07:おいこらどういうつもりだ

 滞在二日目にして男であることがバレてしまったわけだが、結果的には問題なかったのでアドルバードの肩の荷もだいぶ軽くなった。カルヴァの怒りを買ってめんどうなことになるわけでもなく、リノルアースへの求婚の件はさらっとなかったことにできたのだ。

「むしろ順調すぎる」

 滞在三日目、目覚めて侍女たちにドレスを着せられながらアドルバードは真顔で呟いた。

「順調ならいいんじゃないですか」

 ドレスのあとに出番がやってくるかつらの手入れをしながらレイが答える。

 あのあと部屋に戻ってからレイの話も聞いたが、アドルバードが倒れて目覚めるまで彼女はアドルバードの傍を離れなかったらしい。そしてその間にカルヴァにアドルバードが男であると指摘され――隠すのも無理だと判断した結果、ああなったというわけだ。

 こうも順調だと、本当にいいのだろうかと不安になってくる。何かを見落としているのではないか、という漠然とした不安だ。

「あとはこのままリノルとして滞在中の予定をこなせばいいわけで……」

 主な外交に関してはそれぞれ専門家がいることだし、リノルアースとしてやることと言えばカルヴァのご機嫌伺いと夜会への参加くらいだ。アドルバードも王子としては政治関連であれこれと見てみたいものはあるが、姫としてやってきている以上あまり自由に動き回るわけにもいかない。南国は北方の国々より女性の地位が低く、姫はたいてい嫁ぐまで後宮の外へ出ることはないのだという。

「思っていたよりも気楽に――」

 過ごせそうだ、と言いかけてアドルバードは一つの問題に気がついた。

(待て。待て待て待て。あいつは、レイが女だって気づいているのか……?)

 なんせ相手は骨格で男か女を判別した重度の女好きだ。南国に女性の騎士などいないから先入観からレイを男だと思わせることはできたものの、これから接する機会が増えれば女だとわかるのも時間の問題なのではなかろうか。

「……レ、レイさん?」

 アドルバードは水色のドレスを着せられ、化粧台の前に座らせられる。鏡越しにレイを見ると、彼女はこちらをちらりとも見ずにアドルバードの頭に鬘を被せていた。

「なんですかアドル様」

 正体がバレたことで、レイも少し気が緩んでいるらしい。昨日までは口うるさいくらいにリノル様、と呼んでいたのにすっかり部屋のなかではアドル様に戻っている。

「あのク……陛下は、おまえのには気づいてない、よな?」

 おずおずと問いかけると、レイは一瞬何のことだ、と言いたげに鏡に映るアドルバードを見た。そしてすぐに「ああ」と気がついて、櫛で髪を梳き始める。

「気づいていらっしゃらないと思いますよ。私も気づかれるような発言をした覚えはありませんし。まぁ気がついたところで問題にはならないでしょう」

 アドルバードのように正体を隠していたわけではない。ただ女だと言わなかっただけだ。

 昨日のカルヴァの話では、剣の誓いを立てた騎士がいる、ということしか知らないようだった。その主がハウゼンランドの王子であることはアルシザスまで届いていても、女騎士であるということまでは広まっていない――と思いたい。もしくはそのあたりの情報はカルヴァの脳から消滅していてほしい。

(いやいやまずいだろ。どう考えてもまずいだろ。レイが女だって知られたらそれこそ押し倒しかねない)

 だってレイはこの通りの美人なわけで。

 レイもレイで、主であるアドルバードに迷惑がかかることを恐れてカルヴァに押し倒されても抵抗しないかもしれない。いやそこは容赦なく切り倒していいのに。いっそちょん切ってもいい。アドルバードの精神の安定のためにはちょん切ってほしい。

 あの野郎にレイを近づけてはいけない。アドルバードが固く決意したところで、身支度はすっかり終わっていた。




「御機嫌よう、リノルアース姫」


 朝食を終えたアドルバードのもとにやって来たのは、なんとアルシザス王その人だった。思わずなんで来た、とアドルバードの笑顔も凍りついた。

「おはよう……ございます、陛下」

 しかしアルシザスの女官や警護の者もいる以上、アドルバードはリノルアース姫でいなくてはならない。即座に頭を切り替えて花のように可憐な笑顔を浮かべて挨拶を返した。

「昨日は途中になってしまったからね。今からでも散歩はいかがかな?」

(おいこらどういうつもりだ)

