22:ご褒美ってこれか……!

 本来、アドルバードとリノルアースが共に式典や夜会などに参加するときは揃いの衣装であることが多い。しかし今回は薄紅から真紅へと移り変わるリノルアースのドレスと比べ、アドルバードの衣装はいささか地味だった。

 深い緑色の衣装は、さながらハウゼンランドに広がる針葉樹の森のようにしっとりとしている。


(もともとリノルはこっちについて来るつもりで、があとから来ることになるのも計画のうちだったんだよな。この服だってリノルが用意していたんだし――)


 それならば、なぜアドルバード王子の衣装は同じ色合いのものではないのだろう。アドルバードの登場が予定外なら納得できるのだが、リノルアースにとっては予定通りに進んでいるはずなのだ。

「――今回の主役はあくまでリノルアース姫なの。アドルバード王子わたしあんたの引き立て役になれればいいのよ」

 まるでアドルバードの心を見透かすように、エスコートしながらリノルアースが小声で告げてきた。悔しいことにそつなくエスコートされていてダメ出しするような隙はない。


 会場に一歩足を踏み入れた途端に、二人は視線を独占した。

 やわらかく輝く金の髪は、時折朝焼けのように赤みを帯びて金の光を返す。ハウゼンランドの新雪のように白い肌はなめらかで、上気した頬がほんのりと淡く色づいている。金の睫毛の下でガラス玉のようにまあるい青い瞳は澄んだ青空の色とよく似ていた。誰もが目を奪わずにはいられなかった。


「――まるでお人形のよう」

「もしかしたら、舞い降りた天使なのかもしれない」


 ほぅ、と感嘆のため息を零しながら、人々は愛らしい双子に賞賛の言葉を惜しまなかった。

 集まる視線に、アドルバードの足がわずかにもつれたが、リノルアースが誰にも悟られぬように支えた。こんなに多くの視線を浴びながらも、リノルアースは堂々としたものだ。

 祖国ハウゼンランドでは、ここまで注目を集めることもなければ賛美されることもない。国民は自国の姫と王子を愛してくれているが、この容姿はとっくに見慣れてしまったのだろう。あるいは、お転婆な姫の、お人よしの王子の内面を知っているからこそ親しみを持たれているのかもしれない。

「堂々としてなさいよ、あんたは今リノルアースなんだからね」

 失敗は許さないと言いたげな声が、アドルバードには心配しているように聞こえる。北の姫と注目を集めるリノルアースにはこんな視線の嵐も慣れたものなのかもしれない。

 数多の視線の中で、ちりり、とした視線に気づきアドルバードは目線を動かす。好意的な人々のなかで、一人リノルアース姫を睨む人間がいた。

(……いた)

 連れ去られたあの屋敷で現れた男だ。

「……あの男?」

 リノルアースは視線も動かさずにアドルバードに問いかけた。

「ああ、相当怒っているな」

「多少なりとも動揺してもらわないと意味ないわ」

 一人では行動を起こすこともできないのだろう、男は――バーグラス卿はくるりと踵を返し会場の人混みのなかへ消えて行った。


「そういえば覚えている? 言ったでしょ? ご褒美があるって」

 二人で共にカルヴァのもとへ向かっていると、リノルアースが思い出したかのように口を開いた。

「ああ、そういえば――」

 ご褒美とは結局なんだったのだろう。リノルアースが足を止め、アドルバードはつられるようにしてカルヴァのほうを見た。その隣にはすらりと背の高い一人の女性がいる。銀の長い髪が結われることなく背に流れていて、海のように深い青のドレスの裾には真珠が縫い付けられている。

 どんな格好をしていようとも、アドルバードがその人を見間違えるはずがなかった。

「……レ……!」

 アドルバードは思わず名前を叫びそうになって、リノルアースに足を踏まれた。

「ちょっと、あんたは今リノルアース姫だって言ってんでしょうが」

 アドルバードにしか聞こえないほどの声は迫力満点だった。

「いや、だって、なんで……!」

 レイがドレスを着て、よりにもよってあの国王の隣にいるのか。

「念のため陛下の護衛についてもらっていたの。半分くらいはあんたの驚く顔が見たかったのもあるけど」

「ご褒美ってこれか……!」

 確かにご褒美だ。紛れもなくご褒美だ。レイが綺麗すぎて直視したくてもできないしけれど目に焼き付けておきたいし、とアドルバードは鉄壁の笑顔の下でごちゃごちゃと考えていた。

