10:はい、いってらっしゃいませ

 カルヴァから呼び出されるのは突然であることが多い。向こうはこちらの予定をある程度把握していて、アドルバードが時間を持て余した頃に女官を寄越すのだ。

 アドルバードが水路の視察から戻ったのはもうすぐで夕方になるだろうという頃だった。アルシザスの女官がアドルバードの部屋までやってきた。

 ――陛下がお茶でもいかがですか、と。

(午前中に会ったじゃねぇか)

 とはいえ断る理由もない。恋愛話はうんざりしてきたところだが、視察を終えて少しカルヴァから聞いてみたい話もあった。

「すぐ行くんですか? 夜会で着るドレスなどの打ち合わせは……」

 今日はもう予定もないので、晩餐の前に夜会のドレスをもう一度着てみて小物とのバランスを改めて確認しておこうと話していたところだった。なんといっても最終日の夜会がリノルアース姫の最大の見せ場で一番の大仕事である。

「レイに任せるわ。すぐそこまでだし、アルシザスの方々もいらっしゃるからあなたが護衛をするほどじゃないでしょう?」

 女官がいる手前、素で話すわけにもいかない。この数日ですっかり女の子らしい話し方が板についたようで、アドルバードの心中は複雑だった。

 カルヴァも気を使ってか、会うときに使う部屋はアドルバードの部屋から五分も歩かずに到着する場所だ。案内してくれる女官も、警護の者もいるのだからレイがぴりぴりとする必要はない。

(それに、結局すぐに部屋から追い出すことになっちゃうし……それならついてきてもらわないほうがいいよな)

 カルヴァとの会話の大半は恋愛相談で、向こうの悩みや愚痴を聞いていることがほとんどだが時折矛先がこちらに向く。そんなときにレイがいては困るので彼女は外で待つ羽目になっていたのだ。

「……そんなに……いえ、なんでもありません。お気をつけて」

 レイは珍しく言い淀んで、しかしすぐにいつも通りの冷静沈着な顔に戻っていた。あれ? とアドルバードが違和感を抱いて無言でレイを見つめるが、彼女は素知らぬ顔をするばかりだった。追究されたくないらしい。

「……それじゃあ、またあとで」

「はい、いってらっしゃいませ」

 後ろ髪引かれつつ、アドルバードは部屋を出た。普段のレイなら頑なにアドルバードを一人で行かせたりしないし、万が一そうなってももう少し口うるさく気をつけろと言ってくるはずなのだが。

 男同士の話だから、なんていってのけ者にしていたのが悪かったらしい。レイが拗ねる姿が可愛くてついつい調子に乗っていた節もある。

(あー……やっちまったかなぁ……)

 女であることを理由に使われるのは、レイが苦手とすることだった。女であることを声高に嘆くことはないけれど、女であるがゆえにレイには得られなかったものも、得られないであろうものも多くある。匙加減を間違えた、なんて笑えるものじゃない。

(あとで謝らないと……謝らせても、もらえないかもしれないけどさ)

 きっとレイは謝っても受け入れてはくれないし、謝罪を必要とはしないだろう。


「いくら警護の者がいるとはいえ、専属の護衛から離れるのは感心しませんよ、リノルアース姫」


 女官の隣を歩く警護の男が突然声をかけてきた。

 目下の者が目上の者の許可なく声をかけるなど無作法だ。アルシザスの王宮でそれが行き届いていないとは思えない。

「そうでしょうか。ここは王宮ですし、何よりアルシザスの方々は優秀ですから」

 小国の姫と侮られているのだろうか。売られた喧嘩は買う主義だが、リノルアースのままでは言い返すこともままならない。

「広い王宮には、どこかしら隙というものが生まれますから。まぁあなたのおかげであの騎士をどうにかする手間が省けましたがね」

「……え?」

 突然前方の侍女と警護が立ち止まる。アドルバードもつられて足を止めると、背後から口を塞がれた。

「んぐっ……!」

「言うとおりに協力したんだもの、私はもういいでしょう!?」

 案内していた女官が青ざめた顔で男に噛み付いていた。その緊張を孕んだ声がアドルバードの耳に届く。

 薬品の匂いが鼻に付く。くらりと視界が歪んで、アドルバードの本能は危険を訴えてきた。しかし背後から背の高い男に羽交い締めにされては小柄なアドルバードは抵抗もできない。