 にっこりと微笑んだままアドルバードは真意を探ったが、ここで馬鹿正直に問いかけることもできない。できないことづくしでアドルバードの苛立ちは積もる一方だ。アドルバードの隣にいるレイも、カルヴァの意図が掴めずに訝しげな顔をしている。

「まぁ、嬉しいです。ありがとうございます」

 しかし差し出されるカルヴァの手を取るしか今のアドルバードのとれる選択肢はない。

 レイがついてきているのを確認しつつ、カルヴァの案内で中庭に向かった。相変わらず咲き誇る花々には興味の欠片も湧かないが、周囲の目もある以上笑顔は崩さない。

 中庭をカルヴァと二人で歩き始めると、自然とアルシザスの者たちは散っていった。お膳立てにも見える流れにアドルバードは内心で顔を引き攣らせる。

「姫は今日もうつくしい」

「いやお世辞とかいいんで。なんですか急に」

 上機嫌に口説き文句を吐き出し始めるカルヴァに素で返答すると、くすくすと楽しそうに笑った。

「昨日も言ったとおりだ。ハウゼンランドに興味が湧いてきたので、もう少し君との時間を作ろうと思ってね」

 つまりはアドルバードからハウゼンランドのことを聞きたいらしい。もとは大してハウゼンランドに興味がなかったことを隠さないあたり、図太い性格をしている。

「そういうことは外交官に聞いてくださいよ」

「君のところの外交官はうつくしくないから嫌だ」

 潔いくらいにきっぱりと言い切るカルヴァにさすがのアドルバードも呆れた。

「そりゃ外交官の採用基準に容姿は関係ないでしょうからね」

 最低限、他人に不快感を与えない程度の容姿は望まれるだろうが、そこまでだ。この国王の興味を引く第一条件が顔というのもなかなか馬鹿馬鹿しい話ではあるが。

「君が君として来ていたのならもう少し会話を楽しめる環境を用意できたのだがね」

 アドルバードとして、王子として――それならば堂々と意見を交わすことができただろう。だがしかしアドルバードはもうリノルアースとして来てしまったのだからどうしようもない話だ。

「それはどうもすみません……けどこんなことでもなけりゃ俺には興味なかったでしょう」

「まぁ確かにその通りだ! 私は男色の趣味はないしな」

 へぇ、とまったくどうでもいい情報にアドルバードは咲き誇る花に目を落としながら答える。素のカルヴァの相手をすると暑苦しくて面倒だ。ただでさえ暑いのに。

「そりゃよかった。自分の身の危険の心配をしなくてすみます」

 うつくしいものは人類の宝だと宣言するような男だ。容姿が良ければ性別なんて些末なことだと言い出したほうが納得できる。

 目を落とした先に咲いている真っ赤な花はハウゼンランドでは見たことがないものだった。そっと手を伸ばして花弁にふれる。やわらかなそれはひどく頼りなさげで、よくこんな暑い環境で咲けるものだとアドルバードは思った。

「私はそこまで節操なしじゃないぞ。だいたい、趣味があるのは君ではないのかね? あの騎士殿に――」

「ばっ……!?」

 馬鹿かおまえは!? と叫びそうになってアドルバードは慌てて自分の口を手で塞いだ。周囲にほとんど人はいないとはいえ叫び声が聞こえたら不審に思われるだろう。

(バレてない! レイが女だとはバレてない! でも俺がそっちの趣味だと思われている!? いやむしろそんなに俺の考えていることってバレバレなのか!?)

 混乱する頭の中を整理して、ふぅー、と深呼吸してアドルバードは心を落ち着ける。

「……俺だってそういう趣味はありません。レイは大切な騎士で、とても信頼している、それだけです」

 嘘をつくのが苦手なら、嘘を言わなければいい――と教えてくれたのは策士な妹だ。

「いや、しかし……君が騎士殿に向ける目は、なんというかそれだけでは……」

「勝手に解釈しないでください」

(いや確かに惚れているけど。惚れているけどさ)

 間違いなくカルヴァの勘は正しいが、アドルバードは男に惚れているわけではない。たがここでレイの性別を教えてやるわけもない。

「私はそういう趣味はないが、理解はあるぞ?」

「聞いていますか人の話」

 とことんマイペースな野郎だ、とアドルバードは冷たい目でカルヴァを睨みつけたが頭が沸騰しているようなこの国王には効果がなかった。


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