかわからなくなって混乱している。

 リノルアースはちらりとアドルバードを見て合図してきた。おまえも話を合わせろ、と言いたいのだろう。

 アドルバードが今まで演じてきたのはあくまでも「理想のリノルアース姫」だ。愛らしく、淑やかで、間違ってもこんなお転婆ではない。ふぅ、とわざとらしくため息を吐き出してアドルバードはルイを見上げた。

「ちょっと、あんたまさか自分の主人がどっちかもわからないの?」

「……え? あれ?」

 ルイはアドルバードとリノルアースを交互に見比べては首を傾げている。飼い主がわからなくなって混乱した犬みたいだ。ルイの緑色の目がきょろきょろと忙しなく動いている。

 その光景に、ぷっと先に吹き出したのはアドルバードである。

「おっまえ……さすがに気づけよ。騎士としてどうなのそれ」

 悪ふざけをしたのはアドルバードたちだが、まんまと引っかかって冷静さを欠いてしまうのは騎士としていかがなものか。

「ちょっとアドル、勝手にやめないでよ。もうちょっと楽しみたかったのに」

 ぷくっと頬を膨らませるアドルバード王子は、リノルアースが拗ねたときの表情そのものだった。

「だってさすがにやりすぎたらかわいそうかなって」

「なんで俺で遊ぶんですか! 本気で困ったじゃないですか!」

 ようやくアドルバードとリノルアースにからかわれたのだとわかったルイが肩を怒らせている。しかしルイがいくら怒ったところで、リノルアースにはのんの効果もない。むしろ呆れたように自分の騎士を見ていた。

「あんたもまだまだねぇ……言っておくけどレイなら私たちが入れ替わっててもわかるわよ」

 双子が全力で騙そうとしてもレイには通用しないのだ。それは小さい頃に何度も挑んだので確かである。レイはより見分けがつきにくかった幼少期でさえ、一度たりとも双子を見間違えたことがない。そんなレイとルイを比べるのは酷だろう。

「物心つく前からお二人と一緒にいた姉さんと比べないでくださいよ……」

 がっくりを肩を落とすルイを慰めながらアドルバードは首を傾げた。

「でもそんなに混乱するほどか? 顔は似てるけどよくよく聞けば声は違うし」

 もちろん入れ替わっているときは意識的に似せてはいるけれど、男女の違いはあると思う。日頃から一緒にいる人間なら気づけるのではないだろうか、とアドルバードには不思議でたまらなかった。

「似てますよ……それにまさかリノル様が様が俺におつかれなんて言うとは思わないじゃないですか」

 だから困惑したのだ、ときっぱり言い切るルイにアドルバードはそんなに普段から虐げられているのか、と苦笑した。

「それはいくらなんでも……」

「私が労ってあげるほどの働きをしてるわけ?」

 つーんとリノルアースはそっぽを向いている。

(少しは労ってやれよ……)

 天邪鬼なリノルアースは身内になればなるほどその態度が顕著になる。わがままで、自分勝手で、けれど彼女なりに感謝はしているのだが、それを言葉にすることは滅多にない。特に男には甘い飴を与えることはなく、常日頃から厳しい。

「……そりゃ、リノル様も自分の騎士にするなら姉さんのほうがよかったんでしょうけどね……ぃた!」

 ルイがふて腐れたように呟くと、リノルアースは手近にあった櫛を投げつけた。見事にルイの頭に命中する。


「……あんたは百回くらい頭を強打してくればいいんだわ」


 低い声とともに、滲み出るような怒りが部屋中に広がっていく。アドルバードはぞくりと肩を震わせたが、怒りを向けられている張本人は櫛が命中した頭をさすりながら涙目で訴えた。

「百回って……死にますからそれ!」

「――は?」

 氷のように冷ややかな声と眼差しに、ルイが硬直した。

 見た目はアドルバードのままなのでこれがまた奇妙な光景になっている。アドルバード自身でさえ俺が怒ったらこんな風に見えるのかと思いつつ、ここまでの迫力はないだろうなと黄昏ていた。

「……どうしてくれんだよせっかく上機嫌だったのに一気に急降下だよ」

 もうそろそろ夜会の会場へ向かいたいところだ。全員準備は出来ている。

「え、ええ……俺のせいですか?」

「おまえ以外に誰がいる」

 アドルバードがきっぱりと言い切ってルイを睨み付けるとルイは困ったように「えぇ……」と零した。それから少しうんうん唸ってから名案でも浮かんだのだろうか、ぽん、と手を叩く。

「じゃあ、こうしましょうリノル様。ハウゼンランドに帰ったらなんでもひとつ言うことききますから、だから今は機嫌を直してくれませんか……?」

(それいつもと変わらないんじゃ……)

 ルイがリノルアースの言いなりなのはいつものことだ。そんなものでは交換条件にもならないだろう、とアドルバードは思ったのだが。

「……なんでも?」

 リノルアースの青い目が伺うようにルイを見た。

「はい、なんでも」

 ルイが頷いたのを確認すると、リノルアースはにっこりと笑った。氷点下まで下がっていたリノルアースの機嫌がみるみるうちにあがっていく。

「なら許してあげる。さ、そろそろ行かないと」

(現金なやつだなぁ……)

 そしてリノルアースはルイにいったいなにをやらせるつもりなのだろう。本人はリノルアースの機嫌が戻ったことにほっとしているようだが、自分の未来の心配をしたほうがよいのではないか。

「ちゃんとエスコートしてくれよ?」

 冗談交じりにアドルバードが笑いかけると、リノルアースは不敵に笑って優雅に手を差し出した。その目が誰に言っているんだ、と自信を滲ませている。


「お手をどうぞ? お兄様」


 アドルバードは満足げに微笑み返してその手を取り、ドレスの裾をさばき立ち上がる。華やかなドレスが、花ひらくように揺れていた。

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