「そうだな、おまえにはもう用はない」

「きゃあっ」

 女官は男の振り上げた拳で頬を打たれ、その衝撃で壁まで飛ばされる。鈍い打撃音のあとで女官は頭を打ったのかくたりと動かなくなった。

 身体は思うように動かない。引きずられるようにしてアドルバードの意識は暗闇に落ちていく。

「……れ、ぃ……」

(ダメだ、レイに謝ってもいないのに……絶対、心配させるのに……)

 抗おうと頭の中では必死だったが、無情にもアドルバードは意識を失った。




 夜会のために用意されたドレスはおそらく誰もが目を奪われるだろうと容易に想像できるほどにうつくしい。胸元の薄紅色が、裾に向かうにつれて赤くなっていくグラデーションは、一歩一歩進むたびに花ひらくように人々を魅了するだろう。

 揃いのリボンはアドルバードの赤みがかった金髪に映えるように大きめで、首元や耳を飾る宝石は紅玉ルビー。もともと薄紅や真紅はリノルアースが好んで着る色だが、やはり双子だからだろうか、アドルバードもよく似合う。

「レイ様、靴は白いものの予定でしたがいかがいたします?」

「……そうですね、とりあえず予定通りに。あとで本人に選ばせましょう」

「なんでもいい、とおっしゃいますよ。リノルアース様なら」

 くすくすといいながら侍女が靴や宝飾品を広げ始める。本物のリノルアースならばあれこれと自分で選び指示を出すが、今のリノルアース姫は自分をうつくしく見せることはすべて他人任せだ。おかげで侍女たちが楽しそうに主人を着せ替え人形にしている。

 やはりイヤリングはこっちのほうが、と盛り上がり始めた侍女たちから取り残されたように、レイの心はここにあらずだった。

「……少し出てきます。あまり散らかさないように」

 持ってきた荷物をすべて出して見比べ出しそうな侍女たちに釘を刺して、レイは部屋を出た。少し頭を冷やしたかった。

 女に生まれてきたことはどうしようもない。それでも望んだように騎士でいられるのだから、レイは恵まれているのだろう。

 けれどそれでも、男であったなら、と考えることは少なくなかった。男子を産めなかった母が親類に責められているとき。数多の求婚に行き場を塞がれたとき。剣を握り続けるレイを貴婦人たちがはしたないとわざとらしく話しているたびに、なぜ女というだけでこんな扱いをされるのかと唇を噛み締めた。

 アドルバードの傍にいるためには、髪を切り落とすしかなかった。女のレイ・バウアーは、あのときに殺したつもりだったのに。

「……それでもまだ捨てきれないんだから、私も相当の馬鹿だな」

 小さく息を吐き出して廊下を歩く。空は徐々に赤く染まり始めていた。

「……ん?」

 部屋からそう歩いていないところで、女官が一人倒れていた。その女官は、先ほどアドルバードを呼びにきた者ではなかろうか。

「大丈夫ですか!?」

 血の気が失せていく。まさか、という気持ちが膨れ上がっていく。

 見たところ女官の頬は殴られたように腫れている。それ以外には目立った怪我はないので頭を打ったのか薬で眠らされたのか。レイの考える最悪の事態が本当に起きているのなら、命を奪われなかっただけ幸運だったのかもしれない。

「……ぁ……?」

 レイが肩を叩き声をかけ続けると、女官がゆるりと目を開けた。

 女官がレイを目にした途端、顔色を変えていく。銀髪の騎士は、すっかりリノルアースの騎士としてアルシザスでも知られていた。レイの白い肌と銀色の髪は、この南国でそうお目にかかる容姿ではない。


「申し訳ありません……!」


 女官が泣き崩れながらレイにそう告げたことで、聡明な彼女はおおよそのことが理解できてしまった。


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