可憐な王子の受難の日々

青柳朔

可憐な王子の受難の日々

01:ようこそ、アルシザスへ

 結い上げられた金の髪は、陽の光を受けて赤みがかった輝きを放つ。北国の処女雪のように白い頬は透き通るようで、小さな唇は咲き初めの薔薇のような可憐な色をしていた。金色の睫毛がそっと影を落とし、青玉サファイアのように澄んだ瞳がその奥で緊張に揺らめいている。

 誰もがはっと息を呑むような、うつくしい少女だった。裾に向かって濃くなっていく薄紅のドレスに、結い上げた髪を彩る真紅のリボン。細い腕を包み込む純白のレースの手袋が少女を飾ることを誇るかのようだった。


「お初にお目にかかります。北方ハウゼンランド王国より参りました、リノルアースと申します」


 その声は鈴のように軽やかで、広い謁見の間のなかに響き渡る。

 北の姫と謳われる、リノルアース姫。その可憐さは、なるほど確かに花も宝石も霞んでしまうだろう。そして小柄なリノルアースの後ろに影のように付き添うのは、月光を集めたかのようなうつくしい銀髪の騎士であった。すらりと背の高い騎士はただ黙ってリノルアースの傍に控える。太陽と月、本来ならば寄り添うことのない一対の美がここに完成していた。

「ようこそ、アルシザスへ。リノルアース姫。貴女のようなうつくしい姫を招待できたことを嬉しく思う」

 リノルアースの挨拶に応えたのは玉座に座る青年だった。黒い髪に褐色の肌は南国の民の特徴である。鍛えられた身体はたくましく、その堂々とした様はまさに国王にふさわしい。

 ――アルシザス王、カルヴァ。

 数年前にこのアルシザスの王となった、二十八歳の青年だった。

「きっと姫もこの国を気にいるだろう。ハウゼンランドとは違ったところが多くあるのでね」

 そう、ここはリノルアースの生まれ育ったハウゼンランドではない。それどころかハウゼンランドとの共通点はひとつも思い浮かばないほどかけ離れた国である。

 アルシザス王国。大陸の南西部にあり名を知らぬものはいないほどの大国である。北方の、大きな山脈の裾野にひっそりとあるような小国ハウゼンランドとは気候も違えば国力も比べ物にならない。

「ありがとうございます。アルシザスで多くのことを学び、祖国に生かせればと思います」

 リノルアースはにっこりと微笑みながら返した。

 そう、リノルアースはアルシザスに嫁いだわけでもなければ、もちろん何か他の理由で永住するために来たわけでもない。これはあくまで訪問だ。外交である。

 たとえどんなに甘くやさしく口説かれたって結婚はごめんだ。そもそも口説かれるのもごめんだ。目の前の青年は精悍な顔立ちの――まぁ、いい男だと言えなくはないが、だがまっぴらごめんだ。考えただけでも寒気がする。


 ――生憎こっちは、こんなクソ暑いところに長居する気はねぇんだよ。






 つつがなくアルシザス王との謁見を終え、用意されていた客室へとリノルアースは急ぐ。一刻も早く周囲の目のない場所へ行きたくて自然と足早になった。慣れていない華奢な靴に押し込められた足は痛みを訴えてきている。

 さすが南国。わすがに動くだけでも暑さに慣れない身体はじわりと汗をかいていたし、急ぎ足になっている今はなおさらだ。首筋を流れ落ちる汗が非常に不快だ。

 暑い。暑い。暑い暑い暑い暑い!

 リノルアースが育ったハウゼンランドならば、夏でもこんなに暑くはならない。極寒の冬と比べていくらか過ごしやすくなる程度の気温の上昇があるのみで、夏でも涼やかな風が吹いている。体温より高い気温なんてありえない。身体が異常な気温のせいでいうことをきかない。

 ようやく部屋にたどり着いたときには限界だった。部屋まで着いてきたアルシザスの護衛は部屋の外に、侍女は休みたいからと言って下がらせて、唯一信頼している騎士だけが残った。


 


 リノルアースは綺麗に結い上げた髪をがしっと掴んだ。背後の騎士が気づき止めようとしたが、もう遅い。

「暑いんだよこんやろおおおおお!」

 身体の芯から焼かれるような不快な暑さに苛立ちは頂点だった。掴んだソレを、怒りに任せてリノルアースは放り投げる。

「リノルアース様」

 嗜めるような騎士の声に、リノルアースの怒りが治まることはなかった。むしろ火に油を注ぐが如く、リノルアースの青い目が怒りに燃える。


「誰がリノルアースだ! 主人の名前も忘れたかレイ・バウアー!」


 その声は少女の愛らしい声とは違う、声変わりも終えたであろう、少し高めの少年の声だ。放り投げられた髪はもとの無機質な物体に戻り、光輝くようなうつくしさが消え失せる。


「忘れるはずがありません。様」


 怒りを露わにしたままそこにいるのは、愛らしい顔をしただった。

 愛らしい顔立ちも、少女のように長い睫毛も、一六〇センチぎりぎり届かないような華奢な身体も、アドルバードにとってはコンプレックス以外のなにものでもない。

 ドレスを着たとき鏡に映った自分を見て死ぬほど悲しくなった。この気持ちを理解できる男がこの世にどれだけいるだろうか。鏡に映るそれは、どこからどう見ても双子の妹そのものだったのだ。困惑しているだろうその表情が、リノルアースではないと告げていた。あの強者の妹はそんな顔しない。

「……もともとアドル様が悪いんでしょう。リノル様に見事に言いくるめられて」

 はぁ、と呆れたように騎士に――レイに言われアドルバードは口籠もった。まさにそのとおりだ。自覚はしている。

「ぐっ……そ、それは……! さすがに双子の妹に泣きつかれたら多少のわがままは仕方ないかなって思っちゃうだろ!?」

「女装して他国へ訪問させられることが多少のわがままだっていうならあなたは重度のシスコンですよ。知っていましたけど」

 容赦なくばっさりと切り捨てられて、アドルバードは「うぐぐ」と言葉に詰まる。妹に甘い自覚は十分あるし、あの妹にはどう足掻いても勝てないのもわかっている。今までだって散々迷惑をかけられてきた。帽子が木の上に引っかかったのと取りに行かされ、おやつは当然のように奪われ、小さい頃から――生まれた時からいいように使われている。

 けれどもまぁ仕方ないか、と思ってしまうほどにはシスコンだった。同じ日に生を受け、共に育った妹だ。可愛くないわけがない。たとえどんなに生意気でも。アドルバードは実に寛容だった。


 今回もそう――いつもの通り、すべてはリノルアースのわがままだったのだ。


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