「言ったでしょあんたが絶対に喜ぶって」

「嬉しい、嬉しいけど……! おまえこの格好じゃダンスにも誘えないのにどうしろと!? ここまで計算づくでおあずけか!」

「あんたね……レイのドレス姿を久々に拝めただけでも満足しなさいよ……けっこう渋ったんだからね」

 それはそうだろう。レイは剣の誓いをたてて以降、ドレスを着てこういう場に現れたことはない。あくまで騎士としての立場を最優先していた。

 だから、アドルバードも着飾ったレイを見るのは二年ぶりだ。

「……ああもうほんと綺麗……なんで俺こんな格好してんだろ……」

 許されるならこのまま泣き崩れたいくらいだった。ダダ漏れになっている本音は会場の音楽やざわめきに掻き消されてリノルアースに聞こえる程度の小さな声だ。

「もう鬱陶しい……しょうがない、わかったわよ、挨拶回りがすんで問題なさそうなら

「へ!?」

 思いがけないリノルアースの慈悲に、アドルバードは生まれて初めて妹が天使に見えた。

「それほど危険ってわけでもなさそうだし……ね?」

 黙って護衛に徹していたルイにリノルアースが確認すると、ルイは周囲を警戒したまま頷いた。

「……さっきの男の他にも何人か注意すべき人間はいるみたいですけど、顔は覚えました。それに陛下の護衛も動いていますね」

 姿は見せていませんけど、とルイが呟く。レイに夢中になっていて気づかなかったが、確かにカルヴァの近くにひっそりと付き随う気配があった。

「あー……セルウスかな?」

「かと思います」

 セルウスのほかにも何人かいるはずだ。敵意はどちらかというとカルヴァに集中している。バーグラス卿が何か事を起こすとすれば夜会の終盤だろう。

 リノルアースのスムーズなエスコートに合わせて、気がつけばカルヴァがすぐ目の前にいた。その隣のレイに見惚れて頭が真っ白になりかけるが、それこそあとでレイから小言を言われてしまう。


「具合はどうかな、リノルアース姫。近頃体調を崩していただろう?」

「……ご心配をおかけしました、陛下。このとおりもう大丈夫です」


 アドルバードは落ち着こうと一度深呼吸をして、にっこりと微笑んだ。カルヴァはそんな様子を見て愉しげに目を細める。

(こんの悪趣味野郎……ふざけんなレイの腰を抱くな離れろ消えろもげろ)

「アドルバード王子も、今宵は存分に楽しむといい」

「ありがとうございます、陛下」

 親しげに言葉を交わす二人を見て、まさかアドルバードが入れ替わっているなどと思う者はいないだろう。

「――さて、せっかくの夜会だ。リノルアース姫、ダンスはいかがかな?」

「陛下に誘っていただけるなんて光栄です」

 差し出されたカルヴァの手をアドルバードは迷いなく取った。驚いたようにわずかに表情を動かしたカルヴァをざまぁみろ、と見上げる。

 もちろん普段ダンスを踊るときは男側であるけれど、リノルアースとしてやってきた以上もちろん女性側でも踊れるように練習を重ねた。それはもう、リノルアース監修による血も滲む練習の日々だった。


 流れる音楽に合わせてカルヴァがリードする。意外にもなかなかうまい。だがアドルバードにはそんな上手なリードなどどうでもよかった。

「てめぇふざけんなよ人のもんには手を出さないって言っていただろうが近づくな声をかけるな腰を抱くな」

 表情は可憐な微笑みを浮かべたまま低い声でカルヴァに告げる。カルヴァは「器用だな」と笑った。

「君がそんな可愛らしい格好をしているからだろう。あんな美人を一人にしていたら男が群がるぞ?」

 ちらりとレイのほうを見れば話しかけようかと機会を伺っている男が何人かいることがわかる。今はリノルアースと談笑しているようだった。

(……身長差がえげつない……)

 アドルバード王子でいるリノルアース、と並んで立っている姿はつまり普段の自分とレイを客観的に見ているようなものだ。二十センチ近くある身長差は似合いの男女とは言いにくい。これが男女逆ならば素直に絵になると思えるのだろう。

「……うっせぇよこのあとすぐに着替えてきてやる」

「それは残念だ、似合っているのに」

「うれしくない」

「だろうな」

 喜ばないとわかっている賛辞をおくってくるあたりでこいつも相当性格が悪い。アドルバードはわざとカルヴァの足を踏んでやった。

「――このままのほうが都合いいならそうするけど」

 一応はカルヴァの意見も仰いでおく。ダンスをしながら周囲を確認してみても、バーグラス卿の姿はない。

「いや、いっそ戻っていたほうがいいかもしれん。君も多少は戦えるだろう?」

「そりゃもちろん……あんたそこまで派手にやる気?」

 夜会の場で剣を抜くようなことが起きれば小さな騒ぎではすまない。そんなことがわからないほど愚かではないはずだ。

(……せっかく穏便に、リノルアース姫の誘拐がなかったことになったのに)

 できることなら、穏やかに解決すればいい。そう思ってしまうアドルバードは為政者としては未熟なのかもしれない。目を伏せたアドルバードに、カルヴァは苦笑した。

「向こうの出方次第だ」

 ――向こうの出方次第では、剣を抜き武力をもって切り伏せる。そういうことだ。

「……うつくしい姫君にそういう顔は似合わないな。早く戻るといい。急げば愛しの君とダンスをするくらいの時間はあるだろう」

 アドルバードの手を持ち上げてその指先に口づける。そっと耳元で囁かれたその声はアドルバードにしか聞こえないだろう。誰もが仲睦まじい国王と北方の姫君に注目するなか、アドルバードは見えないようにもう一度強くカルヴァの足を踏んでやった。